mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

毒を以て毒を制す

2019-06-23 09:03:00 | 日記
 
 若竹七海『殺人鬼がもう一人』(光文社、2019年)を読む。図書館に予約していた本が届いた。なぜ予約したのかは、いつもながら、わからない。いや、面白かった。
 
 舞台は、都会近くの錆びれた街。そういえば、判決が出て収監しようと保釈中の被告宅を訪ねた役人たちに刃物を向けて逃走した男が、つかまったと今朝のTVが報道している。なんでも、暴行、傷害、覚せい剤使用など、ずいぶんと乱暴な男だったようだが、その逃走中の推定経路を聞くと、いくつかの隠れ家を持っていたという。持っていたのか、単なる空き家を隠れ家にしたのかは触れていないが、都会近くの錆びれた街には、そういう男もまた、寄り集まってくる。
 
 ふつうに暮らす人でも、いろいろと欲を掻いて無礼千万な振る舞いをすることもあり、警察官も、あの手この手を用いて向き合わねばならない。そう思ってこの本を読んでいると、どんでん返しがやってきて、「やられた」と読み手は思う。それは面白い。その面白さは、普通に暮らす人や警察官や地道な仕事を奉仕的にする人たちの生活規範は、ふつうに真っ当で当たり前と思っているから、生じる。ある種の社会正義がそれなりに存在している時代に身に着けた規範感覚である。いまの高齢者の世代が、おおむね皆さんそうだ。
 
 若竹七海という作者は1963年生まれ。今年の誕生日が来れば56歳になるという若い人。つまり、日本の高度経済成長の入口の時代に生まれ、ジャパン・アズ・ナンバー・ワンの時代に成人し、30歳の手前でバブルが崩壊して、失われた○十年を生きてきた人。世の浮き沈みを、浮いている時からまるごと経験してきた世代。この世代は、社会正義とか人道的といった、社会の共通する規範が揺らぐか薄れるかして育ってきた。社会の価値意識が多様で定まることなく、悪意がなくともやっていることが反社会的であったり、どこに視点を据えてみているかによってものごとの価値評価は変わると、当たり前に受け止めていた世代だ。
 
 つまり高齢者世代が、無礼を叱り、無責任に憤り、ひどい振る舞いに憤懣を漏らすのに対して、そうしたできごとにしゃらっと、自分の立ち位置から自分なりの反撃をする。そして世はこともなしと、素知らぬ顔をするのが、この作品に登場する人々である。それを通快と感じている読み手が、高齢者の裡側にもいる。
 
 毒を以て毒を制する物語。そういってしまえば、それだけのエンタテインメントにすぎなくなるが、その毒が、社会正義をそれなりに抱懐している高齢者世代にも内在すると見てとると、なかなか面白い人間認識になる。そこを外していないから、単なる、上には上がいる物語りではなく、面白うてやがて哀しき……という思いが、身の裡に湧き起ってくるのであろう。

探鳥の奥行きの深さ(2)鳥と共感性をもつという秘密

2019-06-22 10:58:35 | 日記
 
 もう一人、sshさんと違った達人のたたずまいを見せてくれた方がいました。thさん。ご夫妻で半世紀以上にわたって石川県で活躍なさってきた方。鳥を軸に自然保護活動に取り組み、石川動物園でのトキの保護生育にもたずさわり、啓蒙活動も手広く行っているそうです。

 tkさんは珍しい鳥を観たいという次元を通り越しているように感じました。すでに見るべきほどのことは見つくしてしまったうえで、モンゴルには人文地誌的な関心を向けているようでした。

 たいていはご自分の関心の趣くままに動いています。ガイドの案内などに同調していないようにみえて、気が付くと傍らにいるというふうに、全体の動きを気にかけていて、その佇まいが何とも絶妙な感触を持っていました。白髪の彼が、鳥について語るのを聞いていると、それだけで説得力を持っているように響きます。良い歳を重ねてきているなと感心しました。
 
