世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

子育ては12まで?

2012年08月27日 | 教育
去年の今日、つまり8月最後の月曜日

ある家族と海水浴に行った。


小学6年生の女の子と高校3年の男の子、

そしてその母親、飼い犬も一緒だった。


いわゆる母子家庭の子供たちは

家族旅行も、海水浴もほとんど経験がなかった。


そこで一念発起して、疑似家族4人と犬一匹の

日帰り海水浴旅行とと相成ったのだった。




そして、今年、

女の子は中学生になり、

息子は高校を卒業した後、


一旦は就職して東京へと旅立った。


だが、せっかく正社員として食を得たにもかかわらず


3か月足らずで会社を飛び出し母の元へ帰ってきた。



今は押しも押されぬプータローだ。


中学生になった娘も

習い事や友達との付き合い(?)に忙しく


どこか連れて行きたくても最早とても家族旅行という雰囲気ではない。




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彼女の子供たちを見る時

決まってボクの子供の姿がフラッシュバックする。



思えば、ボクの子供たちも

無条件に親についてくるのも小学生までだった。



特に、娘に至っては

中学生になると突然父親のボクとは距離を置きだした。


息子が高校3年でアメリカに渡ってからは

母親べったりになってしまった。





それまで子供たちとは24時間、365日一緒に過ごした。


仕事場と生活の場が一緒だったので手伝いも小さいうちからさせた。


そうしたことにも素直だった。



その延長線上に400日間の家族世界一周があった。

この400日間は片時も子供たちと離れることはなかった。


貴重な経験だった。




そういえば、子供たちには反抗期らしきものはなかったように思う。


娘も高校を卒業するとアメリカへと留学した。

そして、先月結婚した。


順調に親の手を離れ、自活してくれている。



子供たちに感謝するとともに一抹の寂しさは否めない。



だが、その分小学生までに一緒に過ごした思い出は

鮮烈に心に焼き付いている。




―――――――――――――――――――――――――――――

ボクが言いたいのは、

子供が小学生までは出来るだけ一緒に過ごしてほしい、

ということだ。



どんなに親が子離れできなくても、

子供は独立していく。



「親孝行した時には親はなし」、といわれるが

「子育てをしたいときには子はいない」、といえる昨今だろう。



子育ては大変だ。

だからこそ楽しい。


手塩にかけた子供はいつまでも愛くるしいし、

子供も親を見放さないだろう。



子育てをアウトソーシングすれば、

年老いた親もアウトソーシングされるのは

当然のの巡り合わせだ。




ボクにも小さいころ両親がいなかった時期があった。


祖母に育てられた。

だから、祖母の胸の温もりは覚えている。


母の胸の温もりと

父親の温かい眼差しを感じて育った子に間違いは少ないように思う。



「乳幼児は肌を話さず、

幼児期は手を離さず、

少年期は目を離さず、

青年期は心を離さず」



という格言もある。





逆に今、

30,40,50代になって親元を離れられない

パラサイトシングルも多い。



「親離れしてほしくても、子はベッタリ」


結婚も、独立もできない、

あるいは、しようとしない大きな子供たちが何と多いことか。


大人になり切れない子供たち。





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夏の終わりにはどこかうら淋しい。

秋風とともにいつも何かを置き忘れてきたかのような感覚に襲われる。


子育ても、また然りかな。





【補足】

子育てについて語るとき、

常に脳裏にあるのは前妻との娘のことだ。



ボクは、彼女が4才の時に子育てを放棄した。


空白の23年間が過ぎて再会した後も紆余曲折があった。


今はときどき会い、メールや電話も欠かさない。

出来るものであるなら23年間の空白の穴を埋めたい。


虫のいい話ではあるが。



幸いにも前妻の愛と厳しさに支えられて

彼女は立派に育ち

家族を持ち逞しく生きている。




後ろめたさを死ぬまで引きずり続けるだろう。

だから子育てに関してとても偉そうに言えた柄じゃない。



だけど、これだけは言える。


3人の子供たちを心から愛している、と。

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