mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

心棒が曲がっている

2018-01-18 11:41:07 | 日記
 
 「石灰化」のために左肩に痛みが走ったのが昨年9月半ば。注射や投薬、湿布薬の施療で何とか痛みが取れたのが11月初め。リハビリと称して左腕を動かすことを心掛け、なんとか動かせるようにはなったが、いつのころだったか、動かしていると左の二の腕の筋肉に痛みが走るようになった。山歩きのときなどに左腕で木につかまってバランスをとろうとすると、烈しく痛みがあり力が入らない。そのうち痛みが、腕を垂らしているときにも手首の方にまで及ぶような気がする。まいったなあ、これじゃ、左手が使えないよと思う。ザックを背負う時にも左腕を先に通さないとならなくなった。つまり、後ろの方に伸ばすことができないのだ。整形外科へ行っても(たぶん)湿布薬をくれるだけだ。
 
 いつか足を運ぼうと思っていた「接骨院」に行った。これまでの経過を聞き、左腕を前へ後ろへ、上へ、あるいは回してみたりして、「よく動きますね」という。不思議と痛みは感じない。ついで「電気」をかける。左肩と肩甲骨と上腕に通電帯を張り付けて電気を通す。ビリビリ、ビリビリ、トントントントン、ズ~~ンと5分か10分ほど。時間が経つにつれ、その響きが変わるのが妙な感じだ。この通電は、筋肉にどのような作用をしているのだろうか。温めている? 柔らかくほぐしている? その両方? 
 
 そのあと俯せになり、腰骨と背骨の様子を見ている気配。そして「曲がってますね、腰骨が」と、左と右の腰骨が水平を保っておらず、左側が少し上になって右へ傾いていると指摘する。

「そのね、バランスをとろうと、肩甲骨が逆に左へ傾いていて、そのストレスが全部左側の方にかかったんですね。」
「カルシウムが左肩に溜まったというのも、そのためですね」

 と、去年9月の石灰化のワケを説明する。

「でね、左の二の腕に力が入らず痛いというのは……」

 と、腕の痛みになってきた分けに、話しは移る。肩のあたりは、広く動かせる(稼働領域が大きい、と説明したが)ように、筋肉が錯綜している。こちらが縮むとあちらが伸びる、そちらが縮むとこっちへ伸びる作用が働くってように、全部の筋肉が作用して、力をいれたりバランスをとったりしている。ところが、左側肩甲骨が固まって動かなくなったために、筋肉の作用にも変化が生じて、その緊張が左二の腕に集中してきたと思われる、と。その説明をしながら、腰骨の上の部分、背骨の両側の洋書、肩甲骨の一部、首筋の左右のところどころを押さえて、ほぐしていく。そのさえたところを「ツボ」と表現していた。
 
 首筋の話になったときに、一つ納得のいくことがあった。私は子どものころから、少し首をかしげている気配があった。年をとってからもカミサンから、首が曲がっている、姿勢をまっすぐに立てなさいよと、言われたこともある。そのクセが、抜けないのだ。それが、腰骨と肩甲骨の傾きと、やはりバランスをとるために首を傾けるしぐさが身についてしまっている。そういわれた気がしたのだ。
 
 心棒が曲がっている。よくこれで歩けたものだと(今振り返って)思う。山を歩いても膝に負担がかかるわけではないし、重心の移動が比較的スムーズに動いていると、常々自己評価してきた。「体幹がしっかりしている」とアスリートに評価されたこともある。それなのになんと、心棒が曲がっている。まあ、性根が曲がっていると言われるよりは、気が軽いか。
 
 この施療で、ずいぶんほぐれたように思う。「週1くらいで通えますか」という呼びかけにも、すぐに応じる気持ちになった。この整骨師は浦和レッズやヤクルトの選手などの施療もしてきた方。私の古くからの友人の「教え子」ということで、五年以上も前に紹介されたスポーツ・トレーナーだ。まだしばらくは、こうした施療を受けて、身体を保たなければならない。保険が利かないが、五十代のころに指圧にかかっていたことを思えば、そのくらいは構わないだろうと胸算用もしている。