 今回のモンゴルの探鳥のトピックは四日目。ヘイテイ県ビンデル村のホラ・バンディング基地(KHURKH BIRD BANDING STATION)でのバンディングの見学でした。バンディングというのは、鳥に標識をつける調査です。標識をつけるだけでなく、標識がついている鳥のチェックをして、渡りの経路や時期などから生態をとらえることができるわけです。聞くと、日本ではそれらの情報が山科鳥類研究所に一括される体制が出来上がっているようですが、モンゴルにそのようなシステムがあるかどうかは聞き洩らしてしまいました。
 
 南北を背の高い(なだらかな)山に取り囲まれ、中央に小川の流れがある、盆地様の山のなかです。川の流れに沿って湿原が広がり、樹々も草花も植物は豊かに茂っていて、その周辺に7カ所、霞網を張っています。
 
 高さ2メートルほどの柱を4メートルほどの間隔で立て、撓むように網を張ります。撓んでいるから、網の裾は風下側にゆとりをもってふくらみ、そこに鳥が落ちるとちょうど袋のようにやわらかく受け止める仕掛けです。鳥を傷つけないようにしていると説明がありました。30分ごとに網を見て回り、引っかかった鳥を一つひとつ、大きめの巾着のような袋に入れ、腰からぶら下げてゲルに戻ります。私たちが見ていたときは、7羽を捕獲しました。
 
 設えられたゲルに持ち帰り、一人が一羽ずつ右手の指の間に挟んで毛づくろいをするように撫で、まず鳥の名を指定する。脚に小さな輪っかをつけてラジオペンチのような工具で取り付けます。そのあと、嘴の長さ、身長や尾の長さを測り、羽根の傷み具合をチェックし、ころあいのカプセルに頭から押し込んで体重を計る。別の一人が、その計量をノートに記録していく。計量が終わると、もう一度毛づくろいをするように全身を撫でつけて、人差し指と中指の間に鳥の脚を挟んで姿を、私たちに見せてくれる。そうしてゲルの入口へいって、放してやると鳥は飛び立っていく。その間鳥はおとなしく、安心しきったように身をゆだねている。写真を撮っても構わないというので、何度もシャッターが押されました。
 
 こんな観察ができるのはめったにないこと、と前振りをしてngsさんが「でも写真を公にするのは控えてください」と言葉を挟みます。バンディングをみると、たいていのバーダーは、自分もしてみたいと思うようになる。だが、簡単なようにみえて、鳥を指で挟んで計量するというのは、きわめて難しいこと。鳥にはストレスがかかり、脚を折ったりすることがある、と。その説明を聞きながら私は、珍鳥が出るとずらりと並ぶ、何十人というカメラの砲列を想い起していました。あれもストレスなんじゃないか、と。
 
 捕獲された7羽は、カラフトムシクイ、ヤナギムシクイ2羽、スズメ、ムジセッカとアカマシコの雌。最後のスズメ1羽は計測もしないで、放されてしまいました。朝にも引っかかった個体だそうです。同じ個体がかかっても日が違えば、計測して、体重が増えているか減っているかを、チェックするということです。一度ならず二度までも。うかつな鳥の個体もあるのですね。
 
 これを、渡りの季節に合わせて、4/15~6/15、8/15~10/15の計4ヵ月間、ここで調査しているとのこと。いまは8人のボランティアが手助けをしていて、私たちに見せてくれたボランティアはシンガポールから来た20代の女性。ゲルの入口に置いてある(膝まである)長靴に履き替えて、霞網をひと廻りし、ゲルで計測して記録してもらう。一羽の鳥が同定できなかったのか、ヨーロッパ系のボランティアのところへいって話し込む場面もありました。これほど鳥に接している人でも、同定できないことってあるんだと、探鳥の奥深さを感じました。
 
 この7羽の計測におおよそ28分ほどかかっていました。つまり、すぐに次の巡回タイムが廻って来るのです。聞くと、調査をしている4カ月間に1万5千羽ほどを扱ったといいますから、平均すると1日百数十羽、多いときは一時に十何羽を取り扱うことになり、狭いゲルでは大変です。
 
