世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ベトナム研究会

2013年06月14日 | 国際
『ベトナム研究会』を立ち上げました。

略して「べト研」



ベトナムにかかわって5年が過ぎた。


きっかけは5年前のJICAでの派遣だったが、

学生時代から べ平連に加担して活動して、

ベトナム戦争を遠巻きながら経験した。


べ平連とは、

「ベトナムに平和を!市民連合」の略で、

1965年(昭和40)ベトナム戦争に反対する無党派市民により組織された反戦運動団体である。

戦争終結とともに74年解散。


「ベトナム戦争反戦平和運動団体」といっても規約も会員名簿もなく、

何らかの形で平和運動に参加した人や団体を「ベ平連」と呼んだ。


ボクもその中の一人だった。



ベトナム戦争を知らないベトナムの若者も多い。


ベトナム戦争とは、ベトナムの独立と統一をめぐる戦争(1960年代から70年にかけて)である。


1960年結成された南ベトナム解放民族戦線は、

北ベトナムの支援のもとに、南ベトナム軍およびこれを支援するアメリカ軍と戦い、

69年臨時革命政府を樹立。

73年和平協定が成立しアメリカ軍が撤退、

75年南ベトナム政府が崩壊、翌年に南北が統一された。


※ 詳しくは末尾で。




ボクは戦争(第二次世界大戦)を知らない子供たちとしてこの世に生を得た。


フォークソング「戦争を知らない子供たち」(作詞・北山修、作曲・杉田二郎、唄・ジローズ)は、

戦後生まれの、戦争を知らない乾いた世代の哀愁を唄った歌である。



そんな中、ボクは学生運動に傾倒し、

戦争反対運動にも加担したのだ。



その後のボクの関心は

ベトナムの英雄、ホーチミンではなく


キューバの英雄、チェ・ゲバラへと向かっていった。


そして、忘れもしない1970年、大阪万国の年、

ボクは万博会場のキューバ館に潜入し、

「キューバ亡命事件」を起こすが奇しくも(strangely)失敗してしまう。



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それ以来、ベトナムのことはすっかり忘れていた。


世界一周の時も、ベトナムは外した。

その時いったのはタイだけだった。

東南アジアそのものを外して回ったといえる。


いつでも行けると思ったからだ。

それに家族で行くところではない、とも。




それから幾星霜、再びベトナムがボクの中で蘇ってきたのだ。


東南アジアは一人旅がよく似合う。

そして、そう思い描いた通りに今活動している。



既にこの5年間のあいだに20数ベトナムを回訪問してきた。


その間、全てとは言わないが、要所はほとんど回った。

お蔭で随分と詳しくなった。



今年に入ってハノイにお店をオープンさせ、

さらにNPO設立に向けてボクの活動は一気に加速した。


それにつれて、現地のベトナム人との付き合いも徐々に増えてきた。


今まで英語一本で接してきたが、今強くベトナム語の必要性を感じている。



そこで『ベトナム研究会(べト研)』を立ち上げることにしたのだ。



どういう内容かというと、ベトナムに関するすべてのことを学んでいこうというもの。

それは、文化、経済、政治、言語を含むすべてだ。


幸い熊本には強い味方がいる。

学生時代から起業しているベトナム人女性だ。


数日前彼女と会って話をした。

NPOのメンバーにも入ってくれた。


これから一緒に活動していく機会が増えるだろう。


同じ仲間で、

今月、バンミーの店をオープンさせた人がいる。


バンミーとはベトナムのフランスパン使ったサンドイッチのことだ。





そこでボクは、ベトナムのカフェ&雑貨店をオープンすることにした。

アオザイを着てベトナム人に働いてもらう場を作るのだ。


熊本に来るベトナム人はどんどん増える傾向にある。


またそのルートと受け入れ先を作るのもボクの役目だ。


とりあえず今日、大学生のベトナム人と会うことになっている。


さてさて、これからどういう展開を見せていくのかが楽しみだ。




【参照】


ベトナム戦争


     ヒューリッツア賞に輝いたベトナム戦争の写真


アメリカが北ベトナムを爆撃して、拡大していった戦争だ。

当時、北ベトナムはソ連や中国の支援を受けていた。

これに対し、アメリカは南ベトナムを支援していた。


1965年、社会主義の拡大を恐れたアメリカは、この北ベトナムを攻撃した。

アメリカは「北ベトナムはすぐに降伏する」と思っていたのだ。



ところが、予想外に戦争は長期化した。

北ベトナムは、アメリカが思う以上に強敵だった。

ついにはベトナム戦争はゲリラ戦になった。

そして、ジャングルでの戦いが始まった。

民間人も軍人も関係なく、子供までもが戦争に巻き込まれた。


北ベトナムの兵士は、ジャングルに隠れてアメリカを攻撃した。

そこで、アメリカは枯葉剤を空中から散布し、ベトナムの森林を破壊しようとした。


「ベトナムをまるはだかにして兵士の隠れるところをなくそう」としたのだ。

しかも、この際に使用された枯葉剤には、猛毒のダイオキシンが含まれていた。


このあと、ベトナムでは奇形児や障害児がたくさん生まれるようになった。


しかし、そんなにしても、アメリカはベトナム戦争で勝利をあげることができなかった。

というのは、内外の反対運動と経済的負担のために、アメリカは戦争を続けられなくなったのだ。



1973年1月27日、ベトナム和平協定が調印される。

そして、その2ヵ月後の3月29日 ベトナムからアメリカ軍の撤収が完了した。


アメリカはベトナム戦争に「敗北」したのだ。

アメリカがいなくなったあと、ベトナムは北ベトナムによって統一された。

これが現在のベトナム社会主義共和国だ。    (weblioから抜粋)

6月13日(木)のつぶやき

2013年06月14日 | 音楽

”Aso International Village” を熊本県阿蘇郡西原村に開設いたしました。

Opened the "Aso International Village" in Nishihara-Village,... fb.me/Xpm6ZuZj