京料理 道楽のブログ

道楽の新着情報や、日常のちょっとした一言を書き込んでいきます。

もみじがり

2008-11-17 | Weblog
京都は至るところに紅葉の名勝があり、只今錦秋真っ盛りです。
ぼくは、毎年【神護寺】に紅葉狩に行って、その見事な景勝を楽しんでます。
そして、茶席のお干菓子も今の時期ならではの『吹き寄せ』です。茶室の空間に、ぱぁーと綾錦の雰囲気が漂います。亀屋伊織さんのお干菓子は、いつもながらほんまに素晴らしいなぁと思います。

【真味倶楽部】

2008-11-16 | Weblog
昨夜は、毎月恒例の美食会【真味倶楽部】の開催日でした。
新しいお客様も御参加下さいまして、和やかで楽しい雰囲気での御食事会となりました。器は歴代楽さんと永楽さんの鉢を数点用いました。お料理も総て、御好評でお気に召していただけた御様子でした。今回のお酒は、黒龍の大吟醸と梅酒を御用意致しましたところ、皆さんかなりすすんでおいでで、梅酒は大層お喜びになられてました。
この日は、別席に止事無き(やんごとなき)お客様も起こしになられており、ぼくもお座敷と板場を奔走しておりました。
★美食の会【真味倶楽部】に御参加を御希望の方は、お電話・メールにて御問合せ下さいませ。

【裂古破今】

2008-11-16 | Weblog
『古(いにしえ)を裂(さ)き今を破(やぶ)る』と読みます。
京都は代々受け継がれてきた古いお家がよおけあります。伝統を継承していくということは、ただ連綿と伝えられてきた事を守り、それのみに執着しているようでは、やがて廃(すた)れてしまうでしょう。かと言って、伝統を踏まえること無く、新しいことばかりにとらわれて、自分の意のままにやってもあかんのです。
古も今も知った上で、『本質』を見極め、それに向かって一歩ずつ進めていくことが、最も肝心なことなんやと思います。

嬉しい御知らせ

2008-11-14 | Weblog
この度『京料理七十二候』が社団法人日本図書館協会の選定図書に選ばれました。これは『全国の図書館・読書施設が、図書を選定、購入するときの参考になるように日本図書館協会の図書選定委員会において選定された図書』ということでございます。
【食】の大切さについてのぼくの思いを込めた一冊ですので、料理人の専門書としてではなく、御家族の料理を作られる主婦の方はもとより、若い世代の人達(中学生以上)に是非とも御伝えしたい内容でございます。
これを機に、より多くの方々に読んでいただけますれば、幸いに存じ上げます。
関係各位には心より厚く御礼申上げます。
合掌

藤平伸先生のお話

2008-11-13 | Weblog
本日は、伸先生のアトリエにお邪魔させて頂き、いろいろなお話をお伺い致しまして、恐悦至極に存じ上げます。
河井寛次郎先生との鍾渓窯での事、戦時中の作陶の事、お住まいの事、食器作成の事…等々、長時間にわたって、楽しげにお話下さいました。ぼくにとっては、勉強になることばかりで、本当に有り難く、伸先生には、心より深く感謝申上げます。
うちの店にも何度かお運び下さいまして、大慶至極に存じております。
先般、出版いたしました『京料理七十二候』に関しましても、とっても有り難い御言葉を頂戴いたしまして、嬉しい嬉しい気持ちになりました。
また、伸先生の田園のなかに建つ茅葺きの屋形で、ぼくが料理をさせていただき、先生の器に盛り付けて、お持て成ししたら面白いやろうなぁともおっしゃっていただきました。近い将来に、そんな夢のようなことが実現できたら、料理人として大変光栄で、本当に幸せなことやなぁと思っております。
合掌

【柿ばったい】

2008-11-12 | Weblog
ぼくが子どもの時分は「はったい粉」にお砂糖を混ぜたり、お湯を注いでこねたりして、よういただきました。
若い世代の人達は『はったい粉て何のことかいな』と思わはるかも知れません。それくらい今では、食べんようになってしまいました。「はったい」とは、小麦やお米を炒(い)って、挽いたもんのことです。昔は粉(こな)挽き屋さんがあって、新穀の小麦や玄米を家で炒って挽いてもらいました。家で石臼(いしうす)で挽かはるところもありました。石臼はよう挽けんようになったら、溝に溜まった粉を掃除してもらわなあきませんでした。これがまた大層なことでした。
今の時期は、やわらこう熟し過ぎた柿の皮と種を除いて、「米ばったい」をお茶碗に入れたとこへ混ぜて、お箸で捏(こ)ねていただきます。
この【柿ばったい】が、一番美味しい「はったい粉」の食べ方でした。

