福井 学の低温研便り

北海道大学 低温科学研究所 微生物生態学分野
大学院:環境科学院 生物圏科学専攻 分子生物学コース

心残り、そして除夜の鐘

2006-12-31 02:13:24 | 南極

年明け2日から始まるスカルブスネスへの調査機材及び食料の準備完了。3パレット分で945kgとヘリコプター搭載制限重量ギリギリだ。

「しらせ」艦内は年越しモード。昭和基地で夏作業にあたっていた47次隊全員が一旦「しらせ」に戻る。久しぶりに観測隊員公室に全員が集う。20:00より、忘年会が始まる。ビールを少しいただくが、なかなか酔えない。心に引っかかることがあるからだ。年明け早々、日本に残して来た修士2年の院生2名が修士論文を提出しなければならない。英語でうまく書けているだろうか?小島さんや松浦さんにも過重な負担をかけてしまっている。「しらせ」ではインターネットが自由に使えず、論文をチェックすることもままならない。あさってには、電子メールも使えない環境になる。インターネットが使えるようになるのは、2月初めに昭和基地に移動してからだ。彼らの研究内容のあれやこれやと思ったとしても、ここは南極。どうしようもない。まあ、彼らならばこの苦境を乗り切ってくれるに違いない。

南極における日本の研究観測は脆弱さを抱えている。大学院重点化した大学教員にとって、12月から4月にかけては猫の手も借りたい程忙しい時期だ。この時期、南極観測のために大学を離れることは本来許されないこと。特に卒業の院生がいたならば、なおさら。毎年院生が研究室に入って来る場合、教員は永久に南極観測には参加できない。私の場合、今年は博士課程修了の院生がいないのが救いだが、だからといって、修士の院生が犠牲になってはならない。本当にすまない気持ちでいっぱいだ。

あれこれ思案していると、公室内で若い人たちの賑わいが聞こえる。濃いウィス01_36
01_38キー(ニッカウィスキー鶴)を少しだけいただくことに。だからと言って問題が解決する訳でない。越冬する大学教員らと甲板に上がる。これは日の入りか、初日の出か?沈まない太陽の季節でも、太陽の高度が下がれば空は赤く染まる。時計を見ると、まだ年越し前。和尚に鐘のつき方を習い、修論を書いている院生のことを思いながら、除夜の鐘をつく。

               (『エコミクロ南極日誌』より)

いろいろな方のご支援のおかげで、今年、南極観測を無事に終えることができました。かの地で採取した試料を札幌の研究室に持ち帰って、今年入学した院生の皆さんと一緒に研究を進めています。南極以外のテーマも結構面白くなっています。

今年一年を一つの言葉で表すならば、迷わず、「感謝」です。みなさん、ありがとうございました。

今年も、修論と博士論文をまとめあげている院生たちがいます。彼らが、また、新しい一里塚を築こうとしています。


海氷、そして解氷

2006-12-30 09:45:18 | 南極

天候悪化予報のため、スカルビックハルセンでの野外調査を諦め、砕氷艦しらせに戻った。帰還早々、ルンドボークスヘッタおよびスカーレンでの採取した試料の処理、01_35明けのスカルブスネスの調査の準備を行う。スカルブスネスでの調査に関して、昭和基地に戻った46次地学隊員の佐藤さんと打ち合わせが必要となったため、昭和基地に訪問することに。

しらせから昭和基地のある東オングル島の最寄りの陸地までは数百m離れており、01_37海氷上を徒歩で行かねばならな
02_19い。沈まない太陽の季節、海氷は解ける一方。至る所にアイスクラックが走っている。クラックに足を取られたら、危険だ。隊長から海氷上の行動訓練を受ける。注意深く海氷を歩く。アデリーペンギンの出迎えを受け、生まれて初めて東オングル島に上陸。基地に向かって歩いていると、町外れの工事現場か、廃坑になった町に来ているような感覚に襲われた。これまでの雄大な大陸調査地の印象とは大きく異なる。

        (『エコミクロ南極日誌』より)