 この大変な作業をしている方々を観ていると、鳥に向き合う深い愛情を感じます。「愛情」などという言葉を私自身が使うなんて、思いもよりませんでしたが、これ以外の適当な言葉を思いつきません。鳥の生き方に(同じ生き物としての共感性をもって)向き合っているのだと、感じさせられたのです。ニューバードをみようという「異常趣味」ではなく、また単に研究対象としての「親密感」でもなく、そこを通り越して、同じ生物として響き合う感性が揺蕩っていることによって、指の間に挟まれた小鳥たちも安心して身を任せているのではないかと思ったのです。この自然観がすごいなあと感嘆しています。
 
 手狭なゲルに代わってログハウスを建てる計画が進み、ちょうど私たちが訪ねた日に、その完成式をすることになっていて、調査に従事している人たちは大喜びをしていました。「KHURKH BIRD BANDING STATION」とキリル文字とアルファベットで記された銘板が張り付けられたログハウスは、木の香りを漂わせて、誇らしげでした。8畳間ほどの一間と6畳間ほどの二部屋。6畳間にはチェック済の鳥を放つ小窓も設えられています。ガイドのバヤラさんが御礼代わりにと50ドルの寄付をしたので、私たちも何ドルずつか出して、彼らのご苦労にエールを送りました。
 
 学生時代から野鳥にかかわってきたsshさんも、バンディングをしているとのこと。彼の記録の仕方が、見た鳥の名を記すだけでなく、何羽いたかも子細に記録しているのに、驚かされました。鳥を観ることを突き抜けた振る舞いと、冒頭に述べたtkさんも同様です。鳥に向かう関心の深さとその方向性が、一つひとつの振る舞いに体現されているのだと感じ入ったのも、こうした人たちの持つ自然観に思いを寄せたからでした。(つづく)

探鳥の奥行きの深さ(1)動態視力と目の付け所

2019-06-21 14:14:23 | 日記
 
 さて、モンゴルへは鳥を観に行ったのでした。門前の小僧の私にとっては、鳥を観るよりも地誌的な関心が強く、前2回のモンゴルの南ゴビと東北部と違う、モンゴル東部の特徴をみてくるということに傾いていました。そういうわけで、今回の記述もそちらの方が先んじてしまいました。ですが、鳥を観る方にも大きな収穫がありました。鳥を観る奥行きの深さを感じたことです。
 
 今回の旅の参加者は12人。埼玉からの6人は、何度か一緒に旅をしたこともある顔見知りです。そのほかの6人は、石川県の方々と愛媛県からの方。どなたも、今回の旅をコーディネートしてくれたngsさんの知り合い。旅に際してngsさんは、参加する方々の「自己紹介」をまとめてくれました。送信されたそれを読んだとき、私はngsさんに「錚々たるメンバーですね」とメール。ngsさんも「緊張します」と返信。それほど、石川県などでの活動歴を重ねてきている方々。その予断にたがわず、ある種の達人わざとその佇まいをみせていただきました。と同時に、野鳥をめぐる保護活動の奥行きの深さを垣間見ることになりました。
 
 探鳥の初日(6/4)、宿の周辺の朝探で、埼玉とほかからの参加者の、探鳥に関するギャップを埋めようとするngsさんの尽力がはじまりました。「鳥を観たら、声を上げてください。間違っているかどうかは、とりあえずどうでもいいから、皆さんの目で見て、のちに同定するようにしましょう」といつもの声がかかりました。これは、「間違えたら……」という怯懦を退け、わが身をさらす行為でもあります。でも、そういう「壁」をこえてこそ、ともに探鳥しているという土台が生まれると、考えているのですね。たいていの探鳥家は、控えめですし、慎重です。でもngsさんの呼びかけに応えて、「あっ、あそこに……」と声を上げ指さします。双眼鏡やスコープで観ているところが違いますから、「ねえねえどこ?」と聞かれてもすぐには応えられません。ngsさんは「アムールファルコン」と空を見上げて声を出します。誰かが「アカアシチョウゲンボウ」と応じます。(洋名と和名だな)と、やはり2年前の朝の空にみた鳥のことを思い出して、私は翻訳しています。達人のngsさんにしてすぐに鳥の名が出ないこともあるのでしょうか。「ちかごろ錆びついていましてね…」と語るngsさんのスタンスが、門前の小僧である私には好ましい。
 
