福井 学の低温研便り

北海道大学 低温科学研究所 微生物生態学分野
大学院:環境科学院 生物圏科学専攻 分子生物学コース

ペンギンの腸内に抗生物質耐性菌

2007-02-28 00:09:22 | 南極

070226南極昭和基地周辺のアデリーペンギンの腸内から、抗生物質耐性(テトラサイクリン)の細菌8種が見いだされたとのこと。

愛媛大学沿岸環境科学研究センター(通称CMES)の鈴木 聡先生から、2月26日付けの日経新聞の記事を教えていただきました。昭和基地のオングル病院には、医療用の抗生物質はありますが、厳重に管理されており、外に漏れることはありません。漏れたとしても、わずかな量ですから、アデリーペンギンの腸内から耐性菌が検出される程のインパクトはありません。

鈴木先生によると、ペンギンはオキアミ食なので、人間活動の顕著な地域から耐性菌が発生し、何らかの過程でオキアミや魚の体表にImg_337501_6302_34付着して、昭和基地周辺に輸送。食物連鎖を経て、ペンギンの腸内に耐性菌が定着、と言うことらしい。

と言うことは、南極において、人間活動の影響が、大気ばかりでなく、肉眼では捉えることのできないミクロの生態系にも影響を及ぼしていることになります。

南極における微生物生態研究の重要性がますます高くなって来ました。

この研究は、北大獣医学部との共同研究です。


あれも、これも

2007-02-27 17:41:29 | 大学院時代をどう過ごすか

研究者として一人前になるには、いくつかの大きな壁を越えなくてはなりません。それぞれの壁は厚く、高い。

大学院生の頃は、そうした壁を本当に越えられるだろうか、と思い悩むことは自然なこと。と、同時に、小説も読みたい、映画も見たい、スポーツもしたい、テレビもみたい、恋もしたい、科学コミュニケーションもしたい、おいしいものも食べたい、旅行にも行きたい、お酒も飲みたい等々、いろんな欲も同時多発的に発生するかもしれません。

研究は終わりのない旅であり、果てしなく続く人間の営み。人生のすべてを研究に捧げることができたら、なんと幸せのことかと思います。しかし、常にいろいろな誘惑が、こっちへおいで、こっちへおいでと。

世の中には天才と呼ばれる人がいます。そんな人をみて、天賦の才に恵まれて、うらやましいと思うかもしれません。しかし、現代の科学は、天才と呼ばれる人と凡人が同居していて、それぞれの役割を演じているのだと思います。

私自身は凡人ですが、科学の上で何らかの貢献ができると考えています。凡人には凡人なりのスタイルを構築すれば良いのだと考えています。

大学院生の時代、寝ても覚めても研究のことを考え、寝食を忘れて研究に没頭できる良い機会です。給料をもらうようになると、すべての時間を研究に費やすことは困難になることが多いと思います。

別な言い方をすれば、研究に集中することができなければ、研究者としての大きな壁を越えるのは難しいのではないでしょうか? それらの壁を越えることができた、と言う自信が、その後のいくつかの壁を容易くクリアできるようになるのだと思います。

余談ですが、スポコン漫画の典型である『アタックナンバーワン』では、バレーボールの、ここぞと言う試合で、サーブを打つ時、こずえやみどりにかけ声をかけるではないですか。「一本、集中!」と(笑)。

科学論文を書き上げるときは、集中力をいかに持続させるかが鍵です(凡人にとって)。それには、勇気も必要です。しばらくの間、余計なことをすべて捨て去る勇気です。なんと冷徹な行為でしょうか。

さらに、科学論文を書き上げるには、恐ろしい程多大なエネルギーを費やします。かつて、発生生物学者の団ジーン博士(注1)が、こんなことを言っています。

一つの論文を書き上げることは、子供を一人産むのと同じくらいのエネルギーと苦しみを要する

私は子供を産んだ経験がないので、想像の域を脱しませんが、団ジーン博士は論文を書き上げる「大変さと喜び」を上記の表現で表したのかも知れません。

大学院生の場合、初めて英語で投稿論文を書く時、思うように英語で表現できなかったり、単語の吟味に予想以上に時間がかかったりするのは当然のことです。こうした困難をすこしでも緩和してくれるような、指南書を身銭をきって購入してみてはいかがでしょう。

