人は生涯に何度か自分の人生をかけた勝負に出ることがある。
転職や移住、起業するときは誰しもそうだろう。
結婚もその一つかもしれない。
今回もまた勝負をかける時だ。
新たな挑戦に全財産と全精力をかけている。
それも複数のことに。
失敗すればすべてを失うだろう。
退路を断って(cut off the retreat)背水の陣を敷く(burn one's boats/bridges )感がある。
―――――――――――――――――――――――――――――――
社会起業やNPOといったシステムは、
自分には大きな利益を生み出さない。
なぜなら、それはニッチの世界において社会奉仕やボランティアといった意味合いが強いからだ。
世のため人のためというなら、自分自身を犠牲にする覚悟がいることは言うまでもない。
その覚悟を決めた時、ボクは身震いがした。
人のためと言いながら、別の人を犠牲にすることになる。
人のためと言いながら、結局は自分の我を通すことになるのではないか。
自分のやりたいことをやって、楽しんでいるだけではないのか。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
ボクの心は愛に満ちている。
だがその矛先はどこに向いているのだろうか。
ふと考える。
自分自身なのではないだろうか。
家族に向けられているのだろうか。
否。
愛する人に向けられているだろうか。
そもそも愛する人は誰なのか。
家族、恋人、友人、他人・・・・・・。
改めて考えた時、自分の進む方向が間違っているような気がしてしまうのは何故だろう。
自分に自信を無くしてしまうのは何故だろう。
自分を偽善者だと思うのは何故だろう。
自分の心は一体どこにあるのだろうか。
移動の連続の日々の暮らし。
文字通り、地に足がついていない感は免れない。
一体自分は何をやっているのだろうか。
自分は一体何処へ行こうとしているのだろうか。
一世一代をかけた大勝負などと大見得を切ったところで
ボクに何ができるというのか。
何も大それたことなんかしてやしない。
自分の好きなことを、多くの人を犠牲にして楽しんでいるだけではないか。
批判や避難、悪口雑言の嵐の中で、
ボクは一体何に耐えようとしているのだろうか。
誹謗中傷と冷笑が浴びせられる。
それでもボクが進む先に光明を見出すことができるというのか。
今はそれを信じるしかない。
時に折れそうな弱さを引きづりながらも、前に進むしかない。
この瞬間に生きるしか術はない。
―――――――――――――――――――――――――――
「大切なのは、
どれだけたくさんのことをしたかではなく、
どれだけ心をこめたかです」 とマザーテレサは言った。
やろうとしていることの一つ一つに
ボクはどれだけ心を込めているのか。
彼女は言う。
「今、この瞬間幸せでいましょう。
それで十分です。
その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、他には何もいらないのです」と。
ならば今このままでいいのだろうか。
なぜならボクは今十分幸せだから。
「神にお仕えするためには、ごくありきたりな仕事を、
出来るだけ楽しく喜んで実行することです」
神を人に置き換えてみた。
お仕えを奉仕に置き換えてみた。
ならばそれでいいのだろうか。
「わたしたちは 大きなことはできません。
ただ、小さなことを大きな愛でするだけです」
それでいいのだ。
「愛は家庭から始まります。
まず、家庭から始めてください。
やがて外へと愛の輪が広がっていくでしょう」
家庭のないボクは、
家庭を仕事場に置き換えてみた。
フリートークに置き換えてみた。
「富に執着しているひと、そのために気苦労の絶えないひとは、じつはとても貧しいのです。
富を他のために用いるとき、そのひとは豊かに、とても豊かになります」
ボクのささやかな富を、今全て他のために捧げようとしている。
ボクの心は満たされようとしている。
「いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、
愛が原因で間違った方が素敵ね」
愛が原因でボクは間違うかもしれない。
それは素敵なことなんだ。
「神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。
ただ、挑戦することを望んでいるだけよ」
彼女はどこまでも優しい。
ボクは挑戦し続ける。
「100人に食べ物を与えることができなくても、
1人なら出来るでしょ?」
出来るかもしれない。
だからボクはそうしようとしている。
「 この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。
人から見放され、「自分は誰からも必要とされていない」と感じる事なのです」
ボクは誰からか必要とされているのだろうか。
「気にすることなく、最良のものを与え続けなさい…。
あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
けり返されるかもしれません。
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」
蹴り返されても与え続けます。
「あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい」
傷つきっぱなしです。
でも、ボクは自分に正直に生きる。
「善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなくし善を行い続けなさい」
「目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい」
「あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい」
その通りです。
善と思うことをやりぬこう。
気にしない、気にしない。
「人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい」
誤解を恐れず、いっぱい愛し続けよう。
それでいいのだ。
多くの人を同時に愛することを
人は気が多いという。
浮気性だとう罵(ののし)る。
人はなんとでも思わば思え。
人はなんとでも言わば言え。
