福井 学の低温研便り

北海道大学 低温科学研究所 微生物生態学分野
大学院:環境科学院 生物圏科学専攻 分子生物学コース

北の 地の春を 待ちわびる

2007-03-31 23:37:20 | 低温研のことごと

ずうっと、お会いしたいと思っておりました。低温研のGさんに、もしその方がいらしたら、連絡してください、とお願いしてありました。午前中、ある会議に出席した後、研究室に戻ると置き手紙。「茅野春雄先生がいらしていますので、お時間がありましたらどうぞ」と。

01_70胸をワクワクさせながら、茅野先生におられる部屋に向かう。どんな先生だろう? コワイ先生かな? おそるおそる、部屋の扉を開ける。部屋のなかには、スキーウェア姿の茅野先生がいらっしゃいました。

茅野先生が、東大から低温研に赴任したのは、1973年のこと。低温生化学部門を新設。当時、星元紀先生(後の、日本動物学会会長)もいらしたので、豪華メンバーで研究室が構成されていたことになります。茅野先生は、昆虫少年であり、ナチュラリスト。ナチュラリストの立場から、「昆虫はあんな小さな体でどうして飛べるのだろう?」、「休眠する昆虫の卵の中でエネルギーはどうなっているのだろう?」といった問題に生化学的アプローチで迫っていく。その研究の過程で、リポホリン(脂質を運ぶタンパク質)を発見。昆虫の体の表面は、ワックス(炭化水素の一種)の層で覆われているのですが、この炭化水素のおかげで乾燥から身を守ることができ、昆虫という生き物が陸上に上がれたと考えられています。炭化水素が生成されるエノサイトと呼ばれる器官から体表まで、炭化水素を運ぶ役目をしているものがリポホリンです。この発見は、生化学の歴史に残る仕事です。

茅野先生が都立大で助手をされていた頃のエピソードが面白い。ウニの発生学研究で知られる団勝麿先生から、あるときこんなことを言われたとのこと。「茅野君、君は論文や本を読むのがあまり好きではないようだね。しかし、それは悪いことではないよ。読みすぎると凡人はそれに囚われてしまう。いろいろな知識を頭に入れて、さてと言って始めた仕事にいい仕事なんかないよ」と。

茅野先生の信念は、「自分が不思議だと感じたことを自分の手でやる。流行は追わない」。その一方で、もう少し勉強をしておけばよかったなあ、という苦い想いもあるそうです。茅野先生のように、非凡な才のある研究者でさえ、「もう少し勉強をしておけばよかったなあ」と思うのですから、凡人の我々はより一層精進を重ねる必要がありそうですね。

現在、東京にお住まいの茅野先生は、毎年、スキーを楽しみに札幌にやって来られます。数えで80歳の先生ですが、凄いパワーです。矍鑠とした茅野先生にお会いして、我が身が奮い立ちました。

秋野美樹先生、茅野春雄先生、そして富野士良先生が築き上げて来た、都立大の昆虫生理生化学の研究室は、泉進先生の退職でひとまず幕を閉じることになりました。しかし、先達が培った研究スプリッツは、低温研出身の朝野さんがさらに受け継いでくれることを期待しています。

泉先生、長い間、ありがとうございました。私の無理なお願いも快くひき受けてくださり、頭が下がる思いです。新天地でのご活躍、期待しております。

03_19モデルバーンから低温研に至る道沿いの白樺も春を待ちわびています。明日から4月。もう北の地の春は近い。

***

<追記>
02_38下記の茅野先生の著書は、研究者としての生き方を考える上でも、参考となります。是非、ご一読を!