・ 野口ジュディー・松浦克美. Judy先生の英語科学論文の書き方. 講談社サイエンティフィク
・ 酒井聡樹. これから論文を書く若者のために 大改訂増補版. 共立出版
・ 足立吟也ほか編集. 化学英語の活用辞典. 第2版. 化学同人

<注1:団ジーン>
ウニを研究材料にして、卵子への精子の受精過程を研究した発生生物学者。日本で初めての位相差顕微鏡を用いて、『精子の先体反応の発見』で知られる。発生生物学者團 勝磨博士(1904~1996)の配偶者。私が高校生の頃、生物の授業で「受精」に関する教育映画を教室で見たことがあるが、そのエンドクレジットに『監修 団ジーン』と記されていた(正式なタイトルは失念)。


憩いの真駒内

2007-02-26 15:03:19 | 憩いのお店シリーズ

02_33地下鉄南北線「真駒内」の駅から、まっすぐ進んで右手におりて、時々走って14分と15秒。平均1234歩目に、我らの「憩いのお店」の姉妹店があります。

このお店は、北大エルム店と違い、喫茶部があります。また、定期的にコンサートが開催され、チケットはすぐに売り切れるそうです。会場は、店舗のお菓子売り場です。

03_16喫茶部のお勧めメニューは、ピザ。季節により種類が変わります。ユニークな点としては、ピザをハサミでカットすること。なんだか、韓国の焼き肉のようです。

もちろん、売り場でお好みのお菓子を買って、喫茶部でいただくことができます。ここの珈琲は、宮越屋のもので、味わい深い。

パンプキン・パイもお勧め。パンプキン・パイに合うものは、やはり、シナモンティーにバラの形の角砂糖2つ。シナモンの枝で、窓ガラスに心からやりたい研究のことを書けば、その研究がうまくいく、と信じられています。

お時間がありましたら、お試しを! 特に、野外調査の帰りに。


真駒内(まこまない)

2007-02-25 01:11:00 | まち歩き

マコマナイ、ホロカナイ、サツナイ、ワッカナイ、トチナイ、ヤリキレナイなど、北海道にはシンジラレナイほど「ナイ」のつく地名が多いですね。

北海道に赴任して、訪れたい場所のマイベスト5の一つが真駒内でした。昨年の10月、支笏湖方面へ調査に出かけた際、真駒内を通過いたしました。

Photo_6301_61車窓から、真駒内競技場が見え、思わず、デジカメのシャッターを切りました。35年前の札幌オリンピックで、フィギュアスケート会場は真駒内競技場。銀盤の妖精ジャネット・リンが競技中に尻餅をついたシーンは、小5の子供の脳裏にも焼き付きました。

01_62さて、今日のHBC(北海道放送)で放映されたドラマ『たった一度の雪~SAPPORO・1972年~』で、ジャネット・リンの転倒シーンが出て来るか、テレビに食い入るようにチェックしてたのですが。やはり、ドラマ制作者は外していませんでしたね。

当時の実況アナウンサーの言葉は、「オリンピックは何が起こるか分からない」と。このフレーズ、どこかで聞いたことがあるな、と記憶を探ったところ、第47次南極地域観測隊の総隊長でした。

「南極は何が起こるか分からない」

当時、総隊長は札幌にいて、この実況中継を食い入るように見ていたのだろうか? うーん、そんなわけないか。

真駒内競技場へは、札幌駅から地下鉄南北線(札幌オリンピックの1ヶ月前に開業)に乗車し、南方向の終着駅である真駒内駅で下車後、徒歩数分。一方、低温研へは、南北線18条駅下車後、徒歩10分です。

札幌においでの際は、地下鉄南北線途中下車の旅、どうでしょう。


20億年前の地球へ行ってみたい

2007-02-24 00:14:04 | 学問

昨夕、光合成を研究しているA先生と夕食をご一緒したのですが、その時、彼の口からこんな言葉が出てきました。

005「僕は、20億年前の地球に行って、この目で確かめたいことがあるんや。オゾン層の発達していない、地球の陸上で本当に生命がいないのか? UVが強くても、陸上は無味乾燥でなく、やはり、生命活動があったんじゃない?」

うーん、なるほど、そう言う発想があったか! 研究者は不思議に思ったことを、この目で確かめたいと強い欲望が湧いてくる習性を持っています。過去の地球の様子を知りたいと思えば、タイムマシーンの乗って時代をさかのぼり、探検したいもの。

もし、タイムマシーンに乗って20億年前に地球に行けるとしたら、あなたはなにを持っていきますか?

