さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

日産が気になりました…

2014-10-22 07:54:49 | ダイアリー

数日前日産から 外国人役員が次々に退任退社している との小さなニュースがありました。C.ゴーン社長が 次期社長は日本人から と周囲に漏らしているからだそうです。

そういえば ゴーンさんの日産の業績はどうでしたっけ…

C.ゴーン氏は、
1954 年ブラジルに生まれ、初等教育は父の母国レバノンで受け、高等教育はフランスで受け、20 代でミシュランの工場長になり、30 代でミシュラン・ブラジルや アメリカの社長に抜擢されたが、その後 ルノーに転職する。ルノーの副社長に昇進後、1997 年にルノーのベルギー工場閉鎖を 現地の労組の大反対にもめげずに強行する。その腕力を買われ、1999 年にルノーの子会社となった日産自動車の社長に就任した。日産を復活させた後、2005 年にルノーの社長に昇進したが、昇進後も日産の社長は兼務している方。

ゴーン氏ついては、日本ではあまり悪い評価は聞かないが、

・ゴーン氏の名を売った 1997 年のベルギーのルノー工場の閉鎖事件(後に、ベルギーでは労働協約違反、EUでは集団解雇指令違反の判決を受けたものもの)は、ルノー社内の評価とは裏腹に、その強引さは ルノーの欧州域内のイメージを傷つけた。

・日産自動車では ゴーン氏は ベルギーでの手法を広く展開し、戦前から続いていた宇宙航空事業の切り捨て、村山工場を含む 5工場を閉鎖、35 千人のリストラと強引な 下請け協力会社への コストダウンを敢行。 2003 年には社債発行残高はあるものの 有利子負債を 2兆円からゼロとし、また、マーケットシェアも 12% から 20% へと伸ばし 日産を復活させた。しかし 日産の研究開発はその範囲を 他社とは異なり こじんまりとしたものとした結果 以前のイメージ 技術の日産は消え、マーケットシェアも今はまた元の 12%ほどに逆戻り。コストカット、コストキラーの後遺症が スカイラインなどの高級仕様車づくりのイメージを 台無しにもしてしまっているようだ。

・円高継続と判断し、他社以上の速さで実施した工場の海外移転は 現在の円安では逆風下。中国への大々的に工場の転出は反日購買運動で当初の効果を見込めず、ロシアへの大きな投資も ロシアへの欧米の経済制裁による景気後退で半端ものとなっている。インドへの投資も性急すぎたといわれている。 スピード経営(役員会はあるもののゴーン氏は数名のフランス人の意見だけで経営判断しているともいわれている)は、労働組合が御用化したため可能だったのでしょうが 今度はスピード経営が災いに転じてきているのではと疑いたくもなる。

・ゴーン氏の年収は 10億円で欧米の一流企業のトップと比べて少ないというが、報酬は出勤時間ではなく業績が報酬の尺度とは分かっているが、ゴーン氏の日本への出勤は 月の 2,3日?だけでは やはり高額でしょう。

これらから 彼の評価は 2004 年まで + だが それ以降は - か・・・

ゴーン氏の 今後の 日産には注目です。
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