思いやりのない世界なんて、何の魅力もない。全ての人が、思いやりのできる人間になることができるならば、世界のあらかたの困難はなくなるだろう。
意味もなく、恨みをもったりはしない。そこには、原因がある。あるいは、悪意の扇動があるかもしれない。そういったものに騙されないぐらいの判断力、理解力、が主体的には求められるが、環境を作っている側の責任は大きい。
金儲け専一の価値観、自らと家族に特化した保身行動。しくみとして、貧者から、富者への富の移転構造。富者はますます富み、貧者は浮かび上がれない。こうしたことが撲滅されないと、その条件は揃わない。
人よりも、有利な条件を喜び、人の困難を平気で見過ごすようでは、こうした世界は望むべくもない。思いやりが、普通のこととなり、紛争を経済の仕組みにとりいれるような価値観をこれ以上ばらまいてはいけない。
自民党は多数の議席を得て、今、やりたい放題である。もう議論などする必要がないという態度である。なんでも思い通りになる。弱者切り捨て、戦争への道、カジノ、議論さえさせない。
形ばかりのすれ違いの議論に持ち込む。そもそも、意見を受け止め、検討する気などなく、まともに答える気はさらさらない。多数決でどうせ決まるのだから、まともに答える必要がないと思っているのだ。国民は、次のチャンスには、キチンと怒らなければならない。
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