mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

80の壁

2024-02-24 09:16:13 | 日記
 昨日は男のストレッチの日。手術後の体調のこともあって慎重に構えていたが、だいぶ調子がいい。左腕を振り回したり身体をねじったりしなければいい。手抜きになるが身体を動かさないよりはいいだろう。ただ、その後の月例の飲み会はちょっと遠慮しようか。ま、今日の夕食はカミサンもいないことだし、ストレッチの気分で決めようかと、いい加減な気持ちで足を運んだ。
 私がペースメーカーを植え込んだことは、先週のお休みで一人に伝えていたから、みなさん気遣いねぎらってくれた。ところが、会員の一人オノさんが亡くなったと知らせが入った。11月まで顔を出していた。10月までは自転車でよたよたとやってきていたのに、11月は歩いてきたという。えっ、どうして? と聞くと、いや、自転車は転ぶと危なくてねと苦笑いをしている。生年は私と同じ。早生まれだから学齢ではひとつ上。でっぷりと太っているが、身体は柔らかい。ストレッチで前屈をしたら突き出たお腹が邪魔をするけれども、くにゃっと折り畳める。折り畳むとTシャツがずり上がって背中が露わになり、パンツも見えてしまう。そんなことに頓着しない、大雑把な方。
 膝が痛いという。あなたのように歩けないよと私の唯一の取り柄を褒めていた。以前には月例の飲み会にも顔を出していたが、ここ1年ほどは「遠慮しとくよ」と顔出ししなくなった。そうか、お酒も美味しくないのかと、私は彼の体調が変わっていくのを、我が身の変化を重ねて考えていた。
 一昨年は11月に「全休」、去年は7月と12月に「全休」。なんでそんな出欠を私が知っているか。私が「男のストレッチ」の会計をしているから。「月謝」を集めたかどうかを見れば、一目瞭然。「全休」の月は「月謝」が要らない。古い徴収名簿を見ると、いつ休んだかがわかる。そして今年、1月にも「全休」した。彼には半年ごとの「会計報告」を渡さなくてはならない。飲み会のメール・アドレスはあったから、彼に宛てて「どうした? 調子悪いの?」とメールを送った。応答はなかった。今月も顔を見せない。そこで、一番彼と親しかったYさんに消息を聞いた。Yさんも知らない。聞いとくわという。そして昨日のストレッチにきたYさんが「オノさん、亡くなったよ」という。えっ、どして? と驚く皆さんに、「心不全だって」と告げた。私の入院していた市立病院出なくなったという。なんだほんの近くにいてすれ違ったんだと思った。
 ストレッチが終わり、月例の飲み会で「献杯」をすることになった。出ざるべからず。昭和の16年と17年が4人もいる。オノさんは4人の中の2番目。私は4番目。3番目のHさんは「いよいよ近づいてきましたね」と、ストレッチが始まるとき私に声をかけた。そうだよね、私も危うく彼岸に渡るところをホルター心電図とその結果を診た医師の即座の判断でペースメーカーを植え込んで、難を逃れたところかも知れない。そう口にすると、もっと上が3人もいる、順番からするとそちらが先だと、4人中の1番目が答える。でも上の人たちは意気軒昂である。
 と誰かが、「80の壁だよ」と言った。そうだ、そういう言葉もあった。つい最近みた「最多死亡数」のグラフで言うと、男のそれは「88歳」、女のそれは「92歳」。そうか、百年人生の全体を眺めると「平均寿命」は八十路にかかると何の指標にもならない。それよりは「最多死亡数」のピークの方が、参考になる。健康寿命というのもあるが、「心不全」とか「心筋梗塞」とか「急性心臓死」などと言うことになると、いま健康かどうかさえ参照点にならない。身の大きな変化はたしかに「壁」があるように感じさせる。そこを超えるとまたしばらくはプラトーになり、次は「88の壁」になる。
 オノさんが何処に住まい、何を仕事にしてきたのかも、聞いたことはない。ただここ15年ほど、公民館の男のストレッチで顔を合わし挨拶を交わすだけの間であったが、同年代という親しみを感じていた。その彼が、何の挨拶もなく、さっさと彼岸に逝ってしまった。壁を超えるというよりは、高飛びのバーを飛び越えるときに、あの迫り出した腹がほんのちょっとバーに触れ、それがゆらゆらと揺れ動き、見上げていると僅かにバランスを崩してポロリと支柱のフックから外れてしまった、そんな風な気がした。
 手術中すでにペースメーカーが作動していましたよと執刀医がカミサンに告げたように、私の超えたバーは揺れて危うくフックに引っかかっていたってところか。あっ、いや、まだ一ヶ月は用心してくださいっていっていたから、まだバーは揺れているところかも知れない。

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