私だったら、顕微鏡です。陸上の砂、岩、水たまり、火山の噴火口など、いろいろな試料を集め、片っ端から顕微鏡観察をしてみたいですね。現在の地球上では存在しない微生物に出会えるかもしれません。

そんなことに思いを巡らしていたら、ワクワクして来て、眠れなくなってしまいました。

まあ、週末なのですから、たまには夜更かしも許されるでしょう。


綱島(つなしま)~床屋の先生~

2007-02-23 11:54:00 | 大学院時代をどう過ごすか

今週始め、凍土系の若手研究者とアーでもなく、コーでもなく、話をしていると、綱島(神奈川県横浜市港北区)の話題が出てきました。

北海道の方にとっては馴染みのない地名かもしれませんが、私にとっては思い出の地。

地方から東京に出てきて、大学院生として生活するには、経済的につらい。少しでも、生活の足しとして、アルバイトを行うのは自然なこと。私もバイトをしていました。

その一つが、綱島の神奈川理容美容学校(現?横浜理容美容専門学校)の先生。いわゆる床屋の先生です。ヘアーカットや、ひげのそり方、マッサージ法など、床屋を目指す生徒はいろいろと学ばなくてはなりません。私はなにを教えていたかと言うと、香粧品化学と物理化学です。パーマネントウェーブと言った具体例をもとに、その科学の原理を教えることが中心です。中学を出たばかりの生徒さんたち相手です。これらの教科は、理容師の国家試験の科目でもあるので、教え方一つで国家試験の合格率に反映されます。興味を持たせながら、わかりやすく説明し、なおかつ、国家試験対策も行う、という教える側としては難易度の高い仕事です。

綱島の学校のHPを拝見すると、結構オシャレな学校に変身したようですね。私が講師をしていた頃とは大きく違います。現在は美容科の方に重きを置いているようです。そのため、いっそう華やかですね。当時もそうでしたが、実際の美容師さんたちが実技を教えに来ていました。

都立大の授業料免除制度と綱島の学校のお陰で、何とか大学院を修了することが出来ました。こうした高収入のバイトは、教室内で代々受け継がれていました。私は、先輩から修士2年のときに受け継ぎ、博士3年になる前に後輩に引き継ぎました。

01_60床屋の学校の先生をしていたと言う経歴を有していたため、砕氷艦「しらせ」ではもっぱら散髪係を務めさせていただきました。特に、71歳の柴田鐵治さんに気に入っていただいたようです。昨年2月12日、長い野外調査から「しらせ」に戻ると、柴田さんが開口一番。

「福井さん、首を長くしてお帰りをお待ちしておりました。時間が空いている時でいいのですが、散髪していただけませんか」と。実は内心、ドキドキしながら観測隊の皆さんの散髪をしていたんです。

と言うことで、床屋の先生と言う華麗な経歴のせいか、ヘアスタイルには結構うるさい。最後に床屋に行ったのが、昨年の11月13日。あれから3ヶ月以上も経っています。ヘアスタイルが結構うるさくなり、早く床屋に行かなくては!


キタキリスズメ

2007-02-22 01:08:20 | 大学院時代をどう過ごすか

昨夕、都心での用務を終え、丸の内経由で羽田に向かいました。ちょうど帰宅ラッシュにさしかかった頃でしたが、丸の内界隈で颯爽と闊歩している老若男女(通称、ラテ族)。彼らのファッションは、キリッとしていてカッコいいですね。何とかと言うブランドファッションでしょうかね。

今年の正月、新潟に帰省しました。実家に到着して、防寒具を脱ぐと、70代後半の母親が、「大学生の頃に来ていたセーターをまだ着ているの」と。

小さい頃からファッションに疎く、母親から、「だっちもねえーカッコウするな」(みっともない格好をするな、と言う意味)と言われ続けています。

大学生の頃は、心ない友人から、「キタキリスズメ」と呼ばれたこともあります。大学院の頃は、もっと凄いことになっていて、東横線(渋谷と桜木町を結ぶ東京急行の私鉄路線のこと。代官山、自由が丘、田園調布と言ったオシャレな街を結んでいる)をジャージ姿で乗車して、渋谷へ遊びにいっていました。このことを、田園調布から通っている先輩の女子院生に告白すると、「お願いだから、そんな格好で東横線に乗らないで~」と叱られました。

