mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

希望は自然に任せる白馬岳とは? (3)枠に収まらない子どもたち

2017-09-08 20:17:35 | 日記
 
 「他人事ですが……」と書いて済ませては、「希望は……」というメインのタイトルとどうつながるかわからない。もう少し踏み込んで考えてみよう。
 
 日野皓正のイベントにおける中学生の逸脱は、スウィングした結果であった。それ自体は、「場」の醸し出した雰囲気に過剰に適応したものともいえるから、「逸脱」とはいえ、「場」の運びや手順を狂わすかもしれないが、ぶち壊すものではない。だからその中学生は、後に謝罪し、その親は叱りつけてくれたことに感謝の言葉を述べたのであろう。そういう意味で私は、日野自身もスウィングし、「既定」の運びを壊すスウィングを一緒に愉しんでやればよかったのにと、外野からヤジを飛ばしたわけだ。だがこれが、このイベントそのものを壊す悪意を持ったものであったら、どうだったであろうか。
 
 日野皓正がスティックを取り上げて放り投げることができたのも、その中学生が日野皓正の指導に基本的には心服していたからであった。それが悪意に基づいていたら、その時点でたぶん、殴り合いになったかもしれない。そうならないにしても、楽器を蹴飛ばしたり、周りへ放り投げたり大暴れすれば、指揮者一人が事態を収拾するレベルを超えてしまう。学校などでは、そういうことが起こって「学級崩壊」とか「校内暴力」と言われていたわけだ。
 
 教師の「体罰」を論議するときに、しばしば忘れられている前提がある。それは生徒が(学びたくない)と思っていないのに、教師の指導力が不十分なためにその気持ちを(学びたい)に切り替えることができない、というものである。
 
 ★ 教師の指導力量
 
 たしかに教師の力量も「ある―なし」をひとくくりにできない。しかも、「教師の力量」というものに対する文科省の設定も世間の「期待」も一様ではない。文科省も世間も、多くは「学習能力の向上」を基本にしている。それが目に見える形は「進学実績」である。だが「進学に必要な能力」と「学習する能力」は必ずしも一致しない。それどころか、たいていの受験能力は記憶力で補える。それが限界にあると世界的な経済競争の視点から指摘され、従来の「詰め込み式」の学力養成を反省し、提唱されたのが「ゆとり教育」であった。しかしそれも、「学力なのか生活力なのか」とか「誰もが同じ学力をつける必要はないのか誰にでも保証するのか」などが論議され、拡散していった。「多様性」とか「命の大切さ」などと、時代の問題に応じてぶれ続けて、2000年代の後半には「ゆとり教育」の看板は取り下げられる破目になった。2002年に現場に降りて来てからわずか、5年ほどのことであった。
 
 だが現場の教師は「世間の期待」に左右される。文科省の方針論議などどこ吹く風。「進学実績」に奔走する。それに寄与する限りでの「自主的に学ぶ力」、「コツコツと(忍耐して)持続する力」、「協調して成し遂げる力」と、プラスの力量ばかりを見ている。なぜか。そうすると、学習能力の低い生徒も高い生徒も、教室という「場」の規範を保つことには逆らえないからである。そうした教室の規範び形成≒秩序を保つことについては、教員養成の力点項目に入っていない。あくまでも「特別活動」という、学校教育においてはオプションとみられている(これは文科省自体が、子どもが学ぼうとするのは当然と前提しているからだ)。
 
 だから教師は、OJT、つまり教師になってからの現場での経験によって、その腕を磨く。そうすると、当の教師の経てきた現場の特性によって、磨かれた「腕」には大きな違いが生じる。高校ではことに、学校間の学力格差、その土台となる地域の文化性の違い、それに伴う規範の落差と子どもの振る舞いの違いが大きい。いわゆる「進学校」に勤めてきた教師や高名な大学で学問を志してきた教師は、底辺校に来てすぐには役に立たない。他方で底辺校で生徒の「生活指導」に腐心してきた教師は、進学校に赴任すると、授業のコンテンツとその指導方法とにおいて、後れを取る。しかもその教師間の「違い」が教師の個性として(その現場の教師に、あるいは生徒に、さらにまた親たちに)受けたり受けなかったりする。「教師の力量」というのが(管理職や教育委員会あるいは親によって)どう評価されているのか、現場の教師にはわからない。(苛立った?)教育行政当局や管理職は、管理職の指揮権限を強め、教師たちへの指導に乗り出す。それがどのようなものであるかは、「国旗・国歌」を徹底しようとしたときの東京都のやり方をみればよく分かる。口パクをカウントするというなんとも「国旗・国歌」の趣旨に沿わない管理法であった。そんなことで、現場教師の「指導力量」が上がるわけがない。
 
