mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

プランニングという希望とセルフ・ネグレクト

2014-06-28 15:19:37 | 日記

 月例登山のプランづくりをする。今年度後半、10月から来年3月までの分。この山の会発足のきっかけになったカルチャーセンターの企画が、4月からの年度単位であったためだが、山歩きの気分とうまく合致して「さあ今年も頑張るぞ」という「山気分開き」に、4月というのはちょうど良い。

 

 こうして、前半分はすでに実施中なのだが、後半部分を提示しておく時期がそろそろやってくる。まだお勤めをしている方々もいて、その(後半期の)スケジュール調整が8月になるとはじまるからだ。と言っても、平日の月1水曜日が基本。リタイアしている方々を念頭に置いている。あれこれ事情を抱えていて、毎回出席できない人が出るのは仕方がない、か。

 

 まず、山を選定する。秋なら紅葉、冬なら眺望、春先なら花を楽しめるところがよい。地域的にも偏りがないように心がける。だが冬場の積雪は大きな制約条件になる。行動時間が5時間程度、ところによっては6時間を超える。標高差も1000m位までを限度と考える。それが妥当なのかどうかが、じつはわからない。いずれも私が歩いたルートを軸にしているが、時間を短縮するために、途中からエスケープ・ルートの方へ変えるところもある。こうしたルートや、むかし歩いたことがあるが今どうなっているかわからないルートは実施前に、下見をすることにしている。

 

 ルートのバラエティもとりいれる。さほどむつかしくない岩場、軽アイゼンを使った登降。スノーシューで歩くコースは泊りにして2日間設ける。季節的な変化は、山歩きの幅を広げる。むろん技術も訓練される。年をとっても、安全に歩く力は確保しておきたいと思う。

 

 目標の山が決まれば、アプローチを調べる。鉄道の時刻、バスやレンタカーの利用可能性、帰路の時刻表など、事前に調べておかなければならない。それらが使えないところでは、タクシー便の利用可能性と運賃なども必要になる。この作業にインターネットが威力を発揮する。痒い所に手が届くような細かな情報が提供されている。でも実際には、実施前に[直前案内]を出す。この時期に調べたバスなどの時刻が、季節が変わってもそのまま運行されているかどうか、チェックしなくてはならないからだ。駅に行ってみたら、下見のときにあったバス便がなくなり、タクシーにせざるを得なかったこともあった。

 

 こうして半期分を仕上げて一覧にし、地理院地図をプリントアウトしてルートのイメージを描く。その上で実施月日を決めていく。

 

 この作業をしている間、私は結構集中している。ほぼ1日を費やすが、パソコンの前に座ったまんま。書架にある山の本や持ち帰っているパンフレットを取り出してはコースを変えたり、アプローチの手段を変更したりする。かつて歩いたときの「かきつけ」も役立つ。私は、単独行も友人と歩いたのもガイドした山も、退職後の山歩きは、帰宅したのちに「メモ」を書きつけてある。ここ7年ほどは「山紀行」的に原稿用紙10枚程度にまとめている。若いころのように「行程時間」を書きつけたりはしていない。おおよそコースタイムで歩いたかどうかだけチェックする。実施に当たっては時間をせかしたりするような歩き方は、滅多にしないからだ。むしろ、眺望や花、天候や足場の良し悪しなど、ルートの様子から、案内するのに無理は歩かないかに注意を払う。帰路のバス便に間に合うかどうかも、余裕をみていないと慌てることになる。

 

 私が「山紀行」を書き記すのは、「意識して自分の行動を対象化する」ため。行動中は、基本的にメモをつけない。メモ代わりに写真を撮ることはする。時間やルートの分岐や迷ったところは、一つ一つ丹念に記憶しておく。でも書きつけるときに、自分に都合よく解釈したり、不都合なところを切り捨てようとしていたりすると、なぜそういう衝動が起こっているのかを、自分に問う。そこまでいって初めて、私の山歩きは完結するような気がしているからである。

 

 生来が怠け者の私が、コトを(ひとまず)完結させるのは、そうすることによってずぼらな自分がものごとをやり遂げたという、とりあえずの成就感をもちたいからである。それがないと、いったい私は何をしているんだろうと、生きていること自体に疑問が付きまとい、自己嫌悪に陥ってしまう。就職をしてから、このかた、そのようにして自分の生きる意味とか、自分が日々していること、形成している「かんけい」の意義を位置づけてきた。そのときどきによって、位置づける局面や舞台を切り替えることで、へこみそうな失敗や人との対立に起因する内面の悪感情を、昇華させてきた。いわば、メンタルなセルフ・ケアであった。その、位置づける局面や舞台の置き方によって、徐々に「世界」が繋がっていることが見て取れるようになったと、思っている。