意外かもしれませんが、野外調査中心の夏の研究観測隊員にとっては、昭和基地に滞在する機会は少ないのです。「しらせ」が昭和基地周辺の海氷で停泊する以前に私たちはルンドボークスヘッタへ調査に出かけたため、12月29日にようやくそのチャンスが訪れました。もし、スカルビックハルセンでの調査がキャンセルにならなければ、2月初旬まで東オングル島に立つことはなかったでしょう。

1年前の写真を眺めていたら、日誌に記載されていない事実が蘇って参りました。03_7海氷上に立つと強い紫外線の反射のため、サングラスをかけないと目が痛くてしょうがありません。デコボコとの海氷はとても歩きにくく、油断すると足が取られてしまいます。しばらく歩いていると、突然前を歩いていたAさんが視野から消えてしまいました。あれっ?アイスクラックにハマってしまったAさん、大丈夫ですか?い02_2004_1つも沈着冷静な彼でも、こんなことがあるんですね。クラックを良く見たら、ペールカラーに染まっていました、ヒャッ!

あれあれ、こっちを見ていたアデリーペンギンのカップルが何やらクスクス笑いで噂話しています。南極の海ではアデリーペンギンにはかないません!

僅か数時間の昭和基地での滞在を終え、さあ、海氷上をテクテク歩いて「しらせ」に戻05_1りましょう。年を明ければ、71歳の誕生日を迎える柴田鉄治さんの後ろを歩きます。おおっ、ザックの担ぎ方がナウいですね、柴田さん。若人顔負けの人生の先輩の情熱で、足下はどんどん氷解していきます。さあ、「しらせ」に早く戻ろう。そして、年明けの調査の準備をしなくては。短い夏の間、できる限りの調査をしよう。

一年経った今、こんな光景がすぐに思い浮かぶのは、どうしてでしょう?

<追記>
Aさんの名誉のためにおことわりしておきますが、彼はクラックにつまずいただけです(表現が多少誇張されています)。しかし、真夏の日中の海氷上が危険であると言うことに変わりはありません。


穏やかな一日

2006-12-29 13:57:59 | 四季折々

061229大荒れの雪模様との天気予報は完全にハズレ、いつになく穏やかな日を迎えています。

先日の雨で雪が大分とけたのですが、油断はできません。

研究所も人数がぐっと減ったのですが、休まず研究の歩みを止めない大学院生もいます。その努力が報われることを願ってやみません。あまり無理をせず、体調管理にも注意を払ってくださいね。


心にアキ地を

2006-12-29 00:51:54 | 南極

20時ちょうど。VHFの無線機のスィッチを入れると、昭和基地との定時交信が始まる。中本通信隊員が野外調査チームを順番にコールする。スカーレンの居住カブースには我々湖沼調査チームが待機。順番が来て、「異常の有無、気象情報、今日の行動と明日の予定」を基地側へ伝える。一通りのルーチンの交信を終えると、昭和基地から発する声が隊長に変わる。あれっ?

12月30、31日と天候が悪化し、ヘリコプターが飛ばない可能性がある。明日(12月28日)、湖沼チームはスカーレンからスカルビックハルセンへ移動する予定だが、もしピックアップ予定の31日にヘリコプターが飛ばなかったら、スカルビックハルセンで年越しになる。今後の予定を検討し、野外に残るか、昭和基地に明日戻るか検討せよ。21時に交信を再開する。以上。

スカーレン調査の後、スカルビックハルセンでも湖沼調査を予定していた。この地は、研究者にとっては魅力のあるフィールドである。是非現地に行って調査したい。しかし、天候が悪化したならば、テント内でしばらく好転するまで待機しなくてはならない。それは良いとしても、年明け早々、今回のメインの調査地であるスカルブスネスでの調査に多大な悪影響が出てしまう。ヘリコプターに搭載できる荷物には重量制限があり、スカルブスネス用の調査機材を準備していない。どうしても一度「しらせ」に戻り、荷物の入れ替えが必要だ。もう一人の生物隊員の高野さん、46次の佐藤さんと山崎さんと相談し、スカルビクハルセンでの調査を諦めることに。苦渋の選択である。