 ★ 生徒は学ぶことをおのずから欲するか
 
 でもとりあえずそれはあとに回すとして、(生徒に関して)どうしてその前提――生徒が(学びたくない)と思っていないのに、教師の指導力が不十分なためにその気持ちを(学びたい)に切り替えることができない――が成り立つのか。生徒がそもそも「学校」に来ているじゃないか、というのが、たぶんその第一の理由であろう。それはそれで、悪い判断ではない。だが現実には、そうはいかない。学校に現れるときすでに子どもは、文化的な傾きを身に備えている。
 
 小学校を考えてみても、そこまでの6年間をどう過ごしてきたかが違いを分ける。親や兄弟姉妹の文化性が、まず影響する。もちろん遺伝的な資質的もあろう。背景にある親の学歴や職業、経済的な豊かさも関係しよう。親の視線もあろう。わが子の好奇心をどう見極めて育んできたか。兄弟姉妹の間でどう刺激を受け、あるいは損なわれ、育ってきたか。それらを「学習」と「生活習慣」においてみてみると、小学校入学段階ですでに大きな落差があることに気づく。「学習」という点に限ってみても、「わが子を三人とも東大に入れた」と誇らしげな母親の顔が浮かぶが、これは、母親の(子どもを内面から囲い込もうとする、ある意味では洗脳の)奮闘の記録であって、子どもの能力が伸びたという話ではない。それと同様に「わが子はこれほどに心優しく育てた」という母親の奮闘の記録が上梓されないのは、子どもをみるときの世間の価値基準の焦点がそこにはないからにほかならない。だが世間の親たちの大半は、後者の方に日常的な「かんけい」の価値をおいている。そこでは、子どもが大人たちとの「かんけい」ばかりでなく、それ以上に、子どもたちとの「かんけい」の中で育っていて、親はその「場」(の規範や秩序、寝食、身体)を保っているという直感的な見極めがある。暮らしに余裕のある親の側からすると、わが身やわが子の日常的なことよりも、将来的なことこそが「子ども」にとって重要なのだ。そこに、くり返される日常という自然(じねん)に焦点を当ててみていく存在の評価がない。大人にはないが、子どもは自然(じねん)を生きている。どんな状況に置かれようと、それ自体を与件として受け入れ、それを我が身の裡に組み込んで(何がしかの法則性をかたちづくりながら)存在することの直感を磨いているのだ。
 
 小学生ですらそうだ。高校生ともなると、これまた、その生徒にまつわるいろいろな要素が絡んで、ひとくくりにまとめることができない。高校くらいは出ていないと将来困ることになるよということくらいは、言われなくても分かる。でも勉強はしたくない。誰もかれもが高校へ行っているのに、自分だけ行かないと、遊ぶ友だちだっていなくなっちゃう。とりあえず、学校を起点にして友だちとつるもうか。あるいは、自分はまったく高校へ行く意味を感じないが、他にしたいこともないから、とりあえず進学した。あるいは単に親に心配をかけたくないから、とりあえず卒業しようと思っている子もいるだろう。
 
 おわかりだろうか。(学びたくないと思っているわけじゃない)を(学びたいと思う)に切り替えるのは、単に、教師の教える力量によるのではない。まず、高校に来るまでの長い生育歴中に培った生活文化が「存在することの直感」として土壌になっている。加えて、同級生をはじめとするそれぞれの高校の持っている文化的規範がぶつかり合う。長年培ってきて無意識の領域に刷り込まれた己の感性や感覚、あるいは人と向かい合うときの振る舞いとことばとその根拠、要するにまるごとの存在を意識化して吟味することによって、「じぶん」をかたちづくっている、この時期の生徒に多大な影響を与える。自分の若いころを振り返って、まず私は、そう思う。いま思うと、教師はほんのきっかけ。もちろん当時からすれば、大きな刺激をもった教師もいた。しかし高校という場が、語り合う友人も、図書館という避難所もふくめて自分に問いかけてきたものは、中学までの「教わったことを吐き出す」学習はそれほど重要でないということであった。
 
