ただ、考えているだけでは、外からはわからない。具体的に行動を起こすなかで、その考えが状況にあっているかどうか、適切かどうかが問われてくる。
やらなければ、何もかんがえていないのと同じである。行動のなかで、考えがより深まり、また、新たな考えをうむこととなる。
人間は結局のところ動物であるから、動いてなんぼである。意識的に動こうとしなければ、それでも済んでしまう。楽な方向をとっていると、動く機会は減って行く。そういう生き方になっていく。
どう動くかということは、重要である。闇雲に動いても意味はなく、単純に疲れるだけのことだ。動くにあたって、動機を持ちたい。求める心が必要である。
そうはいっても、なんとなく、動くということもある。動く中で、発見がある。何らかの発見が必ずある。そこから出発していけばいい。
明確な目的が、はっきりすればいいが、そう簡単に目標が設定できない場合もある。だが、焦ることはない。やるべきことをやりながら、探すことはやめないのである。やめなければ、目標をさがしながら、何らかの行動は続く。
世間を眺めれば、疑問が生ずる。なぜそうなっているのか、なぜ、この困難があるのか。なぜ、人はいがみあうことをやめないのか。どうすれば、おたがいが気持ちよく暮らせるのだろうか。なにか具体的にやれることはないだろうか、と考える。
自分だけの欲望を満たすことのみ追求する人がいるとして、このような人は、満足のいく人生を送ることは不可能であろう。そこに、人との本当の共感は得られることがなく、たくさんの人に、苦しみと怒りをもたらし、結局本人自身も、本当の喜びを知ることもない。
相対的な、優越感であったり、財産の多寡であったり、そんなことだけが関心の対象であれば、真の人生の醍醐味を知ることはないだろう。薄っぺらな、人物であり、それでは成長ものぞめず、面白く楽しい人生とは無縁の人生を送ることとなるだろう。
そういう考え方も、具体的な行動を積み重ねるなかで、そのはかなさを、知ることとなる。自信のもてる、安定した考え方、思考方法は、動物として動き回り、人と人との関係のなかで、育まれ、成長し、把握され味わえることとなるのである。
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