京料理 道楽のブログ

道楽の新着情報や、日常のちょっとした一言を書き込んでいきます。

鯖寿司 御礼・料理教室

2009-11-30 | Weblog
本日の【道楽特製鯖寿司】[限定30折り]が完売となり、誠に有り難たく存じ上げます。御注文賜りました方々には心より厚く御礼申し上げます。また遠方より、鯖寿司を取りにお運び賜りました方々には、誠に忝なく存じますと共に、深く感謝申し上げます。今年の【道楽特製鯖寿司】の販売は、本日が最終となりました。来年も何卒お引き立て賜りますよう、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
料理教室も全てのお献立におきまして、皆さんお喜びいただき、大変嬉しく思います。今日御参加いただきました方々には、明日の師走朔日、是非とも「にしんこぶ」を炊いてみてほしいなぁと思っております。

朝日新聞の記事

2009-11-30 | Weblog
今朝、11月30日(月)の朝日新聞朝刊の京都面におきまして【器も味わう食卓のススメ】と題してぼくの記事が載っておりますので是非とも御覧下さいますようお願い申し上げます。

師走へ

2009-11-29 | Weblog
明日は、霜月晦日です。京都の紅葉の頃は、大勢の人が訪れ、どこのお店も忙しい様子でした。毎年のことですが道楽も、終始バタバタしてました。あとひと月で今年も終わりやと思うと、俄然気ぜわしい感がします。
「師走」には諸説あって、師匠が趨走(すうそう)する「師趨(しすう)」が師走となったとする説。師は法師の意で、僧が忙しく馳せ走る「師馳(しはせ)」が師走となったとする説。他にも様々な説があります。
北野さんの献茶祭・大茶会、大根焚き、針供養、事始め、煤払い、かぼちゃ供養、終い弘法、終い天神など、京の行事も目白押しです。これから、冬の風物が枯れて侘びしい「冬ざれ」の季節へと向かいますが、料理屋はおせち料理の段取りへと向かっていきます。

【小浜】

2009-11-29 | Weblog
福井県小浜へは、時折車で出かけます。以前は、大原から滋賀県に入り‘途中トンネル’を抜けて山中を北上し若狭街道を通って行きましたけど、今は大抵、五条天神川から整備されて走りやすい162号線を通って行きます。
「三丁町」の町並みは紅殻格子の家が並んで、何とも言えへんええ風情を醸し出してます。昔、小浜城下の遊郭として賑わった界隈は、今でもその雰囲気を残していて、水上勉の小説にもこんな感じを想わせるところが出てきます。若狭湾の内外海半島北側の「蘇洞門」は、日本海の荒波が作り上げた壮大な芸術の洞門・洞窟・奇岩の続き、遊覧船に乗ってねきで見ると凄い迫力です。更に162号線を東に行くと「三方五湖周遊道路」があって、久々子・菅・日向・水月・三方の五湖の湖岸から眺める景色は、只々美しいばかりで、実に気持ちのええ所です。
小浜は、料理家飯田知史の御師匠さんの生まれ故郷なのであります。

料理教室

2009-11-28 | Weblog
明後日の料理教室は「にしんこぶ」「船場汁」「お麩田楽」「鰤大根」「林檎白和え」「蟹御飯」です。
「にしんこぶ」は京都では毎月お朔日(ついたち)に「今月も無駄なく始末していきましょう」という気持ちをもっていただきます。「船場汁」は、塩鯖のアラと大根のおつゆで、本来 大阪船場の商人や丁稚達が食べる安上がりのおかずです。教室では、若狭の上物の鯖を用いて作ります。「生麩の田楽」は京都らしい一品です。「鰤大根」は伊根鰤と聖護院大根を炊きます。「林檎白和え」は安曇野の‘あいかの香り’を用います。「蟹御飯」は炊き上がりにいくらをたっぷり入れて京芹を散らして供します。
当日は、朝に今年最終の【鯖寿司】の仕込みもございますので、かなり段取りに追われることとなりそうです。