 西野亮廣『魔法のコンパス――道なき道の歩き方』(主婦の友社、2016年)は、共感するところの多い、面白い本だ。お笑い芸人らしいこの著者は、日常的なコトゴトを少しずらしてとらえることによって、まったく違った様相を持った取り組みに換えていくという「特技」を発揮して、娯しませる。その彼が、高校のときの勉強はまったく面白くなかった、と書いている。それは、教師が面白くなかったから――つまり、教師自身が見るからに面白く展開するのでなければ、教室にいる生徒が興味を持ちのめり込むはずがないと、卒業後に自分で図書館に通って自ら興味を持った領域にのめり込んでいった経験を記している。経験談だから、それはそれでわかるのだが、じつは彼のように感じている人がいつも見落としている事実が、一つある。それは、文字が読めるようになった、書けるようになった、話せるようになったのはどのようにしてかということだ。たいていの人は、気がついたら読み書きができるようになっていたところからしか、話さないからだ。
 
 もちろん彼のいうように、文字が読め、本を読みたい、文章を書けるようになりたいと思うような好奇心の発掘を学校の教師がもっぱら心がけよというのが、正解なのかもしれない。だがそこにいたる(たとえば)小学校一年生、一クラス30人の態様を想いうかべてみれば、とてもそれどころではないことが容易に想像できるだろう。私にはとても務まらないと、高校の教師であったり、大学で教えていたときに痛感したものだ。つまり、私は、私の言葉を理解できる人たちに向けて受けとめてくれと、手練手管を駆使して言葉を発することはしたけれども、受け止めようとしない生徒に対しては、放っておいたと言っていい。私のどこかに、勉強したくないものは高校に通うことはないと、見切るような気分があったのだと思う。長く定時制高校の教師をし、70年代の後半以降には、ほんとうに読み書きができない生徒が入学してくるようになって、読み書き算ができるようになるカリキュラムに組み換え、教師全員が教室に二人ずつ張り付いて授業を展開したこともあった。それでも、私の言葉を理解する生徒たちに出逢ったことを、感謝していたといえる。
 
 西野亮廣は面白い、社会活動のコーディネイターだ。商業主義に逆らうわけではないが、そのまんまに乗っかっているわけではない。ネットを通じて、イベントを企画し、資金を集め、参加する人たちがそれぞれの思いをかけられるように組み立てて、思わぬ企画を実現してしまう。でも彼は、外れてしまっている人たちを想定していない。もちろん社会活動であるから、外れている人たちは、顔も出さない。加わりはしないから、放っておいて誰も文句は言わないのだが、学校というのは、そうはいかない。私立高校ならば、契約だから(たとえば)煙草を吸うという逸脱を3回したら退学と決めておけば、それが通るであろう。だが、公立高校ではそうはいかない。まるで小さな子どもにしつけるように、(煙草を取り上げたり、教室から外へ排除したりする)「力」を行使しなければ教室の秩序が維持できないことも出来する。いや、その程度の「力」の行使で片づけば、幸いであった。生徒自身が暴力をふるい、教師を脅し、それに耐えられない教師は、むしろ多数であった。こうしたときに坂上忍のように「でも体罰はいいんですか」と一般論をぶつ人がいたら、「じゃあ、お前さんはどうすんだか、言えよ」と喰いつかれたにちがいない。
 
 こういう議論のベースを整えてやりとりをしないと、何を根拠にそう言っているのかわからないから、空中戦になる。そういうやりとりがこれまでの教育論議であった。もうそういうのをやめた方がいい。立ち位置と、どのような場で、どう行われる「体罰」かと限定して、一つひとつ丹念に解きほぐしてやりとりすることが必要だ。一般論で括りたがるが、それではいいか悪いかという判断しか残らない。