母親の名誉のためにことわっておきますが、ファッションに疎いのは親の教育のせいではありません。きっと、水前寺清子の歌のせいです。

ボロは着てても 心は錦 どんな花よりきれいだよ
 若いときゃ どんとやれ 男なら
 人のやれない ことをやれ

   (水前寺清子『いっぽんどっこのうた』より)

さらに正直に告白すると、ファッションに疎いうえに、食べ物へのこだわりもありません(グルメでない)。今風に言えば、『ちょーダセー』の典型ですね。

新年早々、実家に着ていった、25年間愛用のセーターを身にまとい、低温研本館の2階を歩いていたら、所長に呼び止められました。

「福井さん、そのセーター、格好いいね!」と、所長の一言。

ファッションとは、見る人によって感じ方が変わるものなんですね。


砕氷艦「しらせ」からのメール

2007-02-21 01:16:07 | 南極

47次越冬隊と48次夏隊を乗せた砕氷艦「しらせ」は、現在アムンゼン湾を航行中とのこと。「しらせ」での様子は、み・くりさんのブログ『Katabatic wind』で、「しらせ便り」として紹介されています。

昨日、47次越冬隊気象隊員の滝沢厚詩さんからメールをいただきました。先日のNHKの番組『毛利衛 氷の大陸を歩く』でも、彼の姿が紹介されていました。オゾンホールの発見に繋がった観測装置をオペレーションしている隊員が滝沢さん(気象庁)。オペレーション中なのに、なぜか肩にデジカメをぶら下げている姿は、ちょっぴり妙でしたが。

滝沢さんからの「しらせ」メールによると、「しらせ」は、2月15日13時に昭和基地を離岸し、反転北上の予定だったとのこと。これは、50年前宗谷が同日同時刻に昭和基地を離れたことに合わせようとしたのです。当日、20m/sと言う強風のため、残念ながら翌日に延期となりました。

現在、海洋観測や沿岸調査を行いながら、「しらせ」は東進しているとのことです。

余談ですが、滝沢さんは低温研出身です。

先の日曜日、NHKアーカイブズの一つとして、『日本一寒い町で・北海道陸別町』(1985)が放映されました。番組で、加賀美幸子さんが紹介しています、「南極氷床掘削の実用化試験は陸別で行われ、その建築にかかわった方が南極観測隊の越冬隊員になっています」と。47次越冬隊の斎藤隊員のことで、やはり低温研関係者です。

このように多くの低温研関係者が、日本の南極観測に貢献しています。さて、今年の49次観測隊では、低温研関係者はどなたが参加されるのでしょうか? 楽しみです!


一枚のCD

2007-02-20 01:08:07 | 四季折々

2004年8月1日。低温研赴任の日。東京はうだるような暑さ。大汗をかきながら、羽田に向かい、飛行機に搭乗。

これから、どんな世界が広がるのだろう? この日のために一枚のCDを購入。

トワ・エ・モアのゴールデン・ベストアルバム。20曲がおさめられており、『或る日突然』から始まり、『今は』で終わる。大学院生の皆さんには、あまりピンとこない歌ばかりかもしれない。

あらかじめiPOD中にダウンロードしていた。新千歳空港に降り立つと、やはり、暑い。大きな荷物を抱えながら、快速エアポートに乗り、札幌へ。人生で7度目の札幌だ。駅から徒歩で、クラークホテルに向かう。太陽の照り返しが強く、睡眠不足の体にはこたえるな。それにしても、ここは札幌か? こんなに暑くていいのか?

