mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

倍音が響く

2016-04-30 10:04:42 | 日記
 
 重松清『空より高く』(中公文庫、2015年)を読む。東京郊外のニュータウンの高校3年生の2学期の過ごし方を描くという、重松ワールドお得意の設定。廃校になる高校の最後の卒業生という設定以外にさしたる事件が起こるわけではない。さびれゆくニュータウンの人びとと廃校になる学校の生徒とがシンクロして、沈滞しながら緩やかに壊れてゆく日本の社会を象徴するような、気だるい日々が進行する。その中で、若い高校生がなにをバネにして生きようとするのかを描いた、といえば言える。
 
 重松の作品には、悪人が登場しない。ずるい人もこすっからい人もいやな人も登場しない。むろんそのような人がいないわけではなかろうが、それとなくほのめかされるだけで、顔をみせない。たとえそのような存在がいてもそれなりのワケがあり、ワケを知ると、そうだよなあそういうことってあるよなと、読む者が得心するところに落ち着かせる。重松の世界の見方がそうした「穏やかな世界」に満ち充ちている。そうして、ふと思うのだが、この「穏やかな世界」の感触は、この世代に特徴的なことなのではないか、と。
 
 重松は1963年生まれ。もう一人私が知る1966年生まれの劇団ぴゅあの主宰者萩原康節も、同じような「穏やかな世界」観を、劇作の中に表現してきた。彼らがものごころつくころ(といっても、ものごころつくのが何歳くらいなのかはひと口に言えないが、10歳くらいとみて)、日本は高度経済成長がひと段落して安定成長へと舵を切り、なおかつ環境改善にも力を入れ、省エネルギーを組み込んだ生産性向上を図っていた時代である。その後、80年代になるとジャパン・アズ・ナンバーワンといわれる地点に到達し、いわば人類史上いちばん物質的に豊かな大衆社会を体現した。その80年代に彼らは高校時代を終え大学生活を送り、バブル時代に職に就く。思えば、「穏やかな世界」を存分に体感して育ったのだ。
 
 むろん重松清も萩原康節も、フィクションに携わっている。世の中の裏表と移ろいの周縁をも目に入れていないはずがない。だが、体が覚えた「穏やかな世界」の感触は、言葉にならない部分を含めて、行間に、紙背に、舞台の立ち居振る舞いに、私たち、戦中生まれ戦後育ち世代が、言葉で感知するのとはことなる「なにか」を湛えているように感じられる。私は浅薄にも、その「なにか」を聞こえないようにして、彼らの作品に「感想」を述べたりしてきた。そこが違うんじゃないか。
 
 つまり、彼ら自身も(意識的には)計算していないところで、行間や紙背や立ち居振る舞いが表現していることとは、いわば音楽にいう「倍音」のようなもの。楽器が奏でる音の「譜面」に表現される音とは別の周波数の音が、演奏と同時に奏でられてしまう音がある。それが奥行きを感じさせ、ふくらみをもたせ、過ぎていった後に余韻を残す。さらにそれが、(現在までの)我が身の置かれた径庭と状況とに交錯して、身の裡に「なにか」が湧き起るのを感じることがある。それが私の暮らしの「明日」を支える一部になる。
 
 その「明日」とは、我が来し方をあらためて見てとることに繋がる。我が輪郭を描きとることがどれほどの意味を持つのかわからない。だが、意味があろうとなかろうと、「世界」を見て取ることに感じる悦びを味わえるのであれば、これほどの幸せはない。