 

 じつは、今日の朝日新聞の「投書欄」に、「ゴミ屋敷は自己虐待のサイン」というのがあって、上記のようなこと(自分の振る舞いの完結)を思うに至った。当初の主は「地域包括支援センター相談員66歳」とある。

 

 《「ゴミ屋敷」のことを、報道だけでなく身近でも見聞きするようになった。片づけられない背景には、体の衰えや認知症、障碍などがある。日常的に行うべきことを放置してしまい、それでも平然と住める精神状態の追い込まれるのだ。専門的には「セルフネグレクト」(自己放任)という。》

 

 と書きはじめられたこの投書は、《国の主導で自治体によるセルフネグレクト対策をもっと積極的に推進するべきだ》と主張を結んでいるが、私は結論はどうでもよくて、冒頭の書き出しがガツンと身に響いた。

 

 「生来が怠け者」と先ほど書いた。若いころの私の自己認識は、それであった。何かを成し遂げたことがない。なるようになるというのが私流であって、何かを鍛錬して身に着けることも性に合わなかったし、意図して暗記するというのも嫌いであった。今から思い直すと、自分の身体性にあった[自然]の成り行きが落ち着く先に落ち着けばいいという、ちゃらんぽらんが好きだったともいえる。まさに「セルフネグレクトの精神状態」のままに生きていた。

 

 そういう自分が、周囲の状況のしからしむるところに従って大学へ行き、就職をして結婚し、女房に育てられ、あるいは子どもを育て、退職までこぎつけたのちに、もう12年を迎えているというのは、まことにまことに僥倖というほかない。セルフネグレクトを補ってくれた周りの人たちが(幸運にも)いたからであった。

 

 その間に、私が身に着けた一つの方法が、ひとつひとつの「課題」別に成就感をしめくくること、であった。仕事で言えば、年度ごと、学期ごと、向き合っている教室や生徒の集団ごと、一つ一つを区切って「課題」を設定し、いま何になぜ取り組んでいるか、自分の振る舞いはその中にどう位置づいているか、それがもたらした結果はどのような意味を持つのかと、「対象化」できるモノはできるだけ対象化してきた。

 

 私自身はいくつもの局面に身を置いている。仕事もあれば家庭もある。友人関係もあれば、思想的な課題をもった研究会もあった。その活動の延長上に、出版社との付き合いもあり、編集のボランティア仕事も出来した。山歩きを始めてからはそのかかわりによる友人との交遊も増えた。それらが、そのときどきに比重を変えながら、バラバラの存在していたのが、40歳を超えるころからひとつながりになって見てとれるようになり、かろうじて私自身が分裂しないで過ごすことができた。

 

 それを実現してくれたのが、「課題」別に完結するスタイルをつくることであったと、いまにして思う。生活習慣にしてきたことによって、かろうじて全面的なセルフネグレクトに陥らないで、今の暮らしをつづけていられるのだ。つまり、新聞の「投書子66歳」のように「セルフネグレクト」を病気のように言うまでもなく、我が性格にしてきたことを思うと、これから先、いつふたたびセルフネグレクト状態に戻らないとも限らない。

 

 高齢化するということは、障碍者になることだといつかも書き記した。何もかにもが不自由になる。不自由になることは、外から見ている人にとってはセルフネグレクトの「発症」だと思うだろう。認知症も然り。じつは「発症」ではなく、自然状態に戻るのだ。それはおそろしいことだとも言える。

 

 思えば、我が身の始末を考えなければならない時期が来ている。そういうことを言いだして、すでに何年かが過ぎている。にもかかわらず、本棚の片付けもまったく進んでいない。お客が来るときにはさすがに片づけはするが、そうでないときには、散らかしっぱなしだ。緩やかにセルフネグレクトが進行しているともいえる。

 

 そういうわけで、「山の会のプランニング」という「希望」は、文字通り「正気の私」の希望である。「本音の私」が出来するとしたらセルフネグレクトになることだ。そのときには、プランニングした山の集合時間・場所に私が現れないとき。「いよいよあいつもそうなったか」とメイフクを祈ってもらいたい。  


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