やっとで辿り着いたホテル。チェックイン後、低温研に向かう。遠い道のり。汗だくになりながら、白い瀟洒な建物の受付へ。日曜日の低温研は静かだ。守衛さんから宿舎の鍵を受け取る。

同じ道を引き返してホテルに戻る。再び外出していくつかの用をすませ、足が棒になりながら、エアコンがないホテルの部屋のベッドでバタンと体を横たわる。

iPODのスイッチを押す。『或る日突然』、『美しい誤解』、『空よ』、『あの橋を渡ろう』、『誰もいない海』、『地球は回るよ』、『今こそ二人は』と続く。そして、あの歌が始まる。『虹と雪のバラード』だ。1972年、札幌オリンピックのテーマソング。それは、小学5年生の冬のこと。

僕らは呼ぶ あふれる夢に あの星たちの間に
  巡っている 北の空に 君の名を呼ぶ オリンピックと

僕らは書く 命のかぎり 今太陽の真下に
  生まれ変わる 札幌の地に 君の名を書く オリンピックと

新しい土地で、新しい歩みを始める我が身を励ましてくれる、懐かしい歌。これが冬だったら、もっと心にグッとくるかもしれない。うーん、それにしても蒸し暑い。

翌朝、3階の低温研所長室で辞令をいただく。その後、2階の事務室庶務係で各種手続きを行う。建物の中にクーラーがいっさいない。事務室には、背の高い扇風機が回っているだけ。

汗ばんだ手で鞄から「一枚のCD」を取り出し、庶務係長のSさんに「このCD知っていますか?」と、お見せしようとしたが、止めた。

昨日、雪の降る中を、3月1日に低温研に赴任する若手の研究者が研究室を訪ねてくれた。彼に「一枚のCD」をお見せしようかと思ったが、やはり止めた。35年前の歌など、彼は知るはずがない。

今度の日曜日(25日午後2時)、HBC(北海道放送)で『たった一度の雪~SAPPORO・1972年~』というドラマが放映される。トワ・エ・モアの歌は流れるだろうか? ジャネット・リンの銀盤の妖精姿は? 結構楽しみにしているのは、私だけだろうか?


生き字引

2007-02-19 10:33:00 | 学問

何かの新しい伝統を構築して行くには、それまでの伝統を一切無視するやり方と、過去から学んで、それを礎にして発展させて行く方法があります。

後者を選択する場合、文字として記録されていない情報や文字として残せない微妙な情報を取得するには困難を要します。そんな時、身近に「生き字引」がいると、とてもありがたい。

低温研のこれまでの歴史を知る上で、不明なことがあると、いつもお尋ねする方がいます。低温研の生き字引Uさんです。以前は、Sさんによくお聞きしていましたが、残念ながら退職なさいました。

以前のエントリー「零の発見」で紹介した、雪氷系の「吉田と言う研究者」について、Uさんにお尋ねいたしました。すぐに答えが返って来て、「吉田順五」先生のことだそうです。「零の発見」の著者・吉田洋一博士の弟さんとのことです。とても、厳しい先生であったようです

01_59北大には総合博物館がありますが、「吉田順五」先生の顔写真が展示されています。なるほど、「厳しさ」が十分伝わって来ますね。

それにしても、同じ分野の中谷博士と吉田博士、お二人はどのように切磋琢磨されておられたのでしょうか? 今度、Uさんにお尋ねしてみようかと思います。


男のわかれみち

2007-02-18 12:52:39 | 四季折々

今から25年前の冬の深夜の出来事。日本海に面した9階建ての大学の建物。その4階に実験室があった。室内から窓越しに、目を日本海に向けると、ホタルイカ漁の漁り火が漂い始めている。

ある池の堆積物中に生育するバクテリアの計数を行っていた。寒天平板に出現するコロニーの数を計時的に計数。コロニーの出現パターンから、現場にすんでいるバクテリアの生理学的状態や種類を推定しようとしていた。

1、2、3、4、、、とコロニーを数え上げる。誰もいないはずの建物。下の階から、突然スピーカー音が聞こえて来る。うるさいな。これでは、コロニーを数えられないではないか! 誰だろう?お化けか?

おそるおそる、下の階への階段を下り始める。3階だ。真っ暗なフロアーの中にあって、A先生の研究室だけ明かりが灯っている。ああ、A先生か。上の階まで響き渡る音量でラジカセ(ラジオ付きカセットテープレコーダーのこと)から音楽を流していたのだ。

かけていたのは、五輪真弓の「恋人よ」。

 ♪恋人よ そばにいて~ 凍える私の そばにいてよ~

大学の先生と言えども、人の子。学生には言えない悩みがあるんだろうな。

そのまま、4階の実験室に戻り、コロニーの計数を再開。窓の外に目を向けると、雪がちらつき始め、漁り火が見え隠れしていた。

先日、全学のある委員会に出席。配布された資料に目を通す。委員の名簿を眺めていたら、A先生と同姓同名の名前を見つける。もしかして? 斜め向かいに、25年の年月を経たA先生が座っていた。ビックリ。その後、会議中、A先生のことばかり気になってしまった。頭の中で、五輪真弓の歌が駆け巡り、過去と現在が交差する。

四半世紀と言う時の流れ、はやいのか、おそいのか?