茅野春雄著「昆虫の謎を追う~あるナチュラリストの奇跡~」学会出版センター


声に出して読む

2007-03-30 15:19:40 | 大学院時代をどう過ごすか

博士課程2年生の頃、学位取得後は海外へ留学しようと考えていました。そのためには、英会話が必須であると思い、NHKラジオ英会話を聴きはじめました。講師は、大杉正明氏。会話スキットがウィットに富んでいて、楽しみながら英会話を学習することができました。

ごく最近、雑誌か何かで知ったのですが、当時の彼は、海外での留学や滞在経験がなかったのですが、ネイティブスピーカーと遜色のない流暢な英語を操ることで定評があったとのこと。ラジオ英会話の講師であるならば外国経験が豊富である、と思い込むのは私だけではないはず。

そこで気になるのが、外国経験なくして、いかに外国語会話をマスターするか、です。大杉氏の外国語会話上達法のコツの一つは、「声に出して読む」ことであると言い切ります。さらに、「失敗をおそれないこと。そして、失敗から学ぶこと」だそうです。

私などは、雪国出身のせいか、人前で話すことが苦手です。加えて、失敗を怖れるあまりに、外国人と英語で話すことが億劫になります。こういうことでは、外国語会話は上達する訳ないのでしょうね。

私が大学院生の頃は、自由が丘(東急東横線の駅の一つ。若者の集まるオシャレな街として知られている)に英会話学校がいくつもありました。しかし、授業料がたかく、通えませんでした。その解決策の一つが、ラジオ学習です。最も安価な方法です。現在では、Podcastを利用すれば、多様な語学素材が安価に利用できる良い時代です。CNNのヘッドラインニュースは短いので、時々ダウンロードして聴いています。交通機関で移動中では、Podcastを聴きながら、声を出さないように気をつけていますが。

大杉氏が勧める外国語会話上達法は、研究にも当てはまるかもしれません。南極観測隊風に言ってみると、「失敗を怖れず、とにかくやってみなはれ」でしょうか。ただ、もっと大事なのは、失敗を怖れずにとにかく実験をやったあとで、その結果等を先生や研究室の同僚と十分検討し、次のステップに進めていくことです。

「結果について、先達とキャッチボールしてみなはれ!」


さてさて これから

2007-03-29 08:46:00 | このブログに関して

かれこれ4ヶ月程、ブログを毎日更新して参りました。JARE47の皆さんが無事帰国されたと言うことですので、これから、不定期にアップしていこうかと、考えているところです。

このブログの主目的は、当研究室に入学を希望する方への情報発信です。受験を希望される学生さんの多くは、実際に研究室に訪問して下さっています。具体的な研究内容の他に、研究室の雰囲気も知りたい、と思うのは当然のこと。短時間の研究室見学で、雰囲気をお伝えするのは困難です。このブログが、そのお手伝いになれば、幸いです。

今後ともよろしくお願いいたします。


6号館のかがやき

2007-03-28 23:13:23 | 南極

07032801今日の札幌は、晴れて、穏やか。時折、雪が散らつくも、確実に春へと近づいている。

南極観測隊が帰国する日でもある。ああ、あれから1年か

低温研のAさんと、私のブログについて立ち話。過日のエントリーのタイトルに含まれた暗号を読み解けているか、Aさんにお尋ねしたところ、「なんか意味あるんですか?」と。オヨヨ。その暗号について説明すると、「それって、ダジャレですよね」と冷たい一言。その言葉の裏には、『中年オヤジ』への侮蔑が込められていたに違いない。

ダジャレか? 言葉遊び、音韻をふむ、何らかのパロディー等々、私なりにタイトルにはいろいろなことを込めているんだが、、、。

「でも、南極で野外観測をずうっと一緒に行動してくれた高野さんは、タイトルに含まれた暗号をすぐわかってくれるんですけどね」と、私。
「それは、長い間、南極で寝食を共にしているから、相手に理解されやすいんじゃないでしょうか」と、Aさん。

07032802うーん、そうかも知れない。即刻試してみよう! ということで、遅い午後、理学部の6号館に向かう。たまたま、来年度の大学院共通の『生化学特別講義』のポスターを理学部へ持っていかなければならない用もあったので、好都合。

***
070328036号館高層棟の9階へ。清冽な川のような廊下の窓からは、円山、大倉山、三角山方面が、さいこうの眺め。(←高野さんによる修文です!) 高野さんのオフフィスはどこだったか? 普段見かけない私の姿を見て、学生さんが、おののく。

「高野さん、いらっしゃいますか?」
「こちらの実験室にいらっしゃいまーす」

扉を開けると、高野さんの顔。「やあ、ひさしぶり!」と、声をかけようと思ったが、一昨日会ったばかりだったので、止めた。突然の訪問にも関わらず、高野さんは私を歓迎してくれる。

