「シャッター通り」は、ショッピングセンターまで続く道
地方に住んで分かること‥というのは、東京の企業が地方の実情を無視して東京の方式を押しつけようとして失敗すると言うことにつきる。
たとえば、デパート‥‥商品を店舗店頭で定価販売。東京のお金持ちは、店頭で「これ」と言って買うのかと思えば大間違い。実は、「外商」とか言って15%~30%も定価から値引きしてもらい買っている。
早い話、デパートで店頭で「値引きなし」などで買っているなど、貧乏人の馬鹿の骨頂である。そこで、「外商」のお裾分けがハウスカードに付くポイントというヤツだ。大まか10%程度になるが、中々使えないシステムになっている。
そういう内情は兎も角、このデパートが地方に進出したらどうなるのか。
まず、「外商」が取り扱うほど沢山買ってくれる上客は少ないから、精々ハウスカードが関の山だが、地方では東京のように定価で買うほど収入がない。
実際、車社会で冬のコートも必要がない世界‥‥寒冷地は別として。
衣料品、宝飾品を買っても、着て行くところもなければ、そんな機会もない。
精々、スーパーの特価品で間に合う生活なのだ。
まあそうなってくれば、若い女性の服飾品となるが、たとえ100キロ、200キロと離れていようがそんな人達は東京へ買いに行く。
地方では、デパートは成立しないわけだ。
‥‥で デパートの撤退が相次ぐ。
逆に言うと、こんな貧困な地方で起業したスーパー、量販店と言うのは、どんな地方へ行っても強いし東京近郊、都心へ出で行けば相当な撃破力がある。
かって、ヤマダ電機が進出めざましい頃、ヤマダ電機で売っている方が零細電気屋の仕入れより安いと言われていた。
当然、その様な電気屋は電気工事屋へ転身して、店は残っていない。
さて、政治やその他に目を転じてみれば、東京などの首都圏と地方を同様にしろとか、地方との格差が開いたとかいう。
しかし、東京と地方とは元々同列に扱うのは間違いではないかと思う。
第一、物価が違う。
地方では、収入が少ないからそれに見合う価格設定が必要になり、必然として物価が下がる。所得水準が少ないと言うことは、それに伴う行政サービスしか提供できないし、箱物施設にも限界がある。
それを地方交付税のみならず、道路特定財源も税収の少ないところに補填してきた。
逆に言えば、本来その様な行政サービスが受けられないところに、過大な行政サービス、公共事業が存在した。
思えば、北海道など車の走っていない国道と平行して高速道路があったりするのは、公共事業のための公共事業だ。
地方都市の商店街の「シャッター通り」こんなところは、出来るべくして出来た。
そして、地方にも「○○モール」とか、「○○ウォーク」「○○ショッピングセンター」などが出来ているが、所詮昔の商店街をその中に設定しているにすぎない。
いわば、商店街そのものが移転したようなものだ。当然のこと、東京の店が東京の感覚で出店しても客は入らない。
東京のミッドダウンや丸ビルなど、休日の一般人は店に入っても見るだけ、飲食店、大方値段の決まった食料、菓子屋だけが混むなど言うことはいつまで続くのだろうか。
地方に住んで分かること‥というのは、東京の企業が地方の実情を無視して東京の方式を押しつけようとして失敗すると言うことにつきる。
たとえば、デパート‥‥商品を店舗店頭で定価販売。東京のお金持ちは、店頭で「これ」と言って買うのかと思えば大間違い。実は、「外商」とか言って15%~30%も定価から値引きしてもらい買っている。
早い話、デパートで店頭で「値引きなし」などで買っているなど、貧乏人の馬鹿の骨頂である。そこで、「外商」のお裾分けがハウスカードに付くポイントというヤツだ。大まか10%程度になるが、中々使えないシステムになっている。
そういう内情は兎も角、このデパートが地方に進出したらどうなるのか。
まず、「外商」が取り扱うほど沢山買ってくれる上客は少ないから、精々ハウスカードが関の山だが、地方では東京のように定価で買うほど収入がない。
実際、車社会で冬のコートも必要がない世界‥‥寒冷地は別として。
衣料品、宝飾品を買っても、着て行くところもなければ、そんな機会もない。
精々、スーパーの特価品で間に合う生活なのだ。
まあそうなってくれば、若い女性の服飾品となるが、たとえ100キロ、200キロと離れていようがそんな人達は東京へ買いに行く。
地方では、デパートは成立しないわけだ。
‥‥で デパートの撤退が相次ぐ。
逆に言うと、こんな貧困な地方で起業したスーパー、量販店と言うのは、どんな地方へ行っても強いし東京近郊、都心へ出で行けば相当な撃破力がある。
かって、ヤマダ電機が進出めざましい頃、ヤマダ電機で売っている方が零細電気屋の仕入れより安いと言われていた。
当然、その様な電気屋は電気工事屋へ転身して、店は残っていない。
さて、政治やその他に目を転じてみれば、東京などの首都圏と地方を同様にしろとか、地方との格差が開いたとかいう。
しかし、東京と地方とは元々同列に扱うのは間違いではないかと思う。
第一、物価が違う。
地方では、収入が少ないからそれに見合う価格設定が必要になり、必然として物価が下がる。所得水準が少ないと言うことは、それに伴う行政サービスしか提供できないし、箱物施設にも限界がある。
それを地方交付税のみならず、道路特定財源も税収の少ないところに補填してきた。
逆に言えば、本来その様な行政サービスが受けられないところに、過大な行政サービス、公共事業が存在した。
思えば、北海道など車の走っていない国道と平行して高速道路があったりするのは、公共事業のための公共事業だ。
地方都市の商店街の「シャッター通り」こんなところは、出来るべくして出来た。
そして、地方にも「○○モール」とか、「○○ウォーク」「○○ショッピングセンター」などが出来ているが、所詮昔の商店街をその中に設定しているにすぎない。
いわば、商店街そのものが移転したようなものだ。当然のこと、東京の店が東京の感覚で出店しても客は入らない。
東京のミッドダウンや丸ビルなど、休日の一般人は店に入っても見るだけ、飲食店、大方値段の決まった食料、菓子屋だけが混むなど言うことはいつまで続くのだろうか。