何はともあれ、A先生、どうやら、お元気そうなので、ほっとした。A先生は私のことを知らない。会議後、他の先生に声をかけられ、A先生にご挨拶する機会を逸してしまった。できるなら、そのうちに、、、、。

今の季節、研究室に泊まりがけになることもある。そんな時は、井上陽水の「ワカンナイ」を良く聴く。今度は、大河内ひまわりの「女のわかれ道」をBGMにかけよう。天海雪が舞う、北海道の夜には、ぴったりの曲だ。そう思い、CDショップに足を運んでみたが、まだリリースされていなかった。うーむ、テレビの見過ぎか?


博士論文審査パスを祝う

2007-02-17 15:56:22 | 大学院時代をどう過ごすか

ドイツでは、博士学位審査をパスしたお祝いパーティーは、パスした本人が催します(地方や分野等でバリエーションがあるかもしれません)。招待客は、研究室の関係者や友人ですが、ご両親もいらっしゃいます。会場は、たいてい大学や研究所の中の一室。温暖な季節では、野外でバーベキューを楽しむこともあります。派手に飲み食いと言うのではなく、質素ですが、これまで研究を支えてくれて来た人たちへの感謝を表す会でもあります。

日本は逆です。「学位審査パスおめでとう、お疲れさまでした」と、パスした人への労いの会の意味が多いでしょうか。

ところが、日本にいながら、ドイツスタイルを思いおこさせる機会がありました。

01_5712今週火曜日、お隣の研究室のDhepeさんから昼食のご招待を受けました。低温研1階の生物分野のメンバーを招いての「カレーパーティー」です。会場は2階の講義室。彼女はインドからの留学生で、今月学位審査をパスいたしました。それをお祝いする会を彼女自身が企画し、ご自慢のカレーを振る舞ってくれたのです。

02_31おそらく、日本人向けに辛さを控えた本格的なカレーで、お母さんから受け継いだレシピに違いありません。前日から準備したとのこと。総勢30名分以上のカレーとサフランライスを準備するのは大変だったことでしょう。カレーも2種類で、エッグカレーもマイウー! あまりのおいしさに、頬は色に。まさに、おイワイカレーですね。

04_7皆さんおかわりをして、「もうこれ以上食えねえー」レベルの満腹状態に。始終ニコニコのDhepeさん、最後にデザートとして、アイスクリームをふるまってくれました。心づくしの手料理、ありがとうございました。そして、学位審査パス、おめでとうございます。

こうした研究所内のイベントは、学問分野が異なるグループ間の自然な交流の機会として良いものですね。

01_5802_32さて、私たちの研究室の学位審査パスお祝いの会は、ボーリング大会でした。私にとっては20年ぶりのボーリングで、ガータの連続でした。極めて、低レベルの試合でしたが、楽しさは高レベル。普段、研究室では見られない、院生の皆さんの一面に触れ、とても微笑ましいかぎりです。

伝統にとらわれない「祝い方」も、いかにも低温研らしいですね。みんなでともに、新たな伝統を作って行きましょう!


女のわかれみち

2007-02-16 00:51:57 | 大学院時代をどう過ごすか

飛行機の搭乗中の楽しみの一つは、各種新聞を読めること。客室乗務員が乗客に新聞を配ったのち、乗客の皆さんはどのようにして新聞を広げるのでしょうか?

