mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

自己の実存を自己承認する

2024-01-21 09:47:14 | 日記
 東洋経済オンラインに《「大型哺乳類の絶滅」が農耕社会への移行を促した》という熊谷元宏の論稿が紹介されていた。狩猟採集時代から農耕社会への転換がなぜ起こったかを考察したもの。考えてみると、旧石器から新石器へと時代が移ることを当然のこととして歴史を見てきたのは、近代的な時代変遷を見る目であって、どうしてそうなったのかを考えるのは、ヒトの習性をみる考察者(の時代)の無意識を意識化する作業だと思った。
「ホモ・サピエンス誕生から現在に至るまで、95%もの時間を農耕に頼らず生きてきた」人類がなぜ農耕を始めたかと、熊谷はその入口の問いを立てる。狩猟採集に比して農耕ははるかに過酷な知恵と集団的力と労力を必要とする。
 土をつくることひとつをとっても、土質、栄養素、保水力などの経験的知識の蓄積が必要だ。さらに種を植え、それが実るまでの、植物に関する知恵が欠かせない。それに加えて気候・気象の有為転変に対応して収穫を安定させるまでの経験も、失敗を重ねて継承していかねばならない。ただ単に種を植えて収穫するまでの、1年という周期を我慢するというだけでない時間差を待たなければならない。それが、狩猟採集のどちらかというと速戦即決のような短期的因果を超えるほどに必要とさせたのは、なぜだったのか。そういう自問をするところから、熊谷がスタートしている。
 余程のワケがあったに違いないという考察の結果が、何とも単純な大型哺乳類の絶滅であったという。拍子抜けするほどの結論である。さもあらんとワタシは感じてもいる。
 この時代、一万二千年ほど前の大型哺乳類って、何だ? マンモスか?
 生成AI・Bingに訊ねると、そのほかにナウマン象、サーベルタイガー、メガテリウム(ナマケモノの仲間)。そのほかに、オオツノシカ、オオカミ、バイソン、ヒョウなど、今も生き残っているものがあがっています。そのほかに、ギガントピテクス・ブラッキーという3メートルを超える類人猿がいて、絶滅したとありました。偏食と気候変動に適応できなかったため絶滅したとありましたが、さてこれが、ホモサピエンスの狩猟の対象になったものかどうかは、記されていません。うむ。
 熊谷は世界地図に狩猟採集が行われていた地域と農耕が始まった地域を色分けて落とし、狩猟採集地区とその端境にある農耕初源地区とに相関があることを手がかりにして、結論へと接近する。こういう大きな絵柄を問題にするときにワタシは、何がどう絶滅したかと子細に入り込むよりは、大雑把に狩猟採集の対象が激減し、食うに困るようになって農耕の方へ傾いたというので納得する感性を持っている。だが、研究者熊谷は、大型哺乳類の生物学的な脆弱性(性的成熟の期間、妊娠期間の長さ、子育て期間が長いこと)に踏み込む。ただ単にホモサピエンスによる乱獲による狩猟資源の喪失へ飛ばない。

《考古学および民族学的証拠からは、初期農耕民はそれ以前の狩猟採集民よりも労働時間が長く、食料消費量も多くなかったとわかっている。農業が狩猟採集よりも優れた生産方法だと考えるどんな理論も、この事実を説明することは難しい》

 そう回り道をして、狩猟採集が行き詰まり農耕へ転換せざるを得なかったと、もっとも単純な動機を導き出す。そのために、過去数万年の気候変動データを読み込み、大型哺乳類の絶滅と農業の発生に関するパネルデータを構築した、と。ここへ来ると門前の小僧は、そうか、何か大変な操作をして科学的・統計的に理路を開鑿しているのだなと、門内のことはワカラナイままにして、腑に落としてしまっている。
 農耕の起源が、ホモサピエンスの増殖をもたらし、余剰生産物が貧富の差を生み出し、階級や文化を次々と創り出す道を拓いたと、現代につながる物語をスタートさせてきた。だが、あらためてこうやって始原を指摘されてみると、「単純な結論」とワタシが理解しているのは、わが身の裡側にそれを受け容れる感受ベースがあったからではないか。そのベースとは、実はすでにその過程を何万年かかけて通り抜けてきた我が祖先の体験が、人類史的蓄積として我が身に刻まれているからではないか、そう思えてくる。
 その感受する感性も感覚も、それをセカイとして感知するセンサーも、さらにそれを人類史の一つの理路として認識するアタマも、すべてがあるがままにワタシであると受け止めている。これは、自己の実存を自己承認することに外ならない。

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