京料理 道楽のブログ

道楽の新着情報や、日常のちょっとした一言を書き込んでいきます。

【日々是好日】

2008-11-29 | Weblog
最も有名な禅語のひとつで『にちにちこれこうにち』と読みます。
ぼくも、気付いたら来年五十路(いそじ)を迎えます。
振り返れれば、正に`光陰矢のごとし'、自分なりに、毎日を懸命に生きて参りました。
この雲門(うんもん)禅師の「日々是好日」とは、人間生きておれば、楽しく嬉しい日もあれば、辛く悲しい日もあり、苦しみや不安や怒りの時もあるでしょう。毎日が幸せやなぁと感じられるわけではありませんけど、過去も現在も未来も含めて、全て素晴らしい良き日と捉えて生きていこう、という意味やと思てます。
ぼく自身これからも、一日一日が充実した最良の日となるよう、悔いのない日々を過ごせように生きていければなぁと考えております。
◆先日、道楽特製御歳暮を御注文賜りました方々には、この場をもちまして厚く御礼申上げます。本日一品ずつ丁寧に心を込めてお作り致しました。有難うございました。

『食』

2008-11-27 | Weblog
昨日、朝日新聞朝刊京都面では、「京料理七十二候」を大きくとりあげて下さいまして、関係各位には厚く御礼申上げます。
記事を御覧になられました方々が、現代の【食】のあり方について、今一度御考えいただける切っ掛けになったら、心より幸いに存じます。
ここへきて、何かと問題となる安全面は基(もと)より、手作りのあったかい料理を家族団欒でいただくひととき、以前にお話いたしました土産土法、天の恵みに対する感謝、素材を慈しむ気持ち、無駄なく使いきり食べきること等々 現代社会では、ついつい時間におわれ、疎かになりがちですけど、ぼくは何より大事なことやと思てます。

虹蔵不見(にじかくれてみえず)

2008-11-25 | Weblog
連休も終わり、京都も普段の落着いた様子に戻りました。
今は七十二候の【虹蔵不見】にあたり、冬へ向かい空の陽気も失せ、虹も見られなくなる時節を言います。
ぼちぼち美味しい冬野菜が出回り始めてきました。聖護院かぶらや聖護院大根、海老芋、金時人参などの根菜、水菜や菊菜などの菜っ葉等々。同時にお魚も身がしまって美味しなってくるので、この季節の食材には事欠きません。食材が豊富にあると、料理もあれやこれやといろいろ考えられ、その料理に合う器を選んで献立をたてるのもまた楽しいもんです。
◆明日26日(水)の朝日新聞朝刊【京都】の紙面に『京料理七十二候』の記事が載りますので、御覧いただけますれば、幸いに存じ上げます。

11/26(水)朝日新聞朝刊

2008-11-24 | Weblog
先日、朝日新聞京都総局の村瀬様が【京料理七十二候】の取材にお運び下さいました。
『食』というものが、人にとってどれだけ大切なものなのか、一昔前の『食』の形態が崩れ、本来『食』のあるべき姿を、今一度見直さないといけないのではなかろうか、というような『食』に纏(まつ)わる様々な想いをお話させていただきました。村瀬様も、同じようなお考えをお持ちだったご様子で、時の経つのも忘れ、お話さしていただきました。
◆11/26(水)の朝日新聞朝刊に掲載予定ですので、御覧下さいますれば幸いに存じ上げます。

賑わい・お詫び

2008-11-24 | Weblog
昨日は、紅葉狩りのピークで、京都にえらい仰山の人がおこしになったようで、東福寺さんの通天橋は、京都屈指の紅葉の名所として人口に膾炙(かいしゃ)しており、例年のことながら、実によおけの人で賑わい、うちにお運びのお客様のお話ですと、通天橋に辿り着くまでには優に一時間はかかったそうです。道路も至る所で大渋滞となってた模様です。
うちの店にも、切れ間が無いくらいのお電話での御問合せや、ようけのお客様にお運びいただきましたが、生憎(あいにく)以前より御予約賜わっておりましたお客様で満室の状態で、料理は御予約分のみ仕入れて仕込みますもので、当日直接おこしの方々に、御入店していただくことが出来ませんでしたこと、心より深謝申上げます。
有難うございました。

小雪(しょうせつ)

2008-11-22 | Weblog
今日は二十四節気の小雪です。小雪とは「雪未(いま)だ大ならず」の意味で、山の頂きには白銀の雪が見られても、街中には本格的な降雪はまだなくて、寒さもさほど厳しくなってない時節です。間も無く京都盆地特有の「底冷え」がする冬の到来です。
この連休も、仰山の観光客の人達が京都においでですけど、今年の紅葉狩りもぼちぼちおしまいの時期となりました。

古老柿膾(ころがきなます)