ある種の確率で、テレビ欄からページをめくる方がおられます。大抵、そう言う方は私と同じくらいの年齢です。実は、私も同類です。昭和40年前後の高度成長期に育った世代です。娯楽があまりなく、テレビが生活の必須アイテムになっていたのです。そのため、新聞も真っ先にテレビ欄から見てしまうのです、今日はどんな番組があるかと。

最近、『演歌の女王』という、ドラマを観ています。売れない女性演歌歌手の生き様をコメディータッチで描いているのですが、彼女の唯一の小ヒット曲が「女のわかれみち」です。彼女の人生の選択において、どちらの道を選ぶか? そうしたシーンに、この曲が流れながら少女時代の彼女が今の彼女に問いつめるのです、「あんた、どっちを選ぶの?」と。

研究者人生も、結構シビアな「わかれみち」が多いですね。時には、研究やめようかな、なんて。でも気がついていたら、研究を続けている。

大学院時代には、結構いろいろ悩みましたね。雪国育ち(?)のせいか、考えて、考えて、考え抜いて行動する癖がついている私は、「わかれみち」にさしかかると、なかなか選択できないでいました(今でもそうですが)。こっちの道を選んだらどうなるか、あっちの道を選んだら後悔すんじゃないか、と頭のなかで人生シュミレーションプログラムが走ってしまうのです。

最後は、自分自身が、今なにが一番したいか、を優先させた選択をしてしまったように思います。そのため、肉親にも周りの多くの方にも大変ご迷惑をかけたことと思います。人様からみれば愚かな選択のように捉えられていたのかもしれませんね。

『演歌の女王』のヒロイン・大河内ひまわりも、人生の「わかれみち」で本当に愚かな選択をしてしまうのですが、その選択の根っこに共感してしまうのです。それによって、結構ヒドイ目にあうんですけどね。

大河内ひまわりの小ヒット曲「女のわかれみち」の作詞作曲は、歌バカ堅三郎です。ドラマのテーマソングは、平井堅。飛行機の中で読んだスポーツ新聞によると、平井堅が初めて演歌に挑戦した作品が、「女のわかれみち」とのことです。


砕氷艦「しらせ」 昭和基地離岩の日

2007-02-15 00:20:03 | 南極

昨夕から荒れ模様の札幌。横殴りの雪。風は強く、時より窓がガタガタとけたたましく音を立てています。

今日は、砕氷艦「しらせ」が昭和基地を離岩する日。これから48次越冬隊のみの生活が始まると同時に、越冬明けの47次越冬隊と48次夏隊は昭和基地とお別れです。

01_5602_3003_15去年の時(2006年2月12日)はどうだったかと言えば、くりさんが越冬隊と夏隊の両面からブログで公開してくれています。

04_506_207昨年の2月13日(昭和基地を離岩した翌日)、「しらせ」から、こんなメールを日本にいる「み・くり」さんに送っています。

昨日、越冬隊と別かれてからというもの、ぐっと疲労感が出て参りました。46次の方々は今朝4時くらいまで呑んでいたそうですが、47次夏隊の皆さんはどこかしら言葉少なげに寝室で胸からこみ上げるものを熱く感じながら静かに過ごしていました。

私は最終便で「しらせ」に戻りました。海○○○庁から派遣されているM隊員(越冬隊機械担当)は強面の人で、私と高野君は「大魔神」と読んでいました。別れ際に、あのMさんが大粒の涙を浮かべていました。そして「しらせ」が出航し、見晴らし岩が見えなくなるまで、海○○○庁の旗を降り続けていたMさんがとても印象的でした。

離岩後、私たち夏隊にとっては、越冬隊の皆さんのことが気がかりでなりませんでした。「しらせ」航海中、夏隊と越冬隊を結んでくれたのが、「み・くり」さんでした。インターネットが使えない「しらせ」側の夏隊に、越冬隊の様子を伝えているブログ「Katabatic Wind」のテキスト版を衛星回線経由で送っていただき、夏隊メンバーに艦内メールで転送する。逆に、「しらせ」での様子を「み・くり」さんに、衛星回線経由で電子メールでお伝えすると、その内容をブログでアップしてもらう。そうすると、昭和基地からでも「しらせ」の様子をうかがえます。

ということで、「み・くり」にはお世話になりっぱなしです。どうもありがとうございました。

昨日、「しらせ」に帰艦した48次生物隊員の星野さんからメールをいただきました。ブログで詳しくご紹介できないのはとても残念ですが、研究上、大変な収穫があったようです。また、お忙しい中、私の試料採取のオーダーにも十二分に応えてくださいました。

