空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

2022年01月01日 15時07分55秒 | 思考試行

 新しい年を迎えて、やはり何か気分が変わる。不思議なものだ。振り返ってみて、いつの間にか周りはすべて年下の人びとで、今の世の中をどうこうしている人びとは、概ね相当な年下である。

 吾輩はその間どうしていたのか、それなりに生きるのに一杯いっぱいでありながら、たいした成果もあげることなく、ただただ、生き延びてきたにすぎない。

 それでもこのブログにしてもかなりの期間細々であるが、続けてきたし、放送大学の名誉学生になったし、結構やってきたではないか、と言うこともできるかもしれない。

 だが、今年の年賀状を見ると、今年でもう年賀状はやめます、というような同年配の人の年賀状があり、人生の「整理」に入っている年代であることを否応なく感じさせられる雰囲気が漂い、小生としても、同様な気分があり、今年こそ、いよいよ積年の望みを実行し、いわば遺言として、世の中に何らかの役立つ言葉をのこさなければという思いが芽生えている。

 いま、世の中は、良くなる方向へ向かうか、それとも、滅びへの道を辿るのか、その分水嶺に立っているようにみえる。

 新年のテレビ番組では、橋下クンや松本クン、そして吉村クンの最近飛ぶ鳥を落とす勢いの維新の実力者がその「奮闘ぶり」を話していたが、彼らは、博打場を作ることや、戦争できる国にしたいことや、そのにこやかな顔にそぐわない、戦争をものともしない考えについても、共有していることを無視できない。

 今、日本は、公明党が政権与党によりそい、自民党は公明党の助けを得ながら、第二次世界大戦の日本の参戦について、基本的な考えとして義があったのだ、という信念のまま、昔の日本を取り戻そうとしている。そして、政治勢力は維新も含め、その潮流に合流している。怪しい宗教や戦争肯定の思想をもつ連中が政権の主流をなしている。 

 戦争の本当の悲惨さを知らず、憲法9条を変えることに躊躇する様子はない彼らの様子をみるとき、暗澹たる思いに襲われる。そうなれば、人類はおしまいで、これをなんとか止められないかと、ひっそりと念ずるばかりだ。

 戦争がどんな形となるのか、相手の姿を見ることなく、ただボタンを押すだけのことになるのか、人が実際に死ぬところをみることなく、人を殺すことになるのだろうが、どう考えても、どういう形であろうと、人類にとって、殺し合いが、必要であるとは思えない。

 具体の人間が、死ななければならない理由が、国家間の利害関係であることであってはならないのは当然のことである。健康な前途有為な若者達が、そして、国家利害など知る由もない国民が命や暮らしを脅かされるなどあってはならないことである。

 どうあっても、戦争はしないという立場から、何ができるのだろうか。国家として、その決意に立って、世界に臨むとなれば、何をすべきなのか。この道を人類は許さないのだろうか。

 真剣にその方策を探そうともしない現状、人命が粗末に扱われる思想が現実にあり、現実に人の扱いについて、とんでもない差別がある現状、まともにその課題を取り上げていない人類社会の実情をみれば、人類滅亡は充分ありえることであり、そうなるのも致し方ないのかもしれない。否、そんなはずはない、この状況から、人類は必ず生き延びる道を獲得するにちがいないと思いたい。

 


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