ボクはただひたすら、我が道を行くのみ。
転職や移住、起業するときは誰しもそうだろう。
結婚もその一つかもしれない。
今回もまた勝負をかける時だ。
新たな挑戦に全財産と全精力をかけている。
それも複数のことに。
失敗すればすべてを失うだろう。
退路を断って(cut off the retreat)背水の陣を敷く(burn one's boats/bridges )感がある。
―――――――――――――――――――――――――――――――
社会起業やNPOといったシステムは、
自分には大きな利益を生み出さない。
なぜなら、それはニッチの世界において社会奉仕やボランティアといった意味合いが強いからだ。
世のため人のためというなら、自分自身を犠牲にする覚悟がいることは言うまでもない。
その覚悟を決めた時、ボクは身震いがした。
人のためと言いながら、別の人を犠牲にすることになる。
人のためと言いながら、結局は自分の我を通すことになるのではないか。
自分のやりたいことをやって、楽しんでいるだけではないのか。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
ボクの心は愛に満ちている。
だがその矛先はどこに向いているのだろうか。
ふと考える。
自分自身なのではないだろうか。
家族に向けられているのだろうか。
否。
愛する人に向けられているだろうか。
そもそも愛する人は誰なのか。
家族、恋人、友人、他人・・・・・・。
改めて考えた時、自分の進む方向が間違っているような気がしてしまうのは何故だろう。
自分に自信を無くしてしまうのは何故だろう。
自分を偽善者だと思うのは何故だろう。
自分の心は一体どこにあるのだろうか。
移動の連続の日々の暮らし。
文字通り、地に足がついていない感は免れない。
一体自分は何をやっているのだろうか。
自分は一体何処へ行こうとしているのだろうか。
一世一代をかけた大勝負などと大見得を切ったところで
ボクに何ができるというのか。
何も大それたことなんかしてやしない。
自分の好きなことを、多くの人を犠牲にして楽しんでいるだけではないか。
批判や避難、悪口雑言の嵐の中で、
ボクは一体何に耐えようとしているのだろうか。
誹謗中傷と冷笑が浴びせられる。
それでもボクが進む先に光明を見出すことができるというのか。
今はそれを信じるしかない。
時に折れそうな弱さを引きづりながらも、前に進むしかない。
この瞬間に生きるしか術はない。
―――――――――――――――――――――――――――
「大切なのは、
どれだけたくさんのことをしたかではなく、
どれだけ心をこめたかです」 とマザーテレサは言った。
やろうとしていることの一つ一つに
ボクはどれだけ心を込めているのか。
彼女は言う。
「今、この瞬間幸せでいましょう。
それで十分です。
その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、他には何もいらないのです」と。
ならば今このままでいいのだろうか。
なぜならボクは今十分幸せだから。
「神にお仕えするためには、ごくありきたりな仕事を、
出来るだけ楽しく喜んで実行することです」
神を人に置き換えてみた。
お仕えを奉仕に置き換えてみた。
ならばそれでいいのだろうか。
「わたしたちは 大きなことはできません。
ただ、小さなことを大きな愛でするだけです」
それでいいのだ。
「愛は家庭から始まります。
まず、家庭から始めてください。
やがて外へと愛の輪が広がっていくでしょう」
家庭のないボクは、
家庭を仕事場に置き換えてみた。
フリートークに置き換えてみた。
「富に執着しているひと、そのために気苦労の絶えないひとは、じつはとても貧しいのです。
富を他のために用いるとき、そのひとは豊かに、とても豊かになります」
ボクのささやかな富を、今全て他のために捧げようとしている。
ボクの心は満たされようとしている。
「いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、
愛が原因で間違った方が素敵ね」
愛が原因でボクは間違うかもしれない。
それは素敵なことなんだ。
「神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。
ただ、挑戦することを望んでいるだけよ」
彼女はどこまでも優しい。
ボクは挑戦し続ける。
「100人に食べ物を与えることができなくても、
1人なら出来るでしょ?」
出来るかもしれない。
だからボクはそうしようとしている。
「 この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。
人から見放され、「自分は誰からも必要とされていない」と感じる事なのです」
ボクは誰からか必要とされているのだろうか。
「気にすることなく、最良のものを与え続けなさい…。
あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
けり返されるかもしれません。
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」
蹴り返されても与え続けます。
「あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい」
傷つきっぱなしです。
でも、ボクは自分に正直に生きる。
「善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなくし善を行い続けなさい」
「目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい」
「あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい」
その通りです。
善と思うことをやりぬこう。
気にしない、気にしない。
「人は不合理、非論理、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい」
誤解を恐れず、いっぱい愛し続けよう。
それでいいのだ。
多くの人を同時に愛することを
人は気が多いという。
浮気性だとう罵(ののし)る。
人はなんとでも思わば思え。
人はなんとでも言わば言え。
ボクはただひたすら、我が道を行くのみ。