 現地鳥ガイドのツグソーさんのことは、このシリーズの3回目にも記しました。驚いたのは、ツグソーさんの眼力。視力が良いということにかけては、較べようがありません。旅ガイドのバヤラさんにいわせると、視力5.0。裸眼で、まるで双眼鏡で観ているような見分けをします。嘴が短いとか、羽の白い筋が二本あるとかないとか、即座にみてとり、これというところを双眼鏡で覗き、傍らにいる参加者のスコープを引き寄せて鳥を入れ、みせてくれます。ただ単に視力がいいだけではありません。動いているものを見定める、動体視力が抜群にいいのです。ぱっと傍らから飛び出して飛び去る鳥も、群れを成して飛来する鳥も見分けることが出来るようです。

 一日目の宿を出発して少しばかりウランバートルのミドリ池で何種ものアジサシなどをみたときがそうでした。アジサシ、クロハラアジサシ、ハジロクロハラアジサシ、ハシグロクロハラアジサシが、水面に降り立つことなく飛び交うのですが、それを一つひとつ見極めています。

 誰かが「あっ、何か飛んだ」としか言えない鳥も、コウテンシとかサバクヒタキとかイナバヒタキと教えてくれます。草原にぽつんと佇むワシタカの類も、クロハゲワシがいる! と誰かが声を上げると、いやあれはソウゲンワシだ、オオノスリだと訂正してくれる。車を止め、降りて双眼鏡やスコープで確認する。ツグソーさんは図鑑をみせ、その特徴のどこが見えているかを指で示す。バヤラさんが間に入って日本語に通訳してくれる。再び双眼鏡を覗くと、たしかにツグソーさんの言う通りだったりします。
 
 一日目は、宿周辺の朝の探鳥で23種、バガノール村のグンガルートへ移動しながらヘルレン川周辺のコンガトット湖などを探鳥して、63種のニューバードをみせてくれました。一日目で86種。これが多いのかどうかはひと口には言えないのですが、夜の鳥合わせのときにngsさんは150種は見せてほしいとバヤラさんに言い、バヤラさんはツグソーさんにそれを伝え、ツグソーさんは苦笑いをしながら、「がんばります」と応じていました。

 しかしこれでツグソーさんは、この日本人バーダーたちは、ニューバードの数を第一目標にしていると受け取ったようでした。以後、ニューバードの名を口にしてはそばにいる人に伝え、指さし、しかしその方が見てとることが出来ず、「参考記録」となるものがいくつかありました。ツグソーさんもハトやスズメやカラスなど、一度出てからのちは、それ自体何種かあるものには目もくれず、ニューバードをみせようとする「おもてなし」に尽力。最終日までに131種。渡り鳥はこちらにやってきて繁殖する時期ということもあって、縄張りを張って育雛していました。ツグソーさんは、どこに何がいることを熟知していますが、逆に日本人探鳥家の見たいものとはズレがあるように感じました。
 
 参加しているバーダーたちの鋭い目にも、際立つものがあります。
 どこであったか、あれはヨーロッパトウネンだろうかミユビシギだろうかと誰かと誰かが話していました。初列風切が尾羽根より長いとか嘴が少し下に向いていると、ことばが繰り出されています。私はかたわらで、えっ、そんなところがみえるの? と、ただただその目の付け所に驚嘆していました。
 