「高野さん、この間のブログのエントリーに隠されていた意味って、わかる?」
「もちろんですよ!○○○○のことですよね」
「そうそう! 簡単な暗号だよね!」
「すぐわかりましたよ!」

これも、やはり、南極効果でしょうか。他の方には、なかなか理解できない現象。

07032804採取した南極湖沼堆積物の解析に関する打ち合わせをして、6号館を後にする。玄関を出て、数十メートル歩いて、ふと振り返ると、6号館はかがやいていた。

<追記>
何はともあれ、第47次南極観測隊越冬隊と第48次夏隊の皆さん、お帰りなさい。一刻も早く、現実社会への適応がうまくいくことを願ってやみません。応援しています!


底辺大学院生

2007-03-27 00:30:00 | 大学院時代をどう過ごすか

01_69これは実に面白い。笑いが止まらないし、涙も誘う。

若い人に推薦されて読んでいる本が、豊島ミホ著『底辺女子高生』(幻冬舍)です。秋田の田舎の女子高生の下宿生活をイラスト入りで紹介しています。若さ故の未熟さや弱さ。そして、地味なフツーの高校生活にも、キラキラとひかりかがやかせているのです。

東京に生まれ住んでいる若者には理解できないかもしれませんが、雪国では高校生でも下宿をしなければならないことがあります。特に山間部に住んでいると、通学圏内に高校がないことがあります。また、雪深い季節になると、公共交通機関が頻繁に麻痺してしまうこともあります。こうした事情等で、親元から離れて高校の近くに下宿するケースがあるのです。たいていは、十数人が住める下宿屋で、賄い付きだったりします。

02_37『底辺女子高生』のなかで、結構受けたのが、「綿入りはんてんを着た女子高生」のイラストです。私が大学生の頃は、はんてんを着て授業に出席する学生がいましたが、最近の北大ではあまり見かけませんね。みなさん、オシャレ系になって、ちょっぴりさびしいかな。

寒いとき、研究室でも、綿入りはんてんを着ている『底辺大学院生』は、大歓迎です。ただし、微生物やDNA/RNAを扱う実験のときは、綿入りはんてんを脱いで白衣に着替えてネ!

<追記>
今、豊島ミホ著『檸檬のころ』を読んでいるのですが、この作品は、映画化され、今月末からロードショーとのこと。


今夜は蛍光灯のもとで

2007-03-26 03:04:00 | 四季折々

別れの季節です。この月がなければ、来月が来ないことは分かっているのですが、毎年複雑な思いで日々を過ごしています。

07032601さて、今夜は雪氷系の若手研究者の歓送会。場所は、JR函館本線の銭函(ぜにばこ)駅(札幌から小樽方面へ)前の海賊船。メンバーは総勢7名で、その人物相関図を説明することは複雑すぎるので止めておきます。

送られる方とは、あるテレビ番組(中部日本放送の『ノブナガ』の「地名しりとり」コーナー)の話題で盛り上がったことがあります。いつか機会があったら、銭函へ行って、ワッキーが食べた『海賊ラーメン』を試してみましょう、と言うことになっていました。なかなか実現できなかったのですが、凍土系若手研究者の心遣いで歓送会として現実化。

07032602店構えはお世辞にも綺麗とは言えませんし、店内も薄暗く、結構レトロです。地元の先客でにぎわっていて、座る席がなかったのですが、せっかく札幌から来てくれたと言うことで、席を譲っていただきました。さらに、麺も3人前しかないと言うのに、マスターは何とか工夫して5人前にして下さいました。



**
0703260307032604薄暗い蛍光灯の下で、5人前の海賊ラーメンを7人ですする。磯の香り、北海道ならではの豊富な海の幸、そして多様な海産系のダシがきいた塩味のスープ。お勧めの一品です。札幌からやって来た甲斐がありました。

今夜は、北の海辺の駅で、地元の方々の優しさに触れながら、雪氷系の若手研究者との別れを惜しむ。内地でのご活躍、期待しております。

<追記>
JR銭函駅は、映画『駅 STATION』(1981)で主人公英次とその妻直子との別れのシーンのロケに使われたとのことです。


白い瀟洒な建物

2007-03-25 08:51:00 | 低温研のことごと

渡辺淳一の『流氷への旅』で紹介された、「白い瀟洒な建物」は低温研の研究棟。外観は、小説で描写されているようなイメージを残している。しかし、建物内部は至る所に老朽化が進んでいる。