2008-11-21 | Weblog
古老柿が出回る時分になりました。山城の方でもたんと作ったはります。
昔から古老柿の膾は御家庭で作られてた料理です。大根とその半量の金時人参をせんぎりにして、塩をふってしんなりするまでおいときます。しんなりとしてきたら金時人参はさっと湯通ししておきます。大根は布に包んで揉みながらよく絞り、人参も切れない程度に絞ります。胡麻を焙烙(ほうらく)で煎って、擂り鉢ですり、そこに橙(だいだい)果汁・お酢・煮切り酒・煮切り味醂を加え、絞った大根と金時人参を和えて薄口醤油をちょこっと入れます。古老柿はへたと種を除いて、手で裂いてたっぷりと混ぜ合わせます。暫く馴染ませてからいただきましょう。水前寺海苔を一晩水に浸してもどしせんぎりにしたのと、水菜をさっとゆがいて適当に切ったのを加えると、彩(いろど)りがうんとようなります。

道楽特製御歳暮詰合

2008-11-21 | Weblog
京都高島屋さんより、道楽特製御歳暮詰合を50セットの御依頼がありまして、月末に仕上げる段取りでございます。
内容は『活鮑(あわび)の蒸し煮』『合鴨ロース』『からすみ』『栗渋皮煮』『丹波葡萄豆』『ちりめん山椒』『椎茸煮』でございます。
鮑は活きたものを5時間半蒸し上げお昆布でじっくり煮含めます。当日しめて捌いた合鴨の抱き身は、皮をこんがり焼いて、調味汁に浸して蒸し上げ、辛子を溶き入れます。からすみは、道楽特製です。栗はブランデー風味の渋皮煮に仕上げます。葡萄豆は一晩水に漬け粒を選別して、やわらこうなるまでゆがいて、冷めてから水を換え、少しづつ糖度を増やし煮含めます。ちりめん山椒は伝承の製法です。干椎茸はもどして山椒と共に炊き上げたものです。時間が掛かるものから仕込み始めていくところです。
入物は、上部に金の落款を施したオリジナルの桐箱で、それぞれの内容説明を書き添え、価格は1セット¥31,500圓でございます。
◆道楽特製御歳暮詰合を御希望の方は11/27までに御問合せ下さいませ。

『目の眼』撮影

2008-11-19 | Weblog
今日は朝から『目の眼』の撮影がありました。来年号から【きょうのお菓子】という連載が始まります。先日一月号の「葩餅は(なびらもち)」の撮影を済ませて、今回は二月号の「いもするめ」です。一月号では「葩餅」の由来や作り方のお話で、永楽即全さんの華やかな「扇透し鉢」に盛り付けました。お正月のおめでたい雰囲気が満ち溢れた写真となりました。今回の撮影では、幕末の名工、仁阿弥道八さんの「雪竹手鉢」に炙った「いもするめ」を盛り付けました。こちらも器と調和して、素朴でもっさりした感じをうまく表現できましたので、どうぞ紙面をお楽しみに。
里文出版の井藤さんと安藤カメラマンは、このあと名古屋にて、上坂冬子先生の食べ歩きの連載の撮影に向かわれました。上坂先生の『目の眼』における文章は、いつもとっても面白くて楽しいお話ばかりで、ぼくも連載なさっておられる時は、毎月心待ちにし、真っ先に拝読致しております。

【一点雪】

2008-11-17 | Weblog
これから寒い冬へと向かいます。冬のお茶会に参りますと【紅炉一点雪(こうろいってんのゆき)】というお掛け物に出合うことがあります。この句は碧巌録からの引用で、『紅炉上如一点雪(こうろのうえいってんのゆきのごとし)』を略したもので、そのままの意味は「真っ赤に燃え盛る暖炉の上に一片(ひとひら)の雪が舞い落ちて来て一瞬にして解け消えゆく」ということです。真っ赤な炎に真っ白な雪のコントラストを想像するだけで美しく思います。
人の一生も、地球や宇宙の時間からみれば、この雪のごとき一瞬のものです。そんなはかない命やからこそ、精一杯生きて天寿をまっとうしたいもんです。
禅的な解釈は、碧巌録に「荊棘林透衲僧家、紅炉上如一点雪」とあり、修行僧が荊(いばら)の林を通りぬけて来ても、解けてしまう一点の雪のように何の痕跡も残さないというものです。衣がボロボロになって、如何にも大変な道を苦労して歩んできたように見えるのは修行が足りないということで、どんなに苦しく困難な道を歩んで来ても、そんな様子は些かも見せずに、涼しい顔でいるというのが、修行の目指す姿であるといった意味でしょう。
確かに生きていくことは、辛く苦しいこともいっぱいありますけど、この教えのように生きていきたいもんです。
『碧巌録』とは、全十巻に及ぶ中国宋時代のもので、その中から抜粋された様々な句が、お茶席の掛け物によく用いられます。うちにも春屋宗園の掛け物があります。春屋宗園(1529~1611)とは大徳寺の111世で、塔頭三玄院と龍光院を開山し、千利休・古田織部・小堀遠州等の帰依を受ける。利休の孫宗旦を育てたとされる臨済僧です。