 同じ車で全日程を一緒に過ごし、同じゲルと宿の部屋も一緒にした、石川県から参加のsshさんの探鳥スタイルにも、静かな闘志を感じました。耳の良さ、聞き分けとその方向性の確実さ。動体視力と鳥の見極めの確かさは、日を追うごとに信頼を寄せるものになりました。シジュウカラの腹が黄色いか白いか。ヒタキ類の見立て、猛禽の見分け、同定の着実さが際立っていました。学生のころから野鳥観察にのめり込んでいるというから、まだ門前の小僧からみると、達人というよりも雲上人にみえたものです。ウランバートルに戻ってきて、宿周辺をもう一度探鳥したとき、ルリガラをみつけて教えてくれたのは彼です。鳴き声で方向を定め、当たりをつけてそちらへ目をやり、木の洞を出入りしているルリガラ2羽を拾い出します。ちょうど繁殖時期ということもあって、いろいろな鳥のヒナもみました。あるいは、縄張りに近づくのを退けようとするバトルもあります。sshさんは「埼玉の人たちは、(鳥のいる現場に)あまり近寄らないんだね」と話して、野鳥観察に関する(行儀が良いことを皮肉っているのか?)流儀の違いがあることを教えてくれました。野鳥の保護に関する見立ての違いもあるように感じました。これは後に、野鳥に向ける視線の奥行きの深さと関係していることなのだと、考えさせられることなりました。(つづく)

広範な取材力に感心

2019-06-19 17:33:53 | 日記
 
 ドン・ウィンズロウ『仏陀の鏡への道』(創元推理文庫、1997年)を読む。『犬の力』を読んで、どこまで「のびしろ」があるのか気になったから。読んでよかった。ただのハードボイルド好みの作家ではなかったと思ったから。しかし人の動きを前にすすめる推進力に関するこの作家の「動機」は単純明快。表題の仏陀の鏡への道というほどの、深い洞察はない。こけおどしといえばこけおどし、めくらましといえばめくらまし。だが、中国事情について、これだけアメリカの作家が知悉しているというのは、驚きであった。「犬の力」のCIAとメキシコや中南米諸国への介入というかかわりが、あれほど迫真力をもって書き込まれていたのも、なるほどと思わせる。作家というのは、たとえ推理作家であれ、世界の情勢について十分すぎるほどの取材をしていなくちゃならないんだと、感嘆してしまった。でも、それだけのことではありました。

飛び込みの、面白い山――赤久縄山

2019-06-19 10:21:33 | 日記
 
 当初6/19に予定していたのは袈裟丸山。5時半に家を出て、8時にわたらせ渓谷鉄道の沢入駅で待ち合わせて登山口へ向かうというものだが、行程のコースタイムが7時間45分とあって、参加者は3人しかいなかった。当日の天気予報が良くなかったので前日実施に変更したが、三日前になってkwmさんが体調を崩したと報せがあった。鬼の霍乱だ。

 この方、山の会では一番しっかり歩いている。ことをおろそかに運ばない。聞くと(私がモンゴルへ行っている間も)、毎週の山歩きトレーニングをつづけていたそうだ。でもたぶん、寄る年波には勝てないのではないか(と、勝手に私は推察している)。この方は刺し子の創作作家。山にのめり込む前は毎年個展をしていた。つまり根を詰めて、ものごとに取り組む(いい加減な私は、その気性が災いしているのではないかと、他人事ながら思っている)。私より一回り近く若いのだが、60歳代になれば、ガウス記号的に体調・体力が衰えていく。筋力やバランスはトレーニングで保つことが出来ても、疲れはその人の弱いところへ噴き出してくる。私などはまず、歯がやられた。気管支に来た。いまは疲れを疲れと感じることさえおぼろになり、何もやる気がなくなって何日かを過ごすことが多くなった。
 
