低温科学研究所は、昭和16年(1941)年、北海道大学に最初の附置研究所として設置されました。以後、65年以上も研究所の名称は変わっていません。しかし、その内部組織を自ら大きく変革して来ました。
大学の附置研究所は、時代とともに外から大きな影響を受けることがあります。たとえば、微生物生態学関連ですと、東北大学農学研究所、名古屋大学水圏科学研究所、京都大学大津臨湖実験所です。
農学研究所は、遺伝生態センターへ、そして、廃止。水圏科学研究所は、地球水循環研究センターへ改組。大津臨湖実験所は、生態学研究センターへ改組。
行政機関の直轄研究所はより激しい改組を遂げています。たとえば、私がかつて所属した資源環境技術総合研究所(当時、通商産業省 工業技術院の一研究所)を例にしてみましょう。
大正6年設置の石炭抗爆発予防調査所と大正9年設置の燃料研究所が、昭和27年に資源技術試験所として統合。昭和45年に公害資源研究所、平成3年(1991)に資源環境技術総合研究所へ改組。平成13年(2001)に、独立行政法人化とともに工業技術院内のすべての試験研究所が産業技術総合研究所へと統合。内部の組織も大きく変化し、かつて私が所属した研究室はもうありません。このように行政機関の改組はトップダウンで行われています。
さて、低温科学研究所がなぜ名称を変更せずに、今日まで来られたのでしょうか? それは「低温科学」をキーワードとする研究所が我が国で他になく、研究の特色を出して来たからではないでしょうか。低温科学に関連する研究所として、国立極地研究所がありますが、大学の附置研究所ではなく、文部科学省直轄研究所です。その主要な役割は、南極観測隊の運営にあり、低温研のそれと大きく異なります。
それでは、北海道大学の附置研究所としての低温科学研究所の「品格」を私なりに考えてみました。「低温科学」をキーワードに、新しい研究分野を構築し、マイナーであっても、世界一流の研究を目指すこと。
しかし、課題は人的資源が薄いこと。そのための解決策の一つとして、積極的に外部の研究者と共同研究を行うことです。
低温科学研究所は、全国共同利用研究所です。どこの大学も毎年予算が減額されていますが、低温科学研究所は共同利用のための予算を確保し続けています。共同利用には、「特別研究」、「研究集会」および「一般共同研究」があり、全国から応募することができます(公募要領を参照のこと)。この制度、外部の委員の先生方からのご意見を伺いながら、より良いものに改めていく努力を惜しんではならないと思っています。少しでも、独創的な研究の展開のためにも。
そんなことを、昨晩、篠原涼子演じるハケンさん(トックリ)の「ちょっと暗い表情」を見ていて、思ってしまいました。努力し続けている人を軽んじる組織であってはならないですよね。ずうっといる「クルクル」には負けるなよ! ハケンさん、新しい品格を創っていってね。
ハンプな水曜の夜、札幌であれやこれやと明日のことを考えてみるのは、どうでしょう。