mukan's blog

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流言飛語の真実性(1)事実は実存に介在されて現実世界をつくる

2017-09-11 10:02:21 | 日記
 
 ウイリアム・バウンドストーン『クラウド時代の思考術』(青土社、2017年)に、いくつかの面白い(アメリカでの行動経済学者と経営学者の)調査結果が報告されていた。
 
(1-1)(アメリカ)国民を五分の一ずつに分け、それぞれの五分位階級が所有していると思う資産のパーセントを記してもらう。
(1-2)上記と現実のパーセントの差を示す。
(1-3)理想的な配分はどの程度かを訊ね、それぞれの五分位階級に割り振ってもらう。
 
 その結果(1-1)のおおよその%は、上位20%…58%、次ぐ20%…約20%、3位の20%…10%強、4位と5位の20%が…だいたい6%、3%ほどと出た。
 でも現実の(1-2)は、上位20%……84%、2位20%……10%強、3位20%……5%程度、あとは(0.1%、0.2%と)ゼロに等しかった。
 バウンドストーンは、一般の人々は現実の最上位階級と最貧階級との格差を20倍と(現実の840倍と比して)甘く実感している(*1)、と。そして(1-3)の理想的な分配については、上位20%…32%、次位20%…24%、3位20%…20%余、4位と5位20%…それぞれ10%前後と、「トップから最貧までの差異はほぼ3倍へと縮小していた」と記している。
 
 この理想的配分に関する見立て(1-3の結果)は、人々の欲望を表すと同時に、社会的公平性への感覚を表している。後者の感覚には、上位20%と最貧20%までの階級的な違いが、社会活動における寄与の違いへの評価として現れている(*2)。子細に(1-1)の結果と比べて見ると、上位20%の資産を少なくして、第3位の20%に倍の配分をすることを示している(*3)。
 
 (*1)のような実感が現れるのは、最貧20%の人たちも月々の収入を得ているからではないか。資産と所得を勘違いしている側面もあろう。所得については「未熟練労働者と大企業CEOの現実の所得と思われる比較」を調査した結果を並べている。調査は世界先進国40カ国で行われたが、アメリカのデータでは約30対1と見積もっていた。現実にはその10倍以上、354対1だというのに。同じ調査で「理想の所得」を訊いたところ、(アメリカでは)6・7対1であった。もうひとつ、この(*1)の「甘さ」が出るのは、社会や政治の制度が「民主主義」として浸透しているせいでもあろう(と思う)。アメリカの「民主主義」が理念的に掲げてきて教育され/学んできた人たちにとって「かくあるはず」という思い入れが、格差における「甘い」結果を引き出したのではないか。
 
 バウンドストーンは「保守的な人もリベラル派もともに、自分たちの理想とする所得配分は、スカンジナビアの理想的な社会保障制度に匹敵すると思う、と言っている点だ」と結論的に、まとめる。この人々の(理想とする配分にみる)「公平感覚」はおおむね(先進国)世界に共通するもののようだ。そういう意味で、人々の自然(じねん)に沿うかたちで社会政策が立案されていくことは、流言飛語的「現実世界」の感性に依拠するものであっても、悪くないと私は考えている。
 
 人々の「実感」に基づく「現実世界」の受け取り方が、「流言飛語」の元になっている。流言飛語というと、誤った認識と知的な人たちはいうが、統計データの示す「現実の事実」は、それを評価する人の立ち位置を含まない。どこから何の「現実」をみているかは、それぞれの人の立ち位置から見図られるものだ。その過程には「感覚」が介在し、その「現実」が訴求し、喚起する「わが現実世界」がそれぞれにある。たぶん、この流言蜚語的「現実世界」を「現実の事実」と比べて「知的でない」と受け止めたところに、アメリカのトランプ政権誕生のカギがあるように、私は思う。だが、それだけではない問題も指摘されている。(つづく)

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