京料理 道楽のブログ

道楽の新着情報や、日常のちょっとした一言を書き込んでいきます。

【二胡(にこ)】

2009-09-30 | Weblog
一昨日、河井寛次郎記念館にて、中国のワン・シャオフォンさんの二胡のコンサートがありました。その音色はまるで夢の世界へ誘われるかのような心地のよいもんです。トークもユーモラスで、途中で河井須也子様とのセッションもあり、慌ただしく過ぎ行く日常の中、リフレッシュできる楽しいひと時を過ごさせていただき、本当に良かったなぁと存じております。

料理教室

2009-09-28 | Weblog
本日は、朝から京都中央卸売市場へ見学に行きました。うちのに加えて、受講者の方にも御車を二台運転していただきそれぞれに分乗して出発です。
鮮魚店・鳥屋さん・麩屋さん・珍味屋さん・折り箱店などを周り、皆さん見学がてら色々とお買い物なさいました。西泊のぐじ、鴨ロース、生麩、湯葉、求肥昆布、調理道具などをお求めになり家に持って帰って料理されます。
市場見学の後は通常の料理教室で、御献立は「紫ずきん共和え」「土瓶蒸し」「無花果田楽」「ズイキとお揚げさんの炊いたん」「鯖寿司」「伝承味噌松風・薄茶」でして、皆さん御熱心に受講いただき多くの御質問を賜りました。ご一同様、楽しくお喜びいただけたようで休心致しますと同時に、沢山の御参加に心より感謝申し上げます。

【韋駄天(いだてん)】

2009-09-27 | Weblog
速く走る人を「韋駄天」と言います。
韋駄天とは、バラモン教シヴァ神の子とされ、仏教に入り仏法の守護神とされます。
仏舎利(ぶっしゃり=釈迦の遺骨)を奪って逃げた鬼を追いかけて取り返したので、足の速い神とされ、子供の病を治す神としても知られてます。

表紙撮影

2009-09-25 | Weblog
今日は朝から来月末出版予定の【京料理 楽に盛る・永楽に盛る】の表紙撮影でした。三点を並べての撮影ということでしたので、楽焼からは瓜鉢、永楽焼からは扇面流し透鉢、京焼は仁阿弥道八の手鉢を選びました。それぞれ鉢のみと料理を盛り付けた画との両方を撮りました。ええ感じに仕上がってくれたらなぁと、ぼく自身楽しみにしています。
尚、書店に並ぶのは11月初めになるかも知れないとのことでした。

【賀寿】〓

2009-09-24 | Weblog
【上寿(じょうじゅ)】は数え年の百歳、または百二十歳のお祝いです。百歳は【百賀】とも言います。『上寿』は最も上の長寿祝いとされてます。
【茶寿(ちゃじゅ)】は数え年の百八歳。『茶』の字は『十』『十』『八十八』に分けられ、合わせて百八となります。
【皇寿(こうじゅ)】は数え年の百十一歳。『皇』の字は『白』〓[白寿の九十九歳]『一』『十』『一』に分けられ、合わせて百十一となります。
主な賀寿は、以上の年齢となりますので、是非とも御家族・御親族で長寿をお祝いして差し上げて下さいませ。
人にはそれぞれの寿命があります。長生き出来たとしても、そうでなかっても、この世に生を授かり良かったなぁと思える人生でありたいもんです。

【賀寿(がじゅ)】〓

2009-09-24 | Weblog
賀寿とは長寿のお祝いのことです。
【還暦】は数え年六十一歳のお祝いです。詳しくは先般記しましたので省略します。
【古稀(こき)】は数え年の七十歳。杜甫(とほ)の曲江詩にある「人生七十古来稀」より七十歳の呼称です。昔は七十歳まで生きることは、古来稀(こらいまれ)なことでした。
【喜寿(きじゅ)】は数え年の七十七歳。草書で『喜』は『七十七』と書くところから喜寿となりました。扇子に『喜』と書いて配り、お祝いする慣わしもあります。
【傘寿(さんじゅ)】は数え年の八十歳。『傘』の略字が『八十』と書くところから傘寿となりました。太白飴(餅)を親族やご近所に配って祝う習慣もありました。
【半寿(はんじゅ)】は数え年の八十一歳。『八』『十』『一』を組み合わせると『半』の字になるところから、半寿となりました。
【米寿(べいじゅ)】は数え年の八十八歳。『八』『十』『八』を組み合わせると『米』の字となり、「よねの祝い」「こめの字祝い」とも言います。
【卒寿(そつじゅ)】は数え年の九十歳。『卒』の異体字『卆』から九十歳のお祝いとされました。
【白寿(はくじゅ)】は数え年の九十九歳。『百』の字の『一』をとると『白』の字となるところから、九十九歳のお祝いとなってます。
◆【賀寿】Ⅱへ続く

