mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

世界への天然警鐘

2020-03-13 07:02:13 | 日記
 
 WHOが「パンデミックといっていい状態」と宣言した。なあんだ、そんなことならいまさらあなたに謂われなくてもわかるよ、とこちらは思っている。
 ひと月ほど前、WHOに「パンデミックではないのか」とメディアの記者が問い、「そう判断する材料がそろっていない」と応えていたときに私は、WHOが予測というか、事前に警告する役割を担っていると思っていた。だが、毎日メディアが伝える、新型コロナに関する国際情勢をみていると、こりゃあ「世界的な爆発的波及」ってことは、子どもでもわかる。
 ということは、判断材料は違うだろうが、専門家集団が判断するのと、私たち市井の人が見てとるのと、ほとんど時差がないということなのね。ひょっとすると、市井の人の方が、余計なエビデンスを気にしない分だけ、(わが身に及ぶ)危険には感知能力が長けているかもしれないと思った。フェイクニュースの方が指示されるトランプ症候群に、私も感染しているのかもしれない。
 
 メディアの伝える広まり方をみていると、やっぱりネーションが単位だとみえる。つぎつぎと塗りつぶされていく世界地図で、取り残されていた南アメリカ、モンゴルなどが、たちまち赤く色づいていくのをみると、ああ、世界って狭くなったんだなあと思う。オーストラリアが色づいたとき、中国との関係が深いからなあと思った。だが、ブラジルが色づくまでは、暑い夏の時期になると収まるかもと、期待しないでもなかった。ところが、翌日には、コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ペル―の色が変わり、たちまち、ボリビア、エクアドルとギアナを除くチリやアルゼンチンを含む全土におよんだ。つまり、夏の時期にも感染の広まりは止まないと証明しているようなことだ。
 とみていると、ついにモンゴルも色が変わった。残るのは中央アジア。キルギス、タジク、ウズベキスタン、トクルメニスタンやアゼルバイジャンとアフリカの大部分。世界との距離が遠いほど、安全というわけだ。取り残された方が安全と言えるかもしれない。皮肉なことだね。
 
 でもネーションが単位というのは、メディアが表現するときにネーション単位で表すしか方法がないからでもある。国内をみていると、岡山県や香川県、徳島県など、まだ感染者が出ていない県がある。と思っていたら、今日の新聞では徳島県は感染県になった。これも、都道府県で表現するしか方法がないからそうしているわけで、地方自治が確固たるものとしてあって、防衛・防疫がしっかりしているというわけではない。
 広まり方は、ヒト・モノ・カネの往来がもたらす偶然の結果といえそうだ。でも、どこの誰が、何処で感染して、それを広めているとキャッチできる態勢があるのなら、そういう情報だけでいいから、どんどん公表して、あとはそれぞれで護ってくださいねと呼びかけてくれる方が、ありがたい。「パンデミック」だというと世の中が動揺するとか、国民が不安になるということは、余計な心配。
 だいたい政府や国会で、おおよそ日本語の遣い方の奇妙奇天烈なやりとりをしているのを聞くと、あなた方に期待しているのは、官僚機構の持っているビッグデータを、率直に公表して、ことごとく「国民主権」的に自律判断、自己責任、自己実現でやって下さいと投げ出してもらった方が、よほど覚悟が決まり、わが人生をどうデザインしてどう歩くか、考えようというものだ。
 
 思えば、大型台風一過の山歩きは「パンデミック」のなかを歩くようなものだ。倒木あり、崩落あり、山は水を多量に含んでいて、斜面の草木が浮きそうになって、足元がずぶずぶと沈む。傍らのルートは、すでに崩壊して、大きく崩れているから、回り込んで道を探さねばならない。引き返すわけにはいかないとなると、用心して、より安全な足場を探し、下山のルートへ踏み込む。そんな心もちで、この社会も歩まねばならないと、自然が警告をしてくれていると、受け止めている。高度に消費社会化された人間への自然からの警告が、この新型コロナなのかもしれない。でもこういうふうにいうと、オカルト的と非難されるよね。
 
 さらに思えば、不要不急のことはエスケープしてくださいというのを考えると、今の私たちの暮らしは、大部分、不要不急のことばかりでなりたっている。コンサートもそう、イベントもそう、宴会もそう、年寄りのSeminarもそう。でも人の文化的な暮らしって、不要不急のことじゃないのかね。最低限のことって言えば、食べること、寝ること、排泄すること、くらいかな。ま、動物化したといわれるんだから、それだけでも文句をいう筋合いはないが、それ以外に「濃厚接触」なしといえば、ネットワークじゃないか。セルフがいっぱいの自家用車の世界も公共交通機関を使わないから、ま、これも入るか。でもどれをとっても、年寄りには向かない。これからの世界は、こうした「希薄接触」関係が蔓延する社会になっていくのかもしれないね。今度のことは、まだ先につづくが、私たちの時代への警鐘と考えてみていると、引きこもり状態でも、案外面白く過ごすことができる(笑)。