福井 学の低温研便り

北海道大学 低温科学研究所 微生物生態学分野
大学院:環境科学院 生物圏科学専攻 分子生物学コース

学ぶこと

2007-06-30 01:34:07 | 日記・エッセイ・コラム

学ぶことは、生きぬくことである。

今年の3月、ドイツの恩師であるヴィッデル(Widdel)先生にお会いしたときのことです。毎回そうですが、夕方静かになった先生の部屋で、何とはなしに先生との会話が始まります。最初は、私の近況報告、そして先生の近況報告。その後、必ず研究の話題で盛り上がり、将来の展望を語り合います。その間、部屋の明かりをつけていないので、互いの顔がはっきりと見えなくなってくるのです。そこでようやく、部屋の間接照明の出番です。

その日、ふと思い出しように、ヴィッデル先生の恩師であるペニッヒ先生のことが気になり、近況をお聞きすることといたしました。

私がペニッヒ先生に最後にお会いしたのは、1990年先生がコンスタンツ大学を定年退官するときでした。彼の教え子の何人もが、現在の微生物学の分野で世界的に活躍しています。先生は、研究者としても一流ですが、教育者としても一流だと思います。大学院生の適正を素早く判断して、研究テーマを相談して選び、一旦決めたテーマはその学生に任す。常に、学生へのエンカレッジを心がけていたそうです。いわゆる、Open Mind Professorでした。

ペニッヒ先生も82歳となりました。現在、コンスタンツの介護施設にご夫妻で暮らしているそうです。今でも学問への興味や好奇心が衰えておらず、ヴィッデル先生に最近の研究の動向などを問い合わせてくるのだそうです。先生は、幼少の頃、お父さまからプレゼントされた顕微鏡で池にすんでいる微生物を熱中して観察されていたそうです。これがきっかけで、微生物学の道を歩むことになったのです。おそらく、今でもコンスタンツ湖の堆積物を採取して、自室の顕微鏡で糸状性硫黄酸化細菌チオプローカの滑走運動を観察されているに違いありません。そして、「どうして、君はそこにいるのだい? どうしたら、君を純粋培養できるのだい?」とチオプローカと対話しているのかもしれません。

このように、他人に迷惑をかけず、いくつになっても学問への興味や好奇心を失わずに、ご自身の頭で考え続けるペニッヒ先生。そんな先生の姿を思い浮かべただけで、私自身もエンカレッジされます。生きることは学ぶことなのですね。

ペニッヒ先生の一番弟子のヴィッデル先生。ブレーメンの地で、ヴィッデル先生との静かで、希望に溢れた時間。とても贅沢な時間です。時に、JAKOBのKroenungコーヒーを飲みながらの至福の時。こうした経験を大学院生の皆さんにもして欲しいと思っています。


若年性認知症チェック

2007-06-29 06:08:52 | 健康・病気

あれっ? 今、何をするんだったかな? うーん、思い出せない。しばらくすると、思い出そうとしていたことさえ、忘れてしまう。

これって、若年性認知症の兆候だろうか?

ちょっと気になっていたところ、国家公務員共済組合連合会の広報誌「KKRこころ」の記事が目に留まりました。認知症に関する早期発見チェックリスト(職場でわかる変化)が紹介されています。

I.「通常の加齢現象と区別がつかない早期の変化」
1.  予定を忘れやすい。
2.  固有名詞が出てこない。
3.  適切な言葉がすぐに浮かばない。
4.  同時並行してできる仕事の数が減ってくる。
5.  同じ時間に出来る仕事量が減少する。
6.  同僚・部下に任せる仕事が多くなる。

うーむ。全てに該当。ひょっとしたら? 医師の診断を受けた方が良いだろうか?

