mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

忘却とは忘れ去ることなり

2018-01-27 09:46:32 | 日記
 
 同窓の新年会がある。皆、後期高齢者だ。北海道にいる一人が「参加できないので、メール参加します」と、何通かのメールを送ってきた。その一つに、下記のようなことが記されていた。
 
****北海道からのメール
 
 今机の上にある本。〇「脳活道場スペシャル・車の運転脳強化90日間ドリル」(わかさ)〇「大人の国語力テスト1000」(青春出版社)〇「朝日脳活ブックス・思い出しトレーニング・昭和のできごと604問」(朝日新聞出版)〇「サビない脳をつくる健康習慣」(笠倉出版社)〇「やせたいなら肛筋を鍛えなさい」久嬢由起子(KADOKAWA)。
 一番上は毎週末買いに行くもみじ台のおかず屋近くの農協スーパーで、あとはいずれもCOOPの宅配で買った。市価より少し安いので、つい買ってしまう。まだ読んでいない。
 
 私の物忘れ対策は主に二つ。
(1)テレビで名前がすぐ出ない女子アナ、コメンテーター、女優などがいる時は、すぐ調べる。番組情報に書かれていればすぐ分かる。悔しいので、カレンダーの下の余白に名前を書いておく。最近のメモでは足立梨花、小池ゆり子、石原さとみなどの名がある。宮崎あおいもよく忘れ、何度も書いた。今の朝ドラの「葵わかな」も覚えにくい。一方、番組情報が不親切でわからない場合は、頭の中にマークしておく。
(2)思い出すまでしつこく考え、追う。女優の名前もそうだが、作家の名前も、すぐ資料は見ず、周辺情報を思い起こし何とか思い出しに務める。カズオ・イシグロ絡みの村上春樹の名前がでず、苦闘したのか、カレンダーにその名があった。一つの狙いは忘れやすい名前に何か法則性はないか探ること。何となく、学校時代のクラスメート、大人になって仕事や身の回りにいなかった苗字が、一因かと思ったが、必ずしもそうではなさそう。モノ、店の名前も出ない時はしつこく追う。引き出し力の強化に役立つと思うので。ただ先日2日間も思い出せなかったのは、大衆衣料品の「しまむら」と関連する「ユニクロ」。初めてスマホを使った。しまむらは地図機能で、ユニクロはファーストリテイリングという名前は憶えていたのでネット検索した。

 皆さんの秘伝を教えてください。それでは楽しい新年会を。
******
 
 いや一読、こんなこと(上記の1のようなこと)をしていたら病気になっちゃう、と思った。そこで、次のような「返信」を送った。
 
******* 北海道への返信メール
 
 いろいろとメールをありがとうございます。あなたの「努力」を思うと、涙ぐましいですね。私はとうてい、そんなことはできないなあと、慨嘆しています。私の気性に合わないように思います。
 たとえば、健康を保つためにジョギングをするとか、ボケないために脳トレをするというのに私は、ものすごく抵抗を感じます。昔からそうで、なんでも「おのずから……成るべくして成る」という「じねん」が性に合った向き合い方をしてきたなと思います。
 もちろん目の前に具体的な「目的」があるときには、それに合わせたトレーニングをします。ですが、歳をとり身体的に衰え思索力や記憶力が衰えていくというのは「目的」でも「目標」でもありませんから、自然に任せるようにしようと思っています。

 最近の人間工学では、「人はかくあるべし」というモデルを(その研究者や開発者自身がもっているという傾きを)意識しないで、人が心地よいと感じるのはかくかくしかじかであると決めてかかり、それがシステム化すると、今度は人間がそれに合わせて振る舞うようになります。駅の自動販売機の手続きなども、そのようにつくられています。つまり文化のデファクト・スタンダードが人を飼いならす。私たちがそれに適応するようになるわけです。
 そのようにして、いつのまにか人はふだん、4,5kmほども歩かなくなり、20kgほどのものも持ち歩けなくなってきました。そうして逆に、お祭りのようにウォーキングフェスティバルで、「楽しむ」ようにしています。なんだか文明病という気がするのですね。
 
 わざわざ「健康のために」トレーニングするよりは、「健康な暮らしをする」。病にならないように運動をするよりは、「運動」そのものを(暮らしの楽しみとして)日常化する。ボケないために「脳トレ」をするよりは、好みの本を読んだり文章を書いたりするということを「暮らし」そのものとする。そういうのが私の好みのありようなのです。
 ハウ・ツーものに傾注するよりも、あなたはフラダンスを踊り、若い女性にほれ込み、その方々と社会的なかかわりを持つ才能を全面開花させて、にぎやかに暮らす。その方があなたらしいと、私は羨ましく思ってきました。なんだか、ボケたり、身体的に衰えたりすることを予感して、慌てふためいているのではないかと感じました。恐れることなかれ。ボケればボケたで、周囲の人には迷惑でしょうが、それはそれで「わたし」なのだとカンネンするのが「年寄り」ってものじゃないか、と思ってすらいます。

 どんどん忘れる。自分が忘れたことも忘れる。いずれ我を忘れ、ということは世界を忘れる。独りになったことも忘れるというのが、人の歩む常道なのかどうかはわかりませんが、自ずからなるわが道なのよと見極めて、あまり先々のことを心配せずに過ごそうではありませんか。
 その一つが、明日の「新年会」。顔をみるだけでいいのです。まして、いいお酒を飲んで、おしゃべりをして過ごす。「わが青春の時代」を少しずつでも共有している人たちと、中間の社会的活動部分をごっそり除いて、今どう生きているか、自分の姿を鏡に映してみる。そんな集まりだと、愉しみにしています。あなたも是非一度、こちらに足を運びませんか。
 失礼を顧みず、勝手なことを言いました。 2018-1-25
******
 
 そうして昨日、久し振りにすっかり酔っぱらって、夜遅くご帰還。今日もまた、別の「新年会」がある。