世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

和解成立

2017年06月29日 | 100の力
「これにてこの裁判は終了します」

美しすぎる裁判官は、

「被告は原告に対し、〇〇を支払う」といった内容の

和解の主文を読み上げると

じっとボクの目を見てそう宣言した。


その間被告は終始顔をうつむけたままだった。


余りにボクの方だけを見て語りかけるように言うものだから、

思わず

「被告に対して言ってください」と言ったほどだ。


そういう訳で、

裁判は、

被告が全面的に支払いに応じるという形で

和解した。


       熊本地方裁判所前で


これで持って裁判は約一年で結審したことになる。


思ったより早かったのは

全て証拠が揃っていて、

被告が何も反論できなかったことに尽きる。


最初から結果は決まっていた出来レースだったわけだ。


それでも当初被告は、悪あがき(ウソをついて抵抗)を示したが、

どうにも動かしがたい契約書や領収書、メッセージのやり取りなど

証拠をつきつけられすぐに観念した。



判決に至れば分割返済という選択肢はなく、

和解により被告は分割して支払うことができるようになった。


ただそれには6~7年を要する。


今のところ、毎回裁判所で現金で支払いに応じているが、

これからは被告自身の意志による銀行振り込みになる。


長丁場なので、途中で返済が途切れる可能性がある。

その場合は強制執行ということになる。


あとは被告がつつがなく返済をしてくれることを願うのみである。



もうこれで、あの美しすぎる裁判官に会うことはない。

ボクは、ちょっと頼りなさげな裁判官に向かって

「ありがとうございました」と言って深々とお辞儀をした。

目を上げると、

彼女はボクを見て軽く頷いた。


それを確認するとボクは一抹の寂しさを覚えながら

法廷を後にした。


裁判官の目が心なしか潤んでいたように見えたのは錯覚だったのだろうか。
(いえ、錯覚です)




さて、今回の裁判を振り返ってみると、

訴状から、証拠集めまで弁護士抜きで一人でこなした。

いろいろとまた勉強になったし、

何よりもそのプロセスを楽しめた。
(加えて、裁判官に会えることも楽しみの一つだった)




また一つ「やればできる」という達成感を味合うことができたことも

さらなる自信につながる大きな収穫の一つだ。


我が身に降りかかる問題は尽きないけれど、

一つ一つ粘り強く取り組んでいけば、

解決できない問題はない。


いや、むしろ解決しないでもいい問題もあることに気付く。


正義の名に悖(もと)らないか、

天の声を確かめながら理路整然と詰めていく。


それは今話題の詰将棋に似ている。

冷静に、3~5歩(手)先を見据え、

相手の出方を想定して手を打っていく

理詰めの戦法だ。


決して焦らないこと。

むやみに妥協しないこと。


もちろん和解ということは、

相手の希望(分割という)を受け入れる必要はあった。

(ボクが被った心の痛手はなかなか癒えないけど、
被告に対する慰謝料の請求も放棄した)


相手を懲らしめる、

嫌がらせをするというような意図は全くない。


和解案に従ってちゃんと返済してくれればそれでいい。

単なる債権回収の手順を行っただけである。

それ以上は一切係らない。


ところで、

日本の裁判について思うに、

なぜ始まる前に宣誓をさせないのか。

ウソを言えば、偽証罪に問われることを明確にしないのか。


冒頭、書記官が事件番号をもごもごと早口で言うだけで、

起立もせず、

だらだらとけじめがないことに毎回違和感を覚えた。


どうも日本の裁判は、

厳格さに欠け、威厳を損なっているように思えてならない。










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