そして、次のチェック。

II.「病的な認知障害:以前にはなかったことが起きて来た場合」
1.    頼まれた仕事が抜けてしまう。
2.    誤字・脱字が増えてもわからない。
3.    明らかな思い違いを指摘されても訂正できない。
4.    独断的で状況判断が悪くなる。
5.    性格の偏りが極端になり、トラブルを起こす。
6.    日程・時間が極端にルーズになる。
7.    その日に起きたことを忘れてしまう。

IIのチェックリストで一つでもあれば、受診をされた方が良いとのこと。

うーん、やばいかな? KKRの広報記事を読み進めていたら、「認知症が気になる方は大丈夫」と書かれておりました。ホッと。

研究室のKさんによると、2003年や2004年の頃の私の方が、もっと危ない状態だったそうです。研究室の学生の名前を間違えたり、適切な言葉が出なくて学生さんたちがハラハラしていたそうです。そうでしたね。あの頃は、研究室でお茶を飲む時間もありませんでしたね。

札幌暮らしで気をつけなければならないのは、認知症もそうかもしれませんが、やはりメタボリック症候群でしょうね。ああ、ジンパ(ジンギスカンパーティーのこと)の季節なのにね。ああ、ジンギスカン食べたいな。サッポロクラシックビール飲みたいな。札幌ラーメンも食べたいな。最後に、「憩いのお店」の「水無月」を食べたいなあ。


M先生のエンカレッジ(encourage)

2007-06-28 06:09:00 | 大学院時代をどう過ごすか

22年前、アメリカ帰りのM先生(助手)は、私の所属する講座(微生物化学講座)に新しい旋風を吹き込んでくれました。研究や大学の研究室運営に関するM先生の考えは、当時の常識と大きな乖離がありました。そのため、夕方、講座のお茶飲み場(廊下にあった)では、院生とM先生の間に大きな議論となり、お互いの共通理解に達した部分もあれば、そうでないところもありました。ただ、当時のお茶飲み場で繰り広げられる、熱い議論は、結構有意義だったと思います。不思議なことですが、M先生が主張されたことの大半は、現在日本の大学や研究社会の中で常識になって来ています。ということは、彼は先見性があったと言うほかありません。

当時から、研究に対して極めて厳しいM先生。そんな先生のお好きな言葉は、英語のエンカレッジ(encourage)。「勇気づける」とか「励ます」という意味ですが、M先生は大学院生との関わりの中で、エンカレッジの重要性を熱っぽく説いていたのです。その姿勢は、現在でも変わっていません。

私が修士2年生(M2)の時、こんなことがありました。何かの弾みで私の眼鏡が飛んで床に落ち、レンズが割れてしまったのです。奨学金支給日前でお金に困っていて、どうしようか思案していると、M先生がやって来たのです。財布から2万円を出して、「福井さん、これで眼鏡を買いなさい。出世払いで良いわよ」と。とてもありがたいM先生の心配りでした(トイレで泣きました)。M先生は、院生一人一人の状況をよく把握していたため、即座に、こうしたさり気ないことができたのですね。

それから10年以上経て、M先生と同僚になりました。彼に、院生のころの「眼鏡事件」をお話したら、「そんなこと、あったの?」と意外な反応のM先生。そういうことは、恩を受けた学生は忘れません!

そして、さらに何年か経って、M先生の「人生の夢」を私が打ち砕いてしまいました。恩を仇で返す、冷徹な行為をしてしまいました。今、必死になって、別の形で「償い」をしているところです。「許される」域に達するには、まだまだ努力が必要です。何としてでも、やり遂げます。

さらにもう一つのエピソード。かつて、M先生のエンカレッジを完全に無駄にしたことがあります。実は、M先生の奥様は、東京にある国立の女子大学の教員をしておられます。ある時、M先生宅で、奥様の研究室の院生と冴えない私たちとの合コン(合同コンパのこと)を企画してくれたのです。私(M2)にとっては生まれて初めての合コンでしたので、どんなふうに宴を過ごしてよいのかわかりませんでした。研究室には何度か合コンの経験がある院生もいたので、合コン前に彼らを中心にいろいろと夢を膨らませて企画をたてていたのですが、、、、。当日、話題も途切れ途切れ、そして、沈黙の連続。とうとう、2つの研究室メンバーが完全分離し、一組のカップルも誕生しませんでした。とても残念でしたね。折角のM先生夫妻の「エンカレッジ」だったのに。