 さてまあそういうわけであるから、kwrさんと二人だけでいくとなると、あまり遠方に足を延ばすわけにはいかない。ふと、昔、登ろうと思って地図まで打ち出していたがそのまんまになっている近場の山、赤久縄山のことを思い出し、そこへ行くことにした。昨日(6/18)のことであった。
 「どこでこの山のことを知ったの?」とkwrさん。彼は行き先変更を知って、調べてくれていた。私はたぶん何かの雑誌でみて、コースとコースタイムをメモしただけ、どんな山かわからない。しかもかつて打ち出した地理院地図では、そのルートが記載されていなかった(今回行くことになってkwrさんのために打ち出したら、ルートが記載されていた。地理院も、そこそこ手直ししているんだね)。関越道の本庄・児玉ICを出て、西へ向かう。秩父の山並みが東へ流れて平野部と出逢う鬼石とか万場という群馬県側の奥深くへ入り込んでいく。「上野→」と表示がある。あの、日航機が墜落した上野村だとkwrさんが助手席で話す。「佐久穂→」と街道の表示がある。長野県へ抜ける間道のひとつかもしれない。鬼石も、万場も、大きな町、集落だ。古い「万場宿」という看板もかかっている。車の通りもけっこう多い。道路整備も行われている。
 
 8時半過ぎに塩沢ダムの先、栗木平の登山口に着く。登山口に「赤久縄山登山道のご案内」と題した大きなイラストマップがある。あまりよく見ないでカメラに収めて8時40分に歩きはじめる。あとで見てみると、ここに表示されているコースタイムを全部合計すると(途中の表示されていない一部を除いて)440分の行程。表示されていないところは、じつは林道を歩いた部分だ。ここで40分歩いているから、全行程では480分。8時間の行程だ。私のメモにあったのは、4時間45分。登る前にダウンロードしたヤマケイの地図では5時間15分。ま、その程度とみていたのが、大違いであった。後の祭り。
 
 急峻な上り。踏み跡はしっかりしている。シカのものらしい大きな骨と毛皮が散らばっている。冬に死亡し、捕食・分解されたのであろうか。

 先を歩くkwrさんが、ビクッと立ち止まる。
「どうしたの?」
「いや、何か獣が動いたようだね」
 と話していたら、kwrさんの進む先の登山道を右から左へ横切って何かが走り下りた。
「イノシシみたいだったね」
 とkwrさん。クマよりも扱いに困る獣だと、私は思う。
 
 はじめほんの少しばかりのスギの樹林、大半は落葉樹におおわれている。秋にいい山かもしれない。樹林は陽ざしがあっても直に当たらないから、涼しい。帽子はとったまま、快適に歩く。「かんなMOUNTAIN RUN&WALK→」の表示が木にくくり付けられている。「かんな」というのは神流町のこと。群馬藤岡市と隣り合うところに、この赤久縄山を含む御荷鉾山の連稜がつらなり、この連稜の最高峰が赤久縄山だと、どこかに書いてあった。藤岡市はもっぱら御荷鉾山を売り出し、この地に「みかぼ森林公園」も設けている。神流町も赤久縄山を軸にして力を入れているのだ。
 
 樹々の途絶えたところから赤久縄山が見える。すっかり緑に覆われたなだらかな山の形が好ましく誘う。標高が1000mを超えたあたりで、対生の大ぶりの葉をもつ小さな白い花が、まとまって咲いている。やあ綺麗だなとkwrさん。クサタチバナという花だとあとでわかる。足元の踏路もしっかりとしていて心地よい。「かんなMOUNTAIN RUN&WALK→」と表示ある分岐を通り越して、下のイラストマップに「鉄塔」とあったところに出た。その先の踏み跡が消えている。分岐のところまで戻り、斜面の東側をトラバースするように上り詰めると、御荷鉾山からくる踏み跡と合流する稜線に出た。「熊出没注意」の看板が半分削られて立っている。「クマが、うるせえって齧ったみたい」と言葉を交わす。バイケイソウが群落をつくっているところを上ると、ひっそりとクワガタソウが花を開いている。しきりにハルゼミが鳴く。梅雨時の晴れ間の大合奏だ。午後に空を雲が覆うとピタリと鳴きやんだ。ゲンキンなものだ。
 