【十牛図(じゅうぎゅうず)】

2009-11-27 | Weblog
『十牛図』は禅の修行の手引きとして、中国は宋代の禅僧 廓庵師遠(かくあんしおん)禅師によりその形が作られたとされています。
相国寺蔵 重要文化財『十牛図』[伝 天章周文(てんしょうしゅうぶん)画]は、最も有名なものです。
禅の修行を、牛を飼い慣らすことに喩(たと)えて表されおり、牛は『仏性(ぶっしょう)=一切の衆生(しゅじょう)が本来もっている仏の本性』、牧童はそれを求める『修行者』と解します。
室町幕府の四代将軍 足利義持に意味を問われ、絶海禅師(1336~1405)が頌(じゅ)にして説いたとされています。
一.尋牛(じんぎゅう)=牧童が牛を探し始める図。本来の自己が己の内にあることに気付かず、己の外へ探しに出たところ。
二.見跡(けんせき)=牧童が、牛の足跡らしきものを見つけ出す図。求めるものの手がかりをわずかに掴んだ段階。
三.見牛(けんぎゅう)=牧童は牛を見つけ、その後を追っている図。まだ後ろ姿のみで、牛の全容を見たわけではない。
四.得牛(とくぎゅう)=牧童はついに牛に追いつき手綱をかるが、暴れる牛に手こずっている様子の図。初心を貫いて道を究めるには困難を乗り越えていく心づもりが大事。
五.牧牛(ぼくぎゅう)=牧童が牛を手懐(てなず)けて、連れて歩く図。牧童はせっかく手に入れた牛を逃がさないよう手綱と鞭をしっかりと握りしめており、ここで牛の顔が初めて出てくる。
六.騎牛帰家(きぎゅうきか)=牧童が牛に跨(またが)り、笛を吹きながら家に帰る図。牛の足取りは軽やかで表情も愉(たの)しげ。牧童と牛は心を通わせ一体となっている。
七.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)=牧童は家に帰り、そこに牛の姿は無い。牛には用がなくなり、月を眺める人のみが残る図。悟りを得たことさえも忘れた境地。
八.人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)=円相のみで、牧童も牛も何もない図。迷いも悟りも抜け落ちた空(くう)の世界。
九.辺本還源(へんぽんかんげん)=水が流れ木の枝に花が咲く図。源に立ち返ると、そこは自然なありのままの姿のみ。
十.入廛垂手(にってんすいしゅ)=牧童が、大きな袋を杖に結わえ担いでる布袋さんのような老人と何か話している図。悟りを得た者は広くそれを伝えるべく、自分のことなど捨て去り、ただ自然体でニコニコと出会う人々に施しをしている。
深い深い教えが込められた『十牛図』。改めて、今一度ゆっくりと考えてみては如何でしょうか。

江戸時代の【鯖鮨】

2009-11-26 | Weblog
今の鯖ずしは、しめ鯖を棒ずしにしたもんですが、江戸時代の‘鯖のすし’は、塩鯖をご飯に漬け込んで発酵させ酸味を出した「鮒ずし」のようなもんでした。また、塩鯖を水にさらして塩出しし、酢に浸けてしめ鯖にしてから、箱ずしに圧(お)して切り出したもんもありました。
☆11月30日(月)今年最終の【道楽謹製鯖寿司】の販売を致します。ご希望の方はお早めにお申込み下さいませ。

監修おせちに関するお願い

2009-11-26 | Weblog
このところ各地の新聞をはじめ様々な広告媒体におきまして《飯田知史監修おせち》が紹介されているようで、頻繁に道楽にお問い合わせがきておりますが《飯田知史監修おせち》に関しましては、ぼくが料理監修をしているというもので、生産は食品衛生面で万全の設備が備わった工場で行い、販売等の業務に関しましては、各販売元が様々な広告媒体を通じて、独自に執り行っております。
道楽にお問い合わせ頂きましてもわかりかねますので、何卒御理解賜りますよう、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

鯛かぶら

2009-11-25 | Weblog
聖護院蕪と鯛の頭を炊き合わせた鯛蕪を作りました。
蕪は厚めに皮を剥いて適当な大きさに切り、敷き昆布をしてやや固めにゆがきます。鯛の頭は、かまを外して目と口にこなし、霜ふり(熱湯にくぐらせ冷水にとる)します。ウロコや血合いを丁寧に除き、布巾に上げます。土鍋にお昆布を敷いて、そうじした鯛の頭をならべ、水を入れお酒と味醂を加えて火にかけます。煮汁はたっぷりと入れて炊きます。煮立ってきたらアクをひいて、薄口醤油でお加減し、濃口とお砂糖も少し足して味を整えたところに、昆布地でゆがいた蕪を入れ、しばらく一緒に炊いたら出来上がり。針柚子を添えていただきます。
舌の上で、鯛の旨味がしゅんだ蕪がとろけ、柚子の香りと相俟ってたまらない美味しさです。まさに冬の京都の醍醐味でしょう。

日本のお箸

2009-11-24 | Weblog
お箸は、中国は殷(いん)の時代に発生して、稲作文化と同時に日本に伝わったとされてます。元々は煮たり焼いたりした食べ物を口に運ぶ道具として用いらました。
当初日本では、神様に食物をお供えする礼器とされ、神霊がお箸を依代(よりしろ)として乗り移って食事を召されます。故(ゆえ)に神霊の宿る木、松・柳・杉・檜(ひのき)などの所謂(いわゆる)霊木(れいぼく)で作られました。
春日大社の神饌(しんせん)には、高台の耳土器(みみかわらけ)に中太両細(なかぶとりょうぼそ)の柳箸を乗せてお供えします。
楽家十代旦入・十一代慶入の作品に、この耳土器を模した箸置があり、道楽でも使うことがあります。
晴れの日に霊木を削った箸を用いることは、日本古来の美しいならわしであり、お正月の柳箸は「家内喜(やなぎ)」にかけた幸を呼び込む縁起物とされてます。
懐石で用いる水を含ませた両細の利休箸は、千利休が自ら吉野の赤杉を削って客をもてなしたことに始まります。通った征目の美、削りたての香り、手や口に触れた感触、これぞ日本のお箸の文化なんです。