大学教員からの「エンカレッジ」を活かすのも、無駄にするのも、院生次第と言うことでしょうか。


キシマ先生の静かな生活

2007-06-27 11:28:01 | 大学院時代をどう過ごすか

あれは確か、国立研究所から大学へ転職したころだっただろうか?当時、奈良先端大の助手をされていた笠原先生と、奈良の喫茶店でレイコ(アイスコーヒーのこと)の飲んでいた時のこと。

「最近、衝撃的な内容の小説を読んだよ」と私。
「どんなの?」と笠原先生。
「森博嗣の<キシマ先生の静かな生活(The Silent World of Dr. Kishima)>なんだけれど」
「あっ、それ、僕も読んだよ。衝撃的な結末だったよね」

と、笠原先生とキシマ先生談義で盛り上がったことを良く覚えています。

『キシマ先生の静かな生活』(森博嗣)には、こんなくだりがあります。

 それ以来、キシマ先生と会っていない。
 先生は、昨年、大学を辞められた、と聞いている。まだ、四十七歳だ。
 僕には、その理由がわかる。
 先生は、助教授になって忙しくなり、気楽で自由な研究生活ができなくなったのだ。午後の時間を睡眠に使うことができなくなり、講義をしなくてはならなくなり、委員会や学会の運営もしなくてはならない立場に立たされたのだ。そんな、不自由な生活に、キシマ先生が我慢できるはずがない。僕にはそれがよくわかる。
 僕はどうだろう・・・・・。
 最近、研究をしているだろうか。勉強しているだろうか。そんな時間がどこにあるだろう。子供もできて、日曜日は家族サービスでつぶれてしまう。大学にいたって、つまらない仕事ばかりだ。人事のこと、報告書のこと、カリキュラムのこと、入学試験のこと、大学改革のこと、選挙、委員会、会議、そして、書類、書類、書類・・・・・。
  いつから、僕は研究者をやめたのだろう。
 一日中、たった一つの微分方程式を睨んでいた、あの素敵な時間は、どこへいったのだろう?
 キシマ先生と話した、あの壮大な、純粋な、綺麗な、解析モデルは、今は誰が考えているのだろう?
   (中略)
 キシマ先生だけは、今でも相変わらず、学問の王道を歩かれている、と僕は信じている。
  (森博嗣著『まどろみ消去』講談社ノベルスより)

当時、研究所から大学へ移ったばかりでしたので、笠原さんも私も、小説の中の「僕」に同情的でした。そして、二人とも、「キシマ先生」への羨望を熱く語って、すっかりレイコが沸騰してしまいました。

私たち二人は、なぜだか、その10年後、テイオンケンにいます。二人とも大学の学部から大学の附置研究所への転職組です。今は、「僕」にも「キシマ先生」にも、ある程度共感は覚えていますが、懐疑的です。

大学の良さは、常に若い人たちとアイデアを出し合い、切磋琢磨しながら新しい価値を生み出していく場であることです。そこに、醍醐味があります。そして何よりも、研究者として成長して巣立った卒業生がそれぞれの分野で活躍していることが、私たちにとっては至福のことです。そう、思えるようになりました。

そして、研究においては、「言い訳をしない」ことが鍵!


そばにいれば 何も欲しくない

2007-06-22 09:16:02 | 四季折々

中学生の頃、クラスの歌があり、毎朝のホームルームの時間にみんなで合唱。毎月、歌が変わり、その選択は生徒たちが行うと言うもの。ある月の歌が、山口百恵の『青い果実』。

 ?そばにいれば そばにいれば 誰もこわくない?
 ?そばにいれば そばにいれば 何も欲しくない?

毎朝繰り返し歌い続けていると、飽きて来ると言うもの。2週目あたりから、みんなの歌い方に変化が生じ、全体として妙な方向に。

 ?そば 煮れば そば 煮れば 誰もこわくない?
 ?そば 煮れば そば 煮れば 何も欲しくない?