21時交信再開。昭和基地からVHFを通して声が聞こえてきた。
湖沼チームの決断を聞かせて下さい
スカルビックハルセンの調査を諦め、明日しらせへ戻ります
はい、了解

28012803_1





翌28日、「しらせ」から迎えのヘリコプターが到着。ヘリコプターからは副長が迎え入れてくれた。私、高野さん、そして調査機材1トンをのせたヘリコプターはスカーレンを飛び立つと、ヘリの乗務員からパイロットと交信できるヘッドセットを渡される。ブレードの騒音の中、パイロットからの呼びかけの声が聞こえる。
2802学長、野外調査おつかれさまでした。スカルビックハルセンに行けなくなり、残念ですね。
とても残念でしょうがありません」と、私が答えると、
せっかくですので、スカルビックハルセンをまわってから、ホワイトクゥイーン(しらせのこと)に戻ります

2804ヘリコプターはスカルビックハルセン上空を軽やかに旋回する。

幻となったスカルビックハルセンを眺めながら、南極観測は潔く諦めることも大事なんだと、自分に言い聞かせた。

             (『エコミクロ南極日誌』より)

そんな決断をしたのが、1年前の12月27日のことでした。その時のことを思い出していたら、急に高野さんに会いたくなりました。一昨01_34日の20時15分、札幌駅前の「炙屋」で苦労をともにした高野さんと2人だけの忘年会を行いました。マネージャーさんの粋な計らいで、寿司カウンターに席を用意してくれました。1ヶ月半ぶりの高野さんと、47次越冬隊員や48次生物隊員の星野さんを肴にしてお酒をいただきました。
02_18
このお店、炉端焼きが中心で、炭火でじっくり海の幸や山の幸を焼いてくれます。ちょっと奮発して、タラバガニの炭火焼きをいただきました。タチの天ぷらもフワッとした感触で美味。

03_6最後に板長さん(写真の右側の方)がタチの白子握りを特別に作ってくれました(メニューには載っていませんのでご注意を!)。これは、軍艦巻き上にタチの白子と紅葉おろしをのせ、さらに特別なタレをかけたもの。口中に頬張ると、白子がクリーミーに広がり、紅葉おろしのピリッとした辛さとあいまって、言葉で表現できないおいしさです。ああ、しまった、写真を撮るのを忘れてしまった!

このお店のもう一つの魅力はマネージャーさんの接客の品の良さです。とても賢い方で、お客さんの好みなんかもすぐ覚えてくれます。

年齢を重ねれば重ねるほど、仕事も重くなりがちです。年末の慌ただしさの中、客を優しく包んでくれるお店で、極限環境で苦労を分かち合った友としばしの間語り合う。そんな心のアキ地を残しておくことの大切さを噛み締めた晩となりました。


童心に帰って

2006-12-28 00:41:37 | 四季折々

061227昨日の札幌は44年ぶりの大雨に見舞われました。真冬の雨は道路に積もった雪をとかし、水たまりになってしまいます。おまけにとけきらない雪がつるつるになってしまい、滑りやすくなります。歩行には十分な注意が必要です。

さて、昨日の道新(北海道新聞のこと)朝刊にこんな記事が出ていました。来る札幌雪祭りの大雪像の一つに、『神秘大陸 南極の生き物たち』が登場するとのことです。南極観測船「宗谷」(当時は海上保安庁が運行担当)の傍らに、タロとジロ、そしておなじみのアデリーペンギンやウェッデルアザラシが並んでいます。トウゾクカモメは061227_1見当たりません。もちろん、地衣類、赤雪藻類、コケ、線虫、ゾウリムシ、クマムシも写真からは確認できません。しかし、バクテリアは雪の中に確実に存在していますので、携帯顕微鏡を持参すれば、大通公園会場でバクテリアを確認できるかもしれません。しかし、これは「南極の生き物」と言えるのでしょうか?まだまだ謎ですね。