 赤久縄山の山頂1522m到着、10時40分。2時間で到着した。この調子だと1時半には下山となるかとみて、ここで早いがお昼にする。東の方が開けていて、御荷鉾山らしき二つの峰が見える。ベンチの前には、クサタチバナが咲き乱れている。20分ほどで片づけ、出発した。20分ほどで林道に出る。四阿がある。その脇に、「持倉分岐・安取峠60分→」という表示がある。kwrさんは、こちらではないかというが、スマホののヤマケイ・マップは白髪山を経ていく行程になっている。あとで分かるが、そこが西登山口。4時間15分と私が考えていたコースは、kwrさんのいうショートカットの道だった。私はそこから大きく西の峰を回り込む8時間のコースをとったのだった。
 
 しばらく林道を歩いた。舗装されているところと未舗装の部分とがくっきり分かれている。「神流町」と表示があるところから向こうは舗装されている。その裏側は「藤岡市」、こちらは未舗装だ。何度か市町の結界表示があったが、舗装と未舗装の違いがいつもつきまとっていた。「スーパー林道」と銘打っていたのも、何か謂れがあるのかもしれない。林道の崖側にみえる山々は、この地が秩父から北へ続く奥深い山であることを示している。上る途中にも見えて、「あれは二子山だね。その右のは、え~っと」と言葉が出てこなかった山名を「そうだ、両神山だ」と思い出したのは、2時間も経ってからであった。
 
 道端の草むらに「白髪山登山口」と記された小さな青い表示板。それにしたがってすすむと、ゆるやかに林道からそれて進路が南へ向かう。白髪山1521mは三角点の標石があるだけの見晴らしの利かない山頂。赤久縄山を出てから1時間5分経っている。kwrさんは止まらず先を急ぐ。15分ほどで南小太郎山との分岐の表示がある。明るい樹林をどんどん下る。「登りに較べたら、下りは緩やかだね」とkwrさんは快調だ。1時間で舗装林道に出た。ユンボを使って材木の伐り出しをしている若い人とkwrさんは何か言葉を交わしている。一抱えもありそうな4mほどの長さの丸太を積んだトラックが脇に止まっている。「なんだ、これで山道は終わりか」と私は思う。あとの1時間半ほどがこの舗装林道では、ちょっと思いやられる。
 標高は950m。しっかりとしたつくりの民家がある。崖下には畑もあり、庭には花々が咲き広がる。道端にはムシトリスミレがたくさん咲いている。タタビの葉が半分白くなっているが、花はまだ咲いていない。少し先で舗装林道は下りにかかり、「かんなMOUNTAIN RUN&WALK→」の表示が上の道を指す。スマホをみると、上の道らしい。そちらはしかし、石ころが転がり草が生えて、広いだけの、使われていない山道だ。標高差で150mも上っているのが、あとで分かる。5時間を過ぎたあたりで、私の左の大殿筋と左脚の付け根が痛みはじめる。ちょっと止まってもらい、スプレーをかける。5月末の山でも、5時間くらいのところで左脚の大腿部が引き攣り、スプレーをかけた。私にとっては、5時間の壁が生まれ始めているようだ。
 
 14時少し過ぎ「←安取峠20分」の表示に導かれて広い林道と別れ、登山道を下る。たしかに20分で「←栗木平20分(旧峠道経由)」の表示に出逢う。すぐ先に広い林道のガードレールが見える。旧峠道の方が面白そうと踏み込む。ところが、その道はあまり使われていないようで、踏み跡も消えかかっている。沢に降りたつ地点に来ると、わずかにつけられた赤いテープを頼りにしなければならなかった。それがしかし、なぜか沢の右岸、左岸と行き来している。でもほかに道らしきものがわからないから、何度か徒渉してそれに従う。ルートファインディングとしては、面白い道であった。そうして、広い舗装林道に出逢い、300mほど進むと柿色の車が見えた。標高820m、到着14時50分。出発してから6時間10分の行動時間であった。