こんな具合で。箸が転んでも笑い転げる思春期の遊び心が、無意識にクラス全体でハーモナイズした結果なのでしょうか。

このところ、札幌は暑い日が続いています。日射しも強く、外に出れば、まぶしく感じられます。このまま夏に突入でしょうか? とても暑い夏になりそうですね。

暑い日のお昼は、やはり、「ざるそば」でしょうか。札幌に赴任するまで知りませんでしたが、ここ北海道はそば粉の生産地です。内地の方は、そばと言えば信州と思いがちですが、内地で市販されている「信州そば」でさえ北海道産のそば粉が用いられているのだそうです。

Photo_67低温研から徒歩圏内にも、おいしい「おそば屋さん」があります。「なみ喜」というお店で、笠原先生と週に一度はお世話になっております。ここの「ざるそばとトリ天のセット」がお薦めです。そば独特のザラッとした食感がナカナカ。最後は、そば湯で〆。

Photo_68そばには、地方ごとにバリエーションがあります。新潟の小千谷や長岡地方には、「へぎそば」と言うのがあり、そばのつなぎにフノリを用いています。大汗をかいた夏の日、カツオだしの麺つゆにきざみネギとわさびを入れ、冷たいへぎそばをつるつるとすするのは爽快です。普通のそばに比べて、つるつるしているので、とても喉ごしが良いのです。蛇足ですが、フノリに含まれている何か(フノラン?)が、メタボ対策になるとか、ならないとか。

フー、今日も暑いですね。蒸し暑い日のお昼、
「そば 煮れば 何も欲しくない」。
(↑ちょっと、無理があったかな?)


ついに だめか?

2007-06-21 06:23:03 | 旅行記

ワタクシ、新聞の第一面に登場したことがあります。と言っても、毎日新聞の新潟版ですが。あれは、そうそう、28年前でしょうか?

1979年1月、マークシート方式による共通一次試験が全国一斉に実施されました。共通一次試験元年でしたので、新聞各紙は一面で大々的にその実施の様子を紹介したのです。

私の場合、新潟市旭町にあった新潟大学教育学部旭町校舎(当時の県庁の近く)で受験。そのため、国鉄信越線の加茂駅から、羽生田、田上、矢代田、古津、新津、荻川、亀田、越後石山、そして新潟駅まで45分かけて行き、さらに新潟駅からは新潟交通バスで10分かけてようやく試験会場へ。

雪が降る中、バス停から徒歩で会場の玄関に入ると、新大生から合格飴を貰いました。飴を受け取っている姿が大きく毎日新聞に載ったのでした。特段自慢するような話でなかったですね。すみません。

試験を終え、雪が舞う中、高校の友人Aと帰路につく。新潟駅で電車に乗り込み、向かい合わせに座りながら、「やれやれ、終わったね。やあ、疲れたね」と。電車は、越後石山に停車した。すると、友人Aが、「福井!あれ見ろよ」と駅のホームにある、今いる駅と上下方面の駅名を記した看板(←白い看板です)を指差したのです。

  にいがた←えちごいしやま→かめだ

「越後石山を中心に、上下方面の駅名を逆さに読むと、<たがいに・だめか>と読めるなあ」とA。
「なんか縁起が悪いなあ」と私。

ちょっと暗い気分に陥り、次の亀田駅、そして荻川駅に停車。今度は、私が気づいてしまった。

  かめだ←おぎかわ→にいつ

「おお、すげえー!<ついに・だめか>だってよ」と私。
「ああ、もう終わりだね」と友人A。

暗澹たる気分でAと別れ、帰宅。どっと疲弊感に襲われたことを今でも思い出します。

あの時、受験を諦めていたら、今はどうなっていたのでしょう。また別の人生が広がっていたのかもしれませんね。

つい先日、JRに移行した信越線に乗車し、新潟駅から加茂駅までの電車の旅を楽しみました。あの思い出の荻川駅に停車した時、なんと例の白い看板が変わっているのです!

  かめだ←おぎかわ→さつきの

期待していた<ついに・だめか>ではなく、<のきつさ・だめか>って意味のないフレーズに変わっているのです。荻川駅と新津駅の間に新駅「さつき野」ができてしまったので。ああ、残念!