雪国の冬を積極的に楽しむイベントが札幌雪祭りです。童心に帰って、雪合戦で無邪気に遊んでみようかな。


和へのこだわり:黒豆大福

2006-12-27 01:43:00 | 憩いのお店シリーズ

子供の頃は、和菓子が苦手でした。なかでも、大福なんて大嫌いでした。

歳を重ねるごとに、和菓子好みになってくるのはどうしてでしょう?その兆候は、特に30歳を過ぎてから顕著になってきました。ちょっと恥ずかしいエピソードですが、ドイツのブレーメンに住んでいた頃のこと。当時33歳だったのですが、ある日無性にどら焼きが食べたくなりました。その欲望を抑えきれなくなり、週末ロンドンに飛んで行って、日系の百貨店でどら焼きを食べた覚えがあります。航空券代が約2万円くらいしたでしょうか?かなり高額などら焼きになってしまいました。

01_33昨日、いつもの「憩いのお店」では季節限定商品「黒豆大福」の販売開始の日でした。お昼休みに北部食堂で「松健うどん」をササッと食べて、「憩いのお店」へ直行し、4個入りを購入。足早に研究室に戻り、緑茶をいれて、いざ!

02_17モッチリした「黒豆大福」を頬張ると、口の中で甘さを控えたこしあんが唾液を速やかに吸い取ろうとします。そんな不思議な感覚に襲われながらも、歯ごたえのある餅を噛み締めます。何度か咀嚼を繰り返すと、やや固めの十勝産の丸ごと黒豆に出会うのです。かすかな塩味がきいていて、こしあんと餅との絶妙なバランスです。唇03_5に残ったこしあん由来のザラザラを舌でぬぐい去ります。口内で、散りばめられたこしあんはそのまま留まろうとするので、渋めの緑茶でお腹の中へ追い出してあげれば、完璧です。

丸の内のオフィス街で働いているビジネスマンならば、オシャレなお店で1000円の昼食をとり、食後は、オフィスビルのグランドフロアーのスタバ(スターバックスのこと)かどこかで買った、ショートラテ(310円)を片手にもって、オフィスに戻る、っていうのがスタンダードスタイルでしょうか。

低温研スタイルは、何てったって、北部食堂で380円の「松健うどん」、そして、憩いのお店で1個105円の「黒豆大福」です。「憩いのお店」ではコーヒーが無料ですし、いつも笑顔で店員さんがあたたかく接してくれます。これが、このみの昼休みの過ごし方です。

<追記>
店長さんによると、お店は年末年始無休で営業するそうです。


手作りパウンドケーキ

2006-12-26 00:05:18 | 四季折々

061225_1週末の札幌はドカ雪が降り、ぐっと積雪量が多くなってしまいました。22日の低温研スノーランタンは、積雪が少なく、ランタン作りに苦労したとのこと。タイミングよく雪は降ってくれないものですね。

01_3002_16とは言え、しっかりとホワイトクリスマスになりました。昨日、秘書さんが手作りパウンドケーキを持って来てくれました(最初は、ガトーショコラかなと思ったのですが)。甘さを抑えた、愛情溢れるケーキを、研究室のみんなでおいしくいただきました。こころなしか、お茶会の会話が弾んでいましたね。どうもありがとうございました。

061225研究室のメンバーの帰省が始まりました。毎日すこしずつ人数が減っています。しかし、今年度卒業の学生さんたちは追い込みです。今日も夜遅くまで、仕事をしているのですね。体調をくずさぬようにしてください!


