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世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

教育革命

2012年10月15日 | 教育
国民性や国の品位、民度は、その国の教育の仕方で決まる。


何をどう教えるか。

それによって個人レベルはもちろん、国民意識を大きく左右する。


特に、歴史と英語の影響力は大きい。


日本における英語教育の失敗は誰もが認めるところだ。

つまり、受験英語を偏重した結果、

日本人の英会話力は世界で最も低い水準にあることは今や周知の事実だ。


特に、正解を一つとする思考方法が、応用力を極端に低下させている。

世の中には、正解が複数あるもの、

あるいは、正解がないもの(こと)の方が多いというのに。



英語を教える時

何故文法(Gramer)を切り離して教えるのか。


英語の授業も、英会話を重点的に教えながら、

英文(読み・書き)、文法を平行して教えるべきである。


特に小中学校においてはそうしなければ、

苦手意識を助長し、いつまでたってもしゃべれない国民として踏みとどまってしまう。


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もう一つの教科は、歴史だ。

学生の時から思っていたことがある。


何故日本史と世界史を別々に教えるのか、と。


既に教育関係の一部からは

世界史と日本史を統合し、「歴史基礎」という新しい必修の科目を作るという案がでている。


つまり、

日本史を世界史と切り離して一国史的に教える傾向があるが、

日本史で外国が描かれるのは戦争や交流があった時だけ。

かたや、世界史のアジア史の項には日本がほとんど出てこない。


これではまるで日本が他国と関係なく歴史を刻んでいるかのようだ。


特にグローバル化の時代を生きる若者には、

異文化を理解し、共生する姿勢を育む必要がある。

そのために、世界史の中に日本史を位置づけて教えるべきなのだ。


その中で自分なりの考えを持てる人間を育てなければ、

国際社会で発信力のある日本人はできない。


つまり、相手と議論するには、相手の立場を知らなければどうしようもない。


そのためにも近現代と東アジアを中心に、

世界の中の日本を学ぶ歴史教育にしなければならない。



なんと、世界史と日本史が分かれたのは、

明治政府が「国史」と「万国史」を分けて以来という。

近代国家として発展する中で「国史」が国の威信を高めるのに使われたと指摘される。


もうそんな時代ではない。

海の向こうの金融危機が国内の雇用に響く。

経済ひとつとっても自国の中では完結しない。


必要なのは、退屈な丸暗記ではない。

「いま」を考えるのに役立つ勉強だ。 (一部朝日新聞・社説より)



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無駄を省いた教科の統合とともに

加えて、全教科に英語を取り入れることも検討してしかるべき時代である。



歴史と地理は深く関係する。


化学と物理、地学、天文学も統合できるところは統合する。


古典と歴史もどうか。



学校の授業のコマ数は決まっている。

その制約の中でどう充実させるかが問われる。



問題は、先生の質だ。

小学校に英語を取り入れただけで、あたふたとする現状。

統合と英語化に対応できる人材は極端に少ない。


まず、先生の質を高めることが先決かもしれない。

だが、一日も早い改革が迫られる。


世界の動きは待ってはくれない。

政治も経済も決断の遅さが命取りになっている。


整理して無駄を省けば大事な時代に時間を割ける。

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