伝承京料理勉強会

2008-11-11 | Weblog
昨日は、道楽の料理教室で大根の料理を取り上げました。一本の大根を部分によって適した料理に仕上げて、余すことなく使い切ります。
献立は「風呂吹き大根」「霙(みぞれ)仕立てのお雑煮」「ぶりだいこ」「大根皮の当座煮」「貝柱とイクラの初霜和え」「大根飯」です。
「風呂吹き大根」は真中の部分を用いて作ります。お昆布のだしでやらこう炊いた大根に田楽味噌を炊いてかけ、すりおろした柚子の皮を振り掛けて、熱々をフウフウといただきます。肌寒うなってきましたので、身体があったまる料理は、幸せな気分にさせてくれます。
「霙仕立てのお雑煮」と「初霜和え」には、大根の尻尾(下)の部分を大根おろしにして用います。お雑煮には、お椀に鮭のハラス(腹身)をさっと焼いたんと揚げたお餅を入れて、吉野葛でトロみをつけた吸地(すまし汁)に大根おろしを加えます。霙汁をはって(入れて)きざんだ芹を留めます。初霜和えは、貝柱の炙りと水菜とイクラを松前酢で味付けした大根おろしで和えます。
「ぶりだいこ」は大根の中ほどやや上の部分を使おて、昆布湯でやらこうゆがき、ぶりの腹身と一緒に煮含めます。
「大根の皮の当座煮」は、皮をきざんでおあげさんと炒め煮にします。
「大根飯」は大根の頭の部分を用いて、炊き上げ、きざんだお葱をチラシます。お米に対する大根の量の多さに驚かれた様子でした。
お陰様で、総ての料理が御好評で、お悦びいただけました。
今回のテーマは『食材は天の恵みであり、その生命を慈しみ感謝し、常に捨てることなく全ていただくという心積りで料理する』でした。

土産土法(どさんどぽう)

2008-11-10 | Weblog
食材を料理するには、それが採れた地域に伝わる作り方で新鮮なうちに料理するのが、一番美味しくいただける方法です。
人の身体は、住んでいる土地の気候風土に順応していますので、三里四方で採れたもんを食べてるのが、もっとも自然で、健康にもええ料理が出来ると考えております。このことを【土産土法】と言います。
今は、全国各地はもとより、世界各国から様々な食材・食品が手に入ります。そして、外食においても、世界の料理が楽しめる時代です。また、お腹が空いたらファーストフードやファミレスやコンビニに行けば、料理をしなくても、何時でも直ぐに簡単に食べるもんを調達することができます。ほんまに便利な世の中になりました。
こんな時代やからこそご家庭では、手間隙かけて愛情込めて作る料理の大切さというもんを、今一度考えてみて欲しいもんでございます。

【料理】

2008-11-09 | Weblog
【料理】とは食材をより美味しく食べられるようにする過程。若しくは出来上がったもののことやと思てます。
料理をこさえる職業の人は昔から「料理方」「料理番」「料理人」「料理者」などと言うてます。
料理屋では、それぞれの持ち場があり、分業になってます。うちも以前はよおけいてました。『板前』は「しん(芯・真)」とも呼ばれ、献立を考えたり、刺身を引いたりします。刺身を造る助手が『向板』。『煮方』は煮炊き専門で、助手が『脇鍋』と言います。『焼方』は焼きもん『揚方』は揚げもんの担当。他には盛付けの係や漬けもんの係、器の係などもいて、『配膳さん』なんかもいはりました。
そもそも、料理は亭主が自身で、御招きする客のために、旬のええ食材を仕入れて、献立を考えて、心を込めて料理するもんなので、献立の流れがとても大切やと考えます。料理をよおけで分担してこさえますと、なかなか亭主のイメージ通りに仕上げることが困難になってきます。用いる器や食材選び、下拵え、味付け、盛り付け等々総てに亭主の濃(こまや)かな思いがあり、本来ならお客様五人くらいまででしょうね。
部屋や庭(露地)を綺麗に掃除して、会の趣旨に合う掛け物をかけ、花を入れ、お香を薫いて、玄関に打ち水をしてと次々に準備を進めていきます。
おもてなしの心配りというもんを常々考えて、自分なりに日々精進していきたいと思います。

【知足】

2008-11-08 | Weblog
釈尊(しゃくそん=釈迦牟尼世尊の略)が諸弟子に遺した『遺教経(ゆいぎょうきょう)』に「足ることを知る者は、たとえ貧困であっても心が満たされており安らかである。しかし、足ることを知らない者は、どんなに裕福であっても心が満たされずに、常に不安である」とあります。【知足】とは“足るを知る”心を言います。いかなる事 いかなる物にも満足して感謝して、これでじゅうぶんと思えれば、欲望も無くなるという教えです。
ぼくは、本などに何か一言書いて欲しい、と言われますと、よく【知足】と書かせていただきます。
人は何処までも便利になることを求めてしまいます。数年前はなかった携帯電話も今や誰もが持って、その機能はどんどん増し、電卓、カメラ、財布、テレビ、ナビゲーション、インターネット、音楽配信…等々どこまでも増え続けます。
ぼくの料理のお師匠さんが、「我々人間は、農薬やら洗剤やらで、地球上で本来もっとも浄化されてきれいであるべき水を汚してしもた。おいしない水でええ料理はできひん。空気も水みたいに汚さんようにしなあかんなぁ」とよう言うたはりました。