スカーレンでクリスマス

2006-12-25 08:50:30 | 南極

Blog01巷では、クリスマス。昨年のクリスマスは、南極宗谷海岸スカーレンで迎えました。ルンドボークスヘッタでの調査の後、12月24日にヘリコプターでスカーレンに移動。ここは、昭和基地から南に約60km離れた大陸です。

01_2901_27調査チームは、46次からは地学隊員の佐藤さんとフィールドアシスタントの山崎さん、47次からは生物隊員の高野さんと私。さらに、昭和基地から環境省の桝さんが加わり、合計5名となりました。

スカーレンには25次隊(今から23年前)が設置した居住カブース(略して、居01_31カブ)が設置されています。カブース内部は、約4畳のスペースで、無線機、非常食、布団等が備えられています。しかし、5名の寝食には狭いので、ヘリポート近くでテントを張ることにしました。居カブでは食事と湖沼で採取した堆積物コアの処理を行うこととし、テントで寝ることに。

02_14この日、「しらせ」から野外食料の補給とともにクリスマスケーキとシャンパンが届けられました。そこで、夕食後、人生の先輩の方にシャンパンを開けていただきました。

01_32そして、野外調査初体験の桝さんが最初に注いでもらうことに。

おそらく最初で最後のスカーレンでのクリスマスでしょう。得難い経験をいたしました。これも多くの方の犠牲の上に成り立っていることです。そんなことをつくづく感じながら、テントで寝袋に潜り込みました。

02_15翌朝、テントは粉雪で覆われていました。しばらくすると、晴天が回復し、スカーレン大池での調査を開始。1m余に及ぶ表面氷を掘削して、堆積物コアを採取。出会って1週間しか経たない46次隊員たちとの協同作業。お互いの信頼感なくして、危険な作業はうまく行くはずがありません。野外調査が初めての桝さんも意欲的に参加してくれて、本当に助かりました。

あれから1年が経ち、それぞれが元の職場に復帰。と思いきや、山崎さんは北極探検に出かけてしまいました(『アバンナットプロジェクト』)。犬ぞりで北極圏13,000kmを横断する計画とのこと。人間が生きていく上での極限と向かい合う日々の連続に違いありません。

真冬でも快適な北海道の室内生活。せめて、室温くらいは15℃で生活しよう(かな)。


大学院時代をどう過ごすか(4)

2006-12-24 01:21:00 | 大学院時代をどう過ごすか

耕一の科学への大きな興味と、深い探究心は、小学校の理科の時間や実験、友だちとのたのしいあそびのなかで育っていきました。

「教科書にかいていないことでも、すきなように発想してもいいんだよ」
沢柿先生のことばは、耕一の体にしっかりときざまれたのでした。

(国松俊英著『理科室から生まれたノーベル賞』 岩崎書店)

研究を進めていく上で、その前提として探究心が必要不可欠ですが、深い探究心はどのように養われるのでしょうか? 小・中学校時代に、沢柿先生のように子供の個性を見抜きながら、科学への興味を育んでくれる、熱意があって優秀な理科教師に巡り会えたなら、とても幸せなことです。しかし、現在では必ずしもそうした先生に出会えないかもしれません。

大学院時代は、研究テーマについてあれやこれやと考えながら、自由に実験してみるのも良いかもしれません。その実験結果について、直ぐに身近な院生や教員と議論してみましょう。その中から新たな発想が生まれるかもしれません。一見、教科書やすでに報告された知見と食い違う結果が出たとしても、十分吟味してみましょう。その吟味の過程で大きな発見に繋がるかもしれません。たとえ、それが実験そのものに不備があったとしても。

昨今、自由に実験させてくれない研究室も存在することも確かです。特に、大型研究プロジェクトを抱えた場合は、研究テーマそのものにも縛りがあるかもしれません。一方で、研究費が少ない研究室では、経済的に自由に実験できない不自由もあるかもしれません。いずれの場合も、思い立ったら直ぐに実験計画を、また、得られた実験結果を教員と相談してみましょう。

大学院時代こそ、自由な発想で研究して欲しい。


神戸、そして忘年会

2006-12-23 01:30:00 | 四季折々

061221昨日、三ノ宮からポートライナーで神戸空港、飛行機で新千歳空港へ。千歳周辺は一面の雪景色ですが、気温が3℃と比較的暖かです。

夕方、何とか研究室の忘年会に間に合いました。会場は、いきつけの「ほんまや」です。メニューは、オードブル、寄せ鍋、サラダ、串盛り合わせ。寄せ鍋は最後にうどんが投入されました。

