mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

自然(じねん)主義的

2018-07-30 18:51:15 | 日記
 
方法的な視線の違い

  山折哲雄『これを語りて日本人を戦慄せしめよ――柳田国男が言いたかったこと』(新潮選書、2014年)に、柳田と折口信夫と南方熊楠を対照させて、その三者の方法的な視線の違いを指......
 

 一年前のこれを読んで、あのときには気づいていたのに、今はすっかり忘れて過ごしていると、「おのれ」のことを思った。折口信夫の「己自身を不思議と受け止める」感覚に心震える思いを懐きながら、それを忘れてしまうなんてと、いま、臍を噛む思いだ。

 

 ついつい私は、柳田のように「自然還元」してしまう近代合理性にどっぷりとつかっていると、わが胸に手を当てる。ことばを変えて言うと、私の身体は柳田的。ときどきの瞬間に私は、折口的な直感に浸されるのを感じる、というわけだ。そして、意識して己を振り返ったとき私は、混沌のなかに溶け込んで、でもそれでいいではないかと初原に戻っているんだもんと、そこにある己自身を合理化している。

 なんとも手の施しようがないほど、自然(じねん)主義的になっているなあと、自己批評している。いいか悪いかは、もう今となっては、わからない。そんなことを感じた。

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