現在、研究棟の改修工事計画がある。予定通り行われると、秋に入る前には工事が始まるかもしれない。小説の舞台の見納めとなる。

渡辺淳一ファンは、この機会に小説の舞台を見学してみてはいかがでしょう。


所員の顔

2007-03-24 21:30:00 | 低温研のことごと

研究所で働いている人の数が多くなればなるほど、名前と顔が一致しない数が増えてしまいます。これは、残念なこと。

01_68新しく研究所で働く方にとっては、全所員の顔を覚える機会は意外と少ないもの。以前、『流氷への旅』シリーズでご紹介したように、低温研の玄関には全所員の名札が掲げてあり、所在の確認ができます。古めかしいのですが、これはとても便利なシステムで、誰かとコンタクトをとりたい場合、ここに来て所在を確認して、電話したり、居室に直接伺ったりできます。

ところで、先日訪問したドイツ・マックスプランク海洋微生物学研究所(ブレーメMpi01ン州ブレーメン市)の玄関には、全所員の名前と顔写真が掲示されています(右写真)。これは、とても良いシステムだと思いました。低温研の名札システムとブレーメン研究所の顔写真システムを組み合わせれば、とても機能的なものになります。短期間のうちに、全所員の名前と顔を覚えることができるのではないでしょうか?

別な観点から問題が生じるかもしれませんが、願わくば、新所長さんがこのシステムを採用してくれればなあ。そうすれば、顔を知っていても、なかなか相手の名前を呼べずに困ることもなくなるのでは?


ナイトムービー

2007-03-23 20:02:00 | 旅行記

Bremenflughaven01無事、ブレーメンより帰国いたしました。ブレーメンからパリ・シャルルドゴール空港に到着し、ターミナル2Dから2Fへの乗り換えは汗だくになりました。

帰国便では、先行上映の機内映画『Night at the Museum』(日本題:『ナイトミュージアム』)を鑑賞。夜の自然史博物館で、展示物が・・・・(ネタばらしは、やめておきましょう)。眠気が吹っ飛ぶ作品でした。

その反動のためか、機内ではぐっすりと睡眠を取ることができました。来週に備えて、準備万端です。

そういえば、21日に砕氷艦「しらせ」はシドニー港に到着。低温研出身の気象隊員の滝澤さんからは寄港前に、メールをいただきました。新しい職場でもご活躍を期待しております。

われらの『み・くり』さんは、シドニーへお出迎えにいってしまいました。最後はサプライズですね。なんだか、映画を見ているようですね。何はともあれ、良かったですね。長い間、JARE47応援ブログを綴っていただき、ありがとうございました。


再会、そして帰心

2007-03-22 19:49:30 | 旅行記

当初の予定を遥かに上回る収穫と大きな悲しみ。ほんの3泊の短いブレーメンの滞在で、確実に次の展開への糧を得る。

07032201今日は最後の日。旅立ちの日は何かと慌ただしいもの。9時半から、朝食会に参加。こうした会はもう何年ぶりだろうか。若い人たちが多く集い、ちょっぴりジェネレーションギャップを感じる。ここは国際的な研究機関。様々な国から研究者がここに集まっている。アジアからの留学生ともお話しすることができた。

07032202その後、古くからの友人達に院生を紹介、と同時に近い将来の再会の約束。

フォルカーは、電気系のテクニシャン。研究所設立当時(1992)からのメンバー。装置の電気系のトラブルが生じた時は、彼に相談すると、すぐに直してくれる。「お互いに老けたね」と、言い合いながら、記念写真を院生から撮影していただく。そういえば、彼の結婚式は傑作で、地元のテレビでも紹介されたことがある。それも、12年前のこと。

07032203毎回そうだが、ブレーメンを去る時は、辛い。ブレーメンに来ると言うことは、ある種の帰郷だと思う。

が、しかし、帰国しなければならない。本務地は札幌。いろいろな方々や事々が待っている、低温研に、さあ、帰ろう!