【六曜】〓

2009-09-23 | Weblog
読み方は暦によってもまちまちで、どれが正しいというもんでもありません。先勝=「せんかち」「せんしょう」「さきかち」友引=「ともびき」「ゆういん」先負=「せんまけ」「せんぷ」「せんぶ」「さきまけ」仏滅=「ぶつめつ」大安=「たいあん」「だいあん」赤口=「しゃっく」「じゃっく」「じゃっこう」「しゃっこう」「せきぐち」などがあります。
月毎(つきごと)に朔日(ついたち)の六曜を定め、先勝→友引→先負→仏滅→大安→赤口の順に繰り返します。但し月は旧暦に基づきますので、新暦では旧暦の晦日(みそか)から朔日に変わるのが月の途中にありますので、そこで六曜の順が変わります。月別の朔日の六曜は以下の通りです。正月・七月は『先勝』、二・八月は『友引』、三・九月は『先負』、四・十月は『仏滅』、五・十一月は『大安』、六・十二月は『赤口』。
今日では、日(太陽)と月、木星・火星・土星・金星・水星の七曜星(しちようせい)を暦に用いて、一週七日に割り当て、曜日名として生活に欠かせないもんとなってます【七曜】。

【六曜(ろくよう)】〓

2009-09-23 | Weblog
六曜は六曜星(りくようせい)の略なんで、本来「りくよう」と読むべきでしょうか。六輝(ろっき)とも呼ばれてます。
中国より伝わり、室町時代の事林広記には「大安(たいあん)」「留連(りゅうれん)」「速喜(そくき)」「赤口(しゃっく)」「小吉(しょうきち)」「空亡(くうぼう)」とあり、江戸時代の寛政・享和頃の大雑書には、「泰安(たいあん)」「流連(りゅうれん)」「則吉(そっきち)」「赤口(しゃっく)」「周吉(しゅうきち)」「虚亡(きょもう)」とあり、幕末の安政雑書万暦大成には、「先勝(せんかち)」「友引(ともびき)」「先負(せんまけ)」「物滅(ぶつめつ)」「大安(だいあん)」「赤口(じゃくかう)」とあり、現在では、「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」となりました。「仏滅」は空亡→虚亡→物滅→仏滅と変化したことが窺(うかが)えます。

【還暦(かんれき)】

2009-09-22 | Weblog
暦(こよみ)が巡りもどると書きますが、六十干支(ろくじゅっかんし)の循環によって、六十一年目で生まれた年と同様の十干十二支に再び巡り合います。この数え年で六十一歳を吉年とし祝う習わしを還暦と言います。
還暦は【華甲(かこう)】ともいうて『華』の字は十が六つと一から成っていて、『甲』は甲子(きのえね)を示しています。また【本掛還り(ほんけがえり)】とも呼ばれます。
昔は六十年というと人の寿命くらいの年数やったことから、還暦を迎えられることは大層おめでたいこととされました。寿命が延びた現在でも、赤いちゃんちゃんこに赤い頭巾を着せてもろて、子や孫が祝ってくれる風習が残っています。

【十干】

2009-09-21 | Weblog
『じっかん』と読み、十二支と同じく暦において年と日を示します。十干は元来順序を示す数詞だったのが、十二支・陰陽説・五行説と結びついて複雑な読みや意味、吉凶や縁起や迷信なんかが生じてきました。
十干とは、甲(こう)[きのえ]・乙(おつ)[きのと]・丙(へい)[ひのえ]・丁(てい)[ひのと]・戊(ぼ)[つちのえ]・己(き)[つちのと]・庚(こう)[かのえ]・辛(しん)[かのと]・壬(じん)[みずのえ]・癸(き)[みずのと]です。
十干と十二支を組み合わせると甲子(きのえね)から癸亥(みずのとい)まで六十通りの干支(かんし)ができ、六十年毎に巡ってくる紀年法となります。これは六十干支(ろくじゅっかんし)、十干十二支、甲子(かっし)、干支(えと)などと呼ばれ、器の箱書きなどでよく目にします。
今年は己丑(つちのとうし)なので、来年は庚寅(かのえとら)となります。