口琴奏者の星野さんはアイヌ文化の重んじる方です。「チャランケ」の心で、長い、ながーい、帰りの「しらせ」航海中、47次と48次の皆さんを繋いでいって欲しいと思います。

最後に、47次越冬隊との皆さん、そして48次夏隊の皆さん、お疲れさまでした。また、離岩日まで北大のイベント北海道大学 南極学カリキュラム 開設記念イベント ~ ふしぎ大陸 南極を見に行こう!~)にお骨折りいただいた和尚さん、いろいろとありがとうございました。和尚さんは、きっと近い将来、昭和基地にお戻りになられるのでしょうね。


体を鍛えなければ 研究もできせんね

2007-02-14 07:41:13 | このブログに関して

これは、南極宗谷海岸スカルブスネスの池へ向かう登り坂で、立松和平氏の口から思わず出て来た言葉。

NHK総合テレビ『南極50年! 毛利衛 氷の大陸を歩く』(2007年2月12日8:001_1003_1002_235~9:50)で紹介された一シーンです。南極の湖沼調査の場合、ゴムボートを含め、すべての観測機材を背負って、岩場の山道を徒歩で目的地に向かわなければなりません。大抵1時間くらいかかるのですが、その登り坂で立松氏が吐いた、この言葉は、まさにその通りです。立松氏の荷物はデイバック一つで、身軽ですが、番組でも紹介されていた、湖底堆積物を採取するためのエクマン・バージ式採泥器は、背負うと肩に食い込む程重いのです。さらに、調査後、キャンプ地を戻るときは、採取した試料に加えて、濡れたボートが重さを増します。

J007私たちの湖沼調査の基本人数は4人。最後のランフホブデでは3人で行いました。こうした調査を毎日繰り返していると、さすがに腰への負担が蓄積し、腰痛に悩まされます。したがって、調査には、医療隊員の原先生と朽網先生から配給されたシップ薬が欠かせません。

湖沼の生物および化学調査は、地形調査や大気調査と違い、試料採取後、すぐに試料の処理を行わなければなりません。そのまま試料を放っておけば、試料の化学成分や生物組成が変化してしまうからです。この写真は、採取した湖沼堆積物コア試料を半割し006_1て、その内容を記載しているところです。真剣な眼差しの46次地学隊員の佐藤高晴先生(広島大)、カッコいいですね(写真右手)。あ、うん、の呼吸で佐藤さんが読み上げるデータを筆記する47次生物隊員の高野さんも探究心に満ちていますね。記載作業を終えると直ちに、化学、地磁気、生物分析等の目的に応じて試料を分取、処理して、保存します。試料は細心の注意を払ってクリーンに処理しているんですよ。ちなみに、処理する人たちは3週間も風呂に入っていません。

過去1万年の環境を記録した磁気テープとしての湖沼堆積物。現在、札幌や広島の地で慎重に分析が進んでいます。

このブログは、研究室の雰囲気をお伝えすることが主目的です
。これまで、南極や高山湖沼の調査の様子をご紹介して来ました。こうした調査には、強靭な体力が必要であるかの印象を与えるかもしれません。しかし、私自身はそれほど体力がある訳ではなく、運動能力に長けている訳でもありません。要は、自分に合った研究スタイルを構築すれば良いだけのことです。

私たちの研究室は、野外調査ばかりでなく、実験室を中心にしたテーマもあります。キーワードに「微生物」があれば、テーマは自由です。また、体力だけあっても、研究は成り立たないことは、当然のこと。さらに加えるものとして、熱意でしょうか。若い人たちの研究に対する熱意に、我々は弱いのです。

ということで、体力のある方も、ない方も、私たちの研究室は歓迎いたします。

<追記>
NHKの番組で紹介された、昭和基地やその周辺の大陸沿岸の映像を見ていたら、南極にまた行きたくなりました。そう思うのは、私ばかりではないはず。言葉で表現できない魅力が、南極にはあるのでしょうか? 論理的に説明できない不思議な感情・感覚です。

夕べの札幌はぐっと冷え込みました。低温研から自宅へ徒歩で戻る道すがら、久しぶりに頬がピリピリする感覚を味わいました。その私の後ろから、氷河・凍土関連の若手研究者が車でヒューッと追い越して行きました。彼らは、今、18日のイベントに熱心に取り組んでいます。もし、お時間がありましたら、会場に足を運んでください。