幽(かそけ)き野辺(2)

2007-03-22 14:07:59 | 旅行記

昨日の続きです

アルバース夫人宅で下宿生活を終えてから、12年が経つ。今、ブレーメンのカフェでアルバース夫人とは異なる味のロテ・グリュッツェを口に入れている。今回のブレーメン滞在は3泊。実質2日間しかない。そうだ、アルバース夫人に会いにいこう。

はやる気持ちを抑えながら、バスを乗り換えて、懐かしい、あの場所へ。気温5℃。札幌に比べて暖かいが、雲行きが怪しい。

降りたバス停から下宿までは徒歩6分。5回道を折れて、かの通りにさしかかる。アルバース夫人、お元気だろうか? もう、75歳を越えただろうか?

閑静な住宅街に建つ一軒家。表札には、確かにアルバース夫人の名前がある。電話連絡せずに、やって来たのだから、きっと驚くに違いない。本当は、事前に電話連絡しようかと思ったが、アドレス帳を忘れて来てしまった。だから、今回は夫人に会うのをよそうと、諦めかけていたのだ。

ベルを押す。ピンポーン。返答無し。どこかへお出かけだろうか? いや、オシャレな夫人のことだから、玄関に出る前に身なりを整えているのかもしれない。もう少し、待とう。

もう一度ベルを鳴らす。すると、勝手口からゴソゴソと物音がし、やつれた長男が顔を出す。

Manabuだよ。どっか、具合が悪いの?」と、私。
ああ、病気なんだ。ひどい格好してるだろう」と、長男。
大丈夫かい?
今日は寒いし、あまり良くないんだ
ところで、お母さんは、どこかへお出かけかい?

少し間を置いて、長男が重い口を開く。
母さん、2年前に死んだよ。循環器系の病気でね。突然、血管が破裂しちゃってねえ。大変だったよ

こみ上げてくるものを抑えられず、だらしない体をさらす。長男にどんな言葉をかけたら良いだろう? 適切なドイツ語の単語を探せど、見つからず。いや、言葉なんていらないのだ。私の姿を見ていれば、英語のできない長男にも、気持ちは十分伝わっているに違いない。

ここを立ち去る前に、お母さんの自慢の庭を見ていっていいかい?」と私。
いいよ」と長男。

庭は私の下宿部屋と隣接し、窓越しに、良く手入れされた庭がよく見えていた。さらに、庭の向こうには、牧草地が広がり、ホルスタイン牛を放牧していた。庭と牧草地の間には小さな水路があるのだが、その水路際まで牛が良く集まって来ていた。日曜日の朝などは、JAKOBSコーヒーをすすりながら、下宿部屋から牛を眺めて時を過ごしていた。時々、牛と目が合うこともあった。当時、日本からの情報は短波ラジオに頼っていて、日曜の朝はNHKのラジオジャパンの時間。ある朝、美空ひばりの『愛燦々』がラジオから流れて来て、激しい郷愁にかられたこともある。

アルバース夫人は、この庭をこよなく愛し、手入れをかかさなかった。おそるおそ07032105る、その庭へ行ってみると、荒れ放題だ。しばらく手入れをした形跡がない。アルバース夫人は当時、長男の行く末を案じていた。そんな時彼女は、「古い考えかしらね?」と私に尋ねたもの。それに対して、「親の子を思う気持ちは、人種が違っても、いつの時代でも同じなんだと思いますよ」と答えたことを今でも思い出す。

荒れた庭を見ていたら、長男の行く末が心配になって来たのだが、願わくば、幸せに暮らして欲しい。

0703210307032106あの水路際に立つと、懐かしい牧草地が今でも広がっている。ふと足下に目をやると、アルバース夫人の好きだった花が咲いていた。幽き野辺の花。アルバース夫人の「おもい」が、その花に見てとれた。

もう、ここへ来ることもないだろう。長男に別れを告げ、バス停に向かう。雨が降りはじめ、典型的なブレーメンの鈍色の空となってしまった。


幽(かそけ)き野辺(1)