お店の2階が貸し切り状態。ビンゴゲームや“来年の抱負を語る”061221_1など、趣向を凝らせた忘年会です。何よりも感激だったのが、最後にいつもの「憩いのお店」のクルミシフォンケーキが〆に出て来たこと。幹事さんの粋な計らいです。本来ならば、こうした持ち込みはお店にとっては歓迎されないことですが、マスターと交渉して実現したとか。幹事さんの巧な交渉力に脱帽です。

さてシフォンケーキですが、完全な和式の忘年会の最後のデザートとしても違和感がありませんでした。ふわっとした食感のシフォンケークを頬張りながら、クルミがアクセントとして働いて、何とも言えません01_28ね。

今年はいろんなことがありましたが、来年も院生の皆さんのご活躍を期待しております。



語れ我が友 熱き心

2006-12-22 00:17:59 | 旅行記

われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
志賀の都よ いざさらば

西国十番 長命寺
汚れの現世(うつくしよ)遠く去りて
黄金の波に いざ漕がん
語れ我が友 熱き心

(『琵琶湖周航の歌』、作詞 小口太郎)

01_26福井県立大学の小浜キャンパスは小高い丘にあり、小浜湾が一望できます。ここで、「湖沼の硫黄循環と微生物」と題して、大学院特別セミナーをさせていただきました。学部の3年生から博士課程の院生まで多くの方に聴いていただき感謝しております。特に、学部3年生からも質問を受け、嬉しく思いました。若々しい学生の皆さ02_12んと対話することは、とても楽しいことですね。今回も、彼らとの質疑から、今後の研究のヒントを得ることができました。

ご招待いただいた近藤竜二先生に感謝いたします。

翌朝は、日本海側特有の曇天になりました。小浜から車で近江今津駅、湖西線で新快速姫路行きに乗って三ノ宮へと向かいます。

琵琶湖は靄につつまれ、その姿を露にしてくれません。琵琶湖に生息するチオプ06ローカはまだまだベールにつつまれて、その生態の全容はわかっていません。あれやこれやとチオプローカを突ついてみて、その反応を見て考えていきましょうか。とは言うものの、少しずつですが、小島さんによってそのベールを一枚一枚、剥がされています。

Hisaya Kojima, Yoshikazu Koizumi, and Manabu Fukui. Community Structure of Bacteria Associated with Sheaths of Freshwater and Brackish Thioploca species. Microbial Ecology. in press.

Hisaya Kojima, Takuo Nakajima, and Manabu Fukui. Carbon Source Utilization and Accumulation of Respiration-Related Substances by Freshwater Thioploca species. FEMS Microbiology Ecology. in press.

と、考えていたら、京都駅に到着してしまいました。新快速はさらに先に進んでいきます、滑走するように。


旅ひととせ

2006-12-21 01:26:00 | 旅行記

ぐっと冷え込んだ札幌をあとにして、小浜に向かう。朝一番の快速エアポートで新千歳空港、飛行機で関西空港、特急はるかで京都、そして湖西線に乗り換え。

01_24琵琶湖の西側を走る湖西線は結構楽しめます。比叡山に向かって棚田が広がっていて、郷愁を誘います。車窓から、『和爾(わに)』駅の看板が目に入りました。

かつて、私たちの研究グループは琵琶湖の硫黄循環に関する微生物の生理生態研究を行っていました。この地で淡水性の糸状性硫黄酸化細菌Thioploca(チオプローカ)の系統解析を行い、淡水クラスターが存在することを発見しました(Kojima, Teske and Fukui,2003,Appl.Environ.Microbiol.,69:390-398)。

