(昨日の続きです)
アルバース夫人宅で下宿生活を終えてから、12年が経つ。今、ブレーメンのカフェでアルバース夫人とは異なる味のロテ・グリュッツェを口に入れている。今回のブレーメン滞在は3泊。実質2日間しかない。そうだ、アルバース夫人に会いにいこう。
はやる気持ちを抑えながら、バスを乗り換えて、懐かしい、あの場所へ。気温5℃。札幌に比べて暖かいが、雲行きが怪しい。
降りたバス停から下宿までは徒歩6分。5回道を折れて、かの通りにさしかかる。アルバース夫人、お元気だろうか? もう、75歳を越えただろうか?
閑静な住宅街に建つ一軒家。表札には、確かにアルバース夫人の名前がある。電話連絡せずに、やって来たのだから、きっと驚くに違いない。本当は、事前に電話連絡しようかと思ったが、アドレス帳を忘れて来てしまった。だから、今回は夫人に会うのをよそうと、諦めかけていたのだ。
ベルを押す。ピンポーン。返答無し。どこかへお出かけだろうか? いや、オシャレな夫人のことだから、玄関に出る前に身なりを整えているのかもしれない。もう少し、待とう。
もう一度ベルを鳴らす。すると、勝手口からゴソゴソと物音がし、やつれた長男が顔を出す。
「Manabuだよ。どっか、具合が悪いの?」と、私。
「ああ、病気なんだ。ひどい格好してるだろう」と、長男。
「大丈夫かい?」
「今日は寒いし、あまり良くないんだ」
「ところで、お母さんは、どこかへお出かけかい?」
少し間を置いて、長男が重い口を開く。
「母さん、2年前に死んだよ。循環器系の病気でね。突然、血管が破裂しちゃってねえ。大変だったよ」
こみ上げてくるものを抑えられず、だらしない体をさらす。長男にどんな言葉をかけたら良いだろう? 適切なドイツ語の単語を探せど、見つからず。いや、言葉なんていらないのだ。私の姿を見ていれば、英語のできない長男にも、気持ちは十分伝わっているに違いない。
「ここを立ち去る前に、お母さんの自慢の庭を見ていっていいかい?」と私。
「いいよ」と長男。
庭は私の下宿部屋と隣接し、窓越しに、良く手入れされた庭がよく見えていた。さらに、庭の向こうには、牧草地が広がり、ホルスタイン牛を放牧していた。庭と牧草地の間には小さな水路があるのだが、その水路際まで牛が良く集まって来ていた。日曜日の朝などは、JAKOBSコーヒーをすすりながら、下宿部屋から牛を眺めて時を過ごしていた。時々、牛と目が合うこともあった。当時、日本からの情報は短波ラジオに頼っていて、日曜の朝はNHKのラジオジャパンの時間。ある朝、美空ひばりの『愛燦々』がラジオから流れて来て、激しい郷愁にかられたこともある。
アルバース夫人は、この庭をこよなく愛し、手入れをかかさなかった。おそるおそる、その庭へ行ってみると、荒れ放題だ。しばらく手入れをした形跡がない。アルバース夫人は当時、長男の行く末を案じていた。そんな時彼女は、「古い考えかしらね?」と私に尋ねたもの。それに対して、「親の子を思う気持ちは、人種が違っても、いつの時代でも同じなんだと思いますよ」と答えたことを今でも思い出す。
荒れた庭を見ていたら、長男の行く末が心配になって来たのだが、願わくば、幸せに暮らして欲しい。
あの水路際に立つと、懐かしい牧草地が今でも広がっている。ふと足下に目をやると、アルバース夫人の好きだった花が咲いていた。幽き野辺の花。アルバース夫人の「おもい」が、その花に見てとれた。
もう、ここへ来ることもないだろう。長男に別れを告げ、バス停に向かう。雨が降りはじめ、典型的なブレーメンの鈍色の空となってしまった。