2007-03-21 22:31:48 | 旅行記

今日は彼岸の中日。

時差ボケで現地時間の3時半には眼が覚める。シャワーを浴び、日本からの宿題に取り掛かる。

6時を過ぎれば、おなかがペコペコになる。ここ、マックスプランク海洋微生物学研究所のゲストハウスには、共通のキッチンがある。お湯を沸かし、お茶を飲む。自炊用にレトルトカレーと「ごはん」を日本から持って来たものの、すべてを院生にあげてしまった。お茶だけでは長い一日が持たないので、外へ出てカフェに入る。

07032101スモークサーモンとチーズをのせたパン、珈琲、そして好物のブレーマー・ロテ・グリュッツェ。ドイツ特有の固いライ麦パン。噛めば噛む程、味わいが広がる。最後にデザート。

ブレーマー・ロテ・グリュッツェは、ブレーメンの郷土料理の一07032102つ。ブルーベリー、ラズベリーなどの各種ベリーに砂糖を加えて煮こみ、コーンスターチを加えてとろみをつけ、冷やす。食べる前にバニラソースをかける。この甘酸っぱいデザートが私の好物。

ロテ・グリュッツェには思い出がある。

070321041994年、ブレーメンで下宿生活を送っていた。ブレーメンでも指折りの閑静な高級住宅地にその下宿があった。大家さんは、アルバース夫人。下宿といっても、玄関は別で、シャワーと簡単なキッチンがついていた。その部屋は、かつて、アルバース婦人の旦那さんのオフィスだった。弁護士業を営んでいたが、私が住み始めるほんの半年前に亡くなられたとのこと。つまり、私が下宿人第一号。

アルバース夫人は、若い頃ロンドンに留学していたこともあり、流暢な英語を話せた。ドイツ語のできない私にはとても都合が良い。右も左も分からない私に、ドイツでの生活のあれこれを息子のように教えてくれた。こんなエピソードがある。アルバース夫人の自家用車はオシャレである。ドイツの自動車と言えば、ベンツ、BMW、フォルクスワーゲンしか知らなかったので、彼女に、「リナルトと言う名の自動車会社もドイツにはあるんですね」と尋ねて見た。そうすると、アルバース夫人は品の良い笑みを浮かべ、「それは、ルノーっていって、フランスの会社よ」。

アルバース夫人には、2人の子供がいる。長女はすでに家を離れて、ボーイフレンドとミュンヘンで暮らしていた。長男は私と同じ歳で、アルバース夫人と一緒に暮らしていた。長男は英語がからっきし話せないのだが、人が良く、時々彼の運転でブレーメン中央駅や空港まで送ってもらった。

アルバース夫人にとっては、東洋人と密に接するのは初めてのこと。きっと大変だったに違いない。私の部屋の掃除もしてもらったし、下着さえも洗ってもらった。本当の息子のように世話を焼いてもらった。

ブレーメン時代は、院生時代同様に研究に集中することができた。そのため、帰宅は決まって遅い。仕事が終わると、研究所から自転車で30分もかかる下宿に戻る。ある日、キッチンにはアルバース夫人の置き手紙があり、「冷蔵庫にロテ・グリュッツェをいれてあるから、食べてね」と。深夜、ひっそりとロテ・グリュッツェをいただいた。アルバース夫人の手作りの味だ。疲れが一気に吹き飛ぶ。それからも、何度も冷蔵庫にロテ・グリュッツェを入れていただいた。

明日に続く


盲目的な若さ

2007-03-20 13:54:34 | 旅行記

日本からのパリ便では、なぜかほとんど眠ることができませんでした。退屈しのぎに、機内映画『武士の一分』を見る。殿様の食事の毒見役の武士がツボガイの毒見で毒にあたり、盲目になってしまう。その後の夫婦のやるせない出来事を描いたもの。古い因習を解き放すには、新しい時代への若さが必要なのか?

『武士の一分』のラストシーンは、いくら凝視しても画面が歪んでしまうのは私だけでしょうか? 隣の席の乗客に見られないように努力。水分が不足したので、ペットボトルの水で喉を潤し、さあ、次は何にしようか?

