mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

五十肩? と思ったのに・・・女々しい、と。

2017-09-11 10:02:21 | 日記
 
 とうとう医者に行った。一週間ほど前から、左肩に痛みがある。夜寝るときに左を下にして寝たせいで、筋肉痛を起こしていると思っていた。割と空いていた山小屋だったから、窮屈にしてそうなったのではない。たぶん長い時間横になっていて、ごそごそとあっちへ向いたりこっちへ寝返ったりと体を動かしていたからそうなったと、思い込んでいた。家に帰ってからもまだ、痛みがつづく。二度目の五十肩だろうか。医者に行こうと思ったのは一昨日。だがすでに土曜日。今日の月曜日を待つほかなかった。
 
 医者が左手を持ちあげ、ここは痛いか? こちらではどうか? と細かく屋tt滅入ると、明らかに痛むところと痛まないところがある。ある個所などは、医者が支えてくれているからなんとか持ちあげられているものの、手を話したら、飛び上がるほど痛む。とても自分の力で腕を支えていられない。
 
 レントゲンを撮る。それを見ながら医者は「左肩のここに、これカルシュウムが溜まってるんですよ」と犯人を見つけたような、ちょっと確信的な物言いをする。そうして「これって、女性に多いんですよね」と付け加える。
 
「何か、生活習慣に起因するんでしょうか」と私。
「いや、それはないですね。ああ、食べ物によるってこともありません。加齢です」
 
 と、軽々と断定する。そうして、炎症を止める薬をくれた。三日間だけ、一日一回、空腹時に服用せよ。三日目にもう一度来院しなさい、と。この医者、割と身体の状況にそぐうように診断を下し、ダメなものはダメ、治らないものは治らない、わからないことはわからない、直すなら手術する大病院を紹介するとはっきりしているから、私は嫌いではない。腕を吊り下げ、できるだけ左腕を動かさないようにする吊り下げネットをつけてもらって引き上げた。
 
 隣にある薬局に行って、おや? と思う言葉を耳にする。
 
「石灰化しているのは左ですね?」
「ええっ? 石灰化? カルシュウムが溜まってるって聞いたんですが」
「ふんふん、これ、ステロイド剤。飲み方を先生から聞きましたか」
「空腹時にとか、毎日午前十時ころとか・・・」
「そう、それで呑んでください」
 
 カルシュウムと石灰化っておんなじことなんだと思ったのは、家に帰ってインターネットで調べてから。「カルシュウムが溜まっていると診断されたが、病名がわからない。誰か教えて」とネットの質問。それに対して、「肩関節石灰沈着性腱板炎」と名づけられている回答。ステロイド剤という炎症止めの薬の名前も記されていた。相談しているのは、ほぼ女性。男性の質問も「女房が・・・」と女性のクライアントのこと。やれやれ、どうして男の私が・・・と思わないでもないが、歳をとれば男も女もないよということか。それとも暮らし方が女々しいということか。また一つ病気持ちになった。

流言飛語の真実性(1)事実は実存に介在されて現実世界をつくる

2017-09-11 10:02:21 | 日記
 
 ウイリアム・バウンドストーン『クラウド時代の思考術』(青土社、2017年)に、いくつかの面白い(アメリカでの行動経済学者と経営学者の)調査結果が報告されていた。
 
(1-1)(アメリカ)国民を五分の一ずつに分け、それぞれの五分位階級が所有していると思う資産のパーセントを記してもらう。
(1-2)上記と現実のパーセントの差を示す。
(1-3)理想的な配分はどの程度かを訊ね、それぞれの五分位階級に割り振ってもらう。
 
 その結果(1-1)のおおよその%は、上位20%…58%、次ぐ20%…約20%、3位の20%…10%強、4位と5位の20%が…だいたい6%、3%ほどと出た。
 でも現実の(1-2)は、上位20%……84%、2位20%……10%強、3位20%……5%程度、あとは(0.1%、0.2%と)ゼロに等しかった。
 バウンドストーンは、一般の人々は現実の最上位階級と最貧階級との格差を20倍と(現実の840倍と比して)甘く実感している(*1)、と。そして(1-3)の理想的な分配については、上位20%…32%、次位20%…24%、3位20%…20%余、4位と5位20%…それぞれ10%前後と、「トップから最貧までの差異はほぼ3倍へと縮小していた」と記している。
 
 この理想的配分に関する見立て(1-3の結果)は、人々の欲望を表すと同時に、社会的公平性への感覚を表している。後者の感覚には、上位20%と最貧20%までの階級的な違いが、社会活動における寄与の違いへの評価として現れている(*2)。子細に(1-1)の結果と比べて見ると、上位20%の資産を少なくして、第3位の20%に倍の配分をすることを示している(*3)。
 
 (*1)のような実感が現れるのは、最貧20%の人たちも月々の収入を得ているからではないか。資産と所得を勘違いしている側面もあろう。所得については「未熟練労働者と大企業CEOの現実の所得と思われる比較」を調査した結果を並べている。調査は世界先進国40カ国で行われたが、アメリカのデータでは約30対1と見積もっていた。現実にはその10倍以上、354対1だというのに。同じ調査で「理想の所得」を訊いたところ、(アメリカでは)6・7対1であった。もうひとつ、この(*1)の「甘さ」が出るのは、社会や政治の制度が「民主主義」として浸透しているせいでもあろう(と思う)。アメリカの「民主主義」が理念的に掲げてきて教育され/学んできた人たちにとって「かくあるはず」という思い入れが、格差における「甘い」結果を引き出したのではないか。
 
 バウンドストーンは「保守的な人もリベラル派もともに、自分たちの理想とする所得配分は、スカンジナビアの理想的な社会保障制度に匹敵すると思う、と言っている点だ」と結論的に、まとめる。この人々の(理想とする配分にみる)「公平感覚」はおおむね(先進国)世界に共通するもののようだ。そういう意味で、人々の自然(じねん)に沿うかたちで社会政策が立案されていくことは、流言飛語的「現実世界」の感性に依拠するものであっても、悪くないと私は考えている。
 
 人々の「実感」に基づく「現実世界」の受け取り方が、「流言飛語」の元になっている。流言飛語というと、誤った認識と知的な人たちはいうが、統計データの示す「現実の事実」は、それを評価する人の立ち位置を含まない。どこから何の「現実」をみているかは、それぞれの人の立ち位置から見図られるものだ。その過程には「感覚」が介在し、その「現実」が訴求し、喚起する「わが現実世界」がそれぞれにある。たぶん、この流言蜚語的「現実世界」を「現実の事実」と比べて「知的でない」と受け止めたところに、アメリカのトランプ政権誕生のカギがあるように、私は思う。だが、それだけではない問題も指摘されている。(つづく)