チオプローカは琵琶湖北湖の湖底泥表層に生息しているのですが、ある時、水深が異な01_25る地点にチオプローカがどれくらい存在しているかを調べることになりました。トランセクトと言って、ある地点を起点に側線を決めて一定の間隔(異なる水深)で湖底泥を採取します。底泥を篩でふるって、チオプローカのバイオマスを定量しました。そのトランセクトに一つを『ワニ』と呼ぶことにしました。つまり、調査地点はワニ5m、ワニ10m、ワニ15m、、、と言う具合に。

側線ワニは、元来滋賀県立琵琶湖研究所で伝統的に用いられて来ました。調査当時、「ワニ」は地名から名付けられたものと理解していましたが、実際にその地を訪れる機会には恵まれませんでした。なぜかと言えば、調査地へは琵琶湖研の調査船「はっけん号」で行き、決して「ワニ」には上陸しないからです。

普通電車に揺られ、かの地、『和爾』を通過しました。結局、その地に立つことはできませんでしたが、琵琶湖で調査していた頃のあれこれを振り返る機会となりました。

02_11そうこうするうちに、終着駅の近江今津が近づいて来ました。琵琶湖に目を向けると、えり漁の定置網が見えます。

いつか、青く澄んだ空の下、琵琶湖で再び調査をしてみたい、という意欲が湧いてしまいました。

と言うことで、湖西線の電車の旅は、いろんな意味で印象的でした。さあ、福井県立大学まではもう少し。


大学院時代をどう過ごすか(3)

2006-12-20 00:23:36 | 大学院時代をどう過ごすか

一体科学というものは、現象のすべて自然に備わっているものを、各時代ある限定された知識を以て説明せんとするものであるから、その時代に於てある現象が説明し得たと思っても、新事実が出れば破壊されてしまうのである。即ち、今日の自然現象は今日の知識を以て説明されるものであって、明日は当然の知識を以て、再び説明されるべきものである。この結果として学説の生るべきは当然ながら、これを固執すればとんでもないことに陥ってしまうのである。今日の学説は明日の学説ならざるものが多いのである。それは知識は増加する結果にほかならないからである。

(石本巳四雄著『科学を志す人々へ』(講談社学術文庫1984、原題『科学への道』柁谷書院1939)より)

上記の文章が書かれた時代にくらべて、現在は科学の進展が著しいし、競争も激しくなっています。

今、大学院生として研究して得られた成果がいずれは否定されるかもしれません。そう考えると、研究そのものが意味の無いように思えてしまうこともあるかもしれません。しかし、今の研究があるからこそ未来の発見に繋がっているのです。歩みを止めてしまえば、先には進めません。それに、「知りたい」という欲望を抑えることが出来るでしょうか?

石本巳四雄さん(1894-1940)は実験物理学者で、戦前東京帝国大学の地震研究所の所長を務め、46歳の若さで亡くなっておられます。本書は、病気療養中に書かれたものだそうです。

『石本』?そう言えば、Desulfonema ishimotoniiという微生物がありましたね。


もっと大きなものが撮りたくて

2006-12-19 01:11:00 | まち歩き

Photo_48札幌の街を歩いていたら、こんなチラシを見つけました。12月27日より星野道夫展が開催されるそうです。

星野道夫というと、反射的にさだまさしの『極光』を思い出します。その歌詞に、こんなフレーズがあります。

おい、結婚するぞ そして アメリカに行くぞと
 いっぺんに 2つのビックリをつきつけて 
 それから 俺 仕事やめたぞ カメラマンになるんだと
 腰が抜けなかったのは ふしぎだわ

 そのあとの あなたは夢のとおり 歩いて
 とうとう 本当のカメラマンになった

軽快なリズムに乗って、さりげないフレーズが違和感無く、心の中に入り込んでくるのですが、冷静に考えてみると行間に隠された凄みに驚かざるを得ません。無職のまま、自分のやりたいことをいつまでやり続けられるだろうか?また、そのために不断の努力ができるだろうか?粘り強さはあるだろうか?

研究の世界も同じです。

そう言えば、星野道夫は動物写真家・田中光常(北大・水産出身)の門下生だったようですね。田中光常の教えは、門下生や孫子にも受け継がれているのでしょうね。

写真展、行ってみようかな。