音楽チャンネルを回していたら、Jポップ・クラシックスで60年代、70年代、そして80年代の特集。時代をおって聴き流す。60年代には、『青年は荒野をめざす』(ザ・フォーク・クルセダース)。うーん、やはりクラシックですね。70年代の最初の曲は、なんと『虹と雪のバラード』でした(この話題はしつこくなっているので、今回で終了!)。『学生街の喫茶店』(ガロ)や『迷い道』(渡辺真知子)というもありました。80年代は、『夢をあきらめないで』(岡村孝子)や『My Revolution』(渡辺美里)でしょうか。

07031901定刻より30分早くパリのシャルルドゴール空港に到着。寒波が来ていて、気温が4℃とか。札幌よりは、はるかに暖かい。ブレーメンへのフライトに乗り換え。定刻通りの出発でしたが、急に雨が降り、30分遅れる。

07031902低気圧が張り出している空を、50人乗りのジェット機は飛行。時々ガタガタと揺れますが、ブレーメンに近づくと晴れ間が見えて来ました。ふと気がついたのですが、風力発電機の数が12年前に比べて急増しています。

07031903ブレーメン国際空港に到着すると、空港内のお店が増えているし、格段に交通の便も良くなっています。空港から研究所までの車窓からは、新しい建物が随所に増えていることがわかります。特に、ブレーメン大学周辺は新しい建物が林立し、以前の牧歌的な風景が霞み、近代的な雰囲気を漂わせています。

「ああ、変わったなあ」と思うことは、我が身が加齢したことを意味しています。つまり、盲目的な若さを失って来ていること。今、ひたすらに、アンチエージング策を考えているところです。


まだ登り坂

2007-03-19 09:10:38 | 大学院時代をどう過ごすか

01_67これからドイツのブレーメンに向かいます。マックスプランク海洋微生物学研究所との共同研究です。久しぶりに、恩師ともお会いできるので、楽しみです。

今回は私費渡航ですので、節約型出張。現地では自炊。カバンにはレトルトカレーと「サトウのごはん」を詰めました。なんだか、南極の野外行動のようです。

4月からは、英国ヨーク大学との共同研究もはじまります。王立協会(Royal Society)のファンドで、2年間の予定です。

国際共同研究と言っても、主役は大学院生やPDの方ですので、私はただボーッと見ているだけです。

もうと思えば下り坂、まだと思えば登り坂。男のわかれみちです。登り坂を選択したならば、険しい道のりですし、イバラの道かもしれません。途中崖崩れがあって再起不能になるかもしれません。まあ、いつものように大汗をかきながらゆっくりと登るしかないようです。こうした登山、案外、メタボ(メタボリックシンドロームのこと)対策には最適な処方かもしれません。

今週金曜日に帰国いたします。それでは、チュース!


花の美しさ

2007-03-18 17:54:53 | 日記・エッセイ・コラム

25年以上も前の大学祭でのこと。「無着成恭」の講演会がありました。今の若い人たちにはあまり馴染みがないかもしれませんが、「無着成恭」は山形の僻地1級の小中学校で「生活綴り方運動」を実践したことで知られています。その体験は映画化(『山びこ学校』)されたのですが、地元の人たちから反感を買い、「無着成恭」は村から追放されることに。その後、禅宗の道を歩みながら、『全国こども電話相談室』の回答者を長く務めて来られました。講演会当時は、明星学園の教頭であったかと思います。

さて、「無着成恭」講演会で、彼が語ったことは、「花の美しさに序列はない」と言うことです。自然界に存在する様々な花を比べてみたところで、その美しさを1番、2番と序列をつけることはできない。それと同じように、こどもたちに序列をつけることはできない。こどもたち一人一人、それぞれの「美しさ」がある。教育に携る人間は、とかく児童、生徒、学生、院生の序列をつけたがるものですが、そうしたことへの痛烈な批判だったのでしょうね。

大学祭での「無着成恭」の一言は、一青年の胸に強く焼き付けられたのですが、その青年も年齢を重ね、いつの間にか立場が「教える」側に。

北大では、内地(本州のこと)と違い、6月に大学祭が開催されます。学部生は、もうすでに今年の大学祭の準備を開始しています。大学祭準備委員会から、かつての「青年」に、ある依頼が来ているのですが、受けるべきか否か? メタボ(メタボリックシンドロームのこと)を気にしている中年オヤジは、若い人たちからの依頼にすこぶる弱い。