時と立場が変われば、物事の見方が変わるもの。<ついに・だめか>を期待して、ノスタルジーに浸ろうとしたでのすが。新駅ができたおかげで、「センター試験」を受験する高校生には、無用なストレスを与えなくなったのですね。受験生は、とかく神経質になりがち。「さつき野」駅の存在は大きい!


自分の授業を冷静に捉える

2007-06-19 06:42:24 | 講演会

・ 先生のジョークは寒い
・ 先生の昔話はつまらない

これらは、私が学部の教養課程の講義を担当した時、必ず受講生から寄せられる意見です(大学の授業歴9年)。授業の学生アンケート結果は、授業を担当する身としてはとても気になること。これらの結果をもとに、自分自身の授業を見直し、更なる創意工夫をこらしたものへ発展させていくことにしています。「寒いジョーク」は、無意識に出てしまうので、なんとかしなければと強く感じているところです。

さて、大学祭での公開講義「メタボ系中年オヤジ、南極大陸を行く」のアンケート結果です。65%の方が「分かりやすく、大変興味深かった」、24%の方が「まぁまぁ興味を持てた」でした。おおむね、好評だったようです。ただし、「難しすぎてよく分からなかった」(1名)や「簡単すぎた」(1名)と言う意見があり、改めて公開講義の難しさを感じました。「簡単すぎた」という方には、参考文献をご紹介すること等で対応できます。しかし、「難しすぎてよく分からなかった」方への対応は、講義後に時間をかけてじっくり説明をすることでしょうか。

公開講義に対する自由意見は、下記の通りです。
  ・南極に実際に行った人の話だったから楽しかった
  ・先生の日常と対比した説明は分かりやすかった
  ・南極の環境について分かって興味深かった
  ・微生物の世界は楽しそう
  ・素人向けに、言葉が分かりやすかった
  ・非現実的な内容ではあったが、写真等で分かりやすかった
  ・指されたらどうしようか困ってしまったかもしれないが、
   興味深く、北大生に戻りたくなった
  ・先生が話を振ってくださって講義に参加できて良かった

大学の講義の雰囲気が地域の皆さんへ少しでも伝わったようでホッとしています。ちなみに、毎回講義の開始前は緊張で足がガタガタに震えるのですが、生まれつきの内向性は一朝一夕に克服できるものではありませんね。これまた、さらなる経験値を上げなくてはなりません。

次回の、一般向け講義は9月11日(記念日)の18:30~20:00、地球環境科学研究院公開講座(快適環境をまもる微生物たちの姿とはたらき)です。6名の教員によるオムニバス方式の講座です。今度のタイトルは下記の通りです。

  「かくされた自然~低温環境で活躍する微生物たち~」

もし良かったら、聴きにいらしてください。お待ちしております。


こんにちは、母さん

2007-06-16 01:23:00 | テレビ番組

NHKドラマ『こんにちは、母さん』で、児玉清演じる荻生直文(国文学の元大学教授、75歳くらい?)が会社のリストラ担当人事部長(直文の恋人の長男、50歳くらい?)に向かって語るシーン。これが印象的です。

学徒出陣で戦死した2番の兄が果たせなかった夢。それは、言葉の解釈ばかりに終始していた古くさい学風を抜け出して、社会思歴史的な立場から古典を見直そうと。そこに新しい意義を見いだそうとした兄の意志を受け継ごうと直文は、学問の道を歩む。そんなストーリー展開での直文の台詞です。

そこで僕は、兄の意志を継ごうと思った。彼がやり遂げられなかったことを。そして、やらなかった。人の顔色の研究に時間をとられて、大学の有力者の力関係に引き連られて生きた。講義も、古典の解釈に終始した。やらなかった、なんにも。

児玉清さんの、切なく懺悔に近い思いを抱きながら、リストラ人事部長に切望する演技には、説得力があります。

この後、直文は長男の文彦に電話する。そして、文彦に電話越しで叫びながら、突然倒れる直文。

えっ? もしかして直文さんは、、、、、?

今晩9時からの最終回が楽しみです。でも、ちょっとドキドキ、ハラハラ。


自由ですか?

2007-06-15 05:41:04 | 大学院時代をどう過ごすか

私は、研究において誰からも強制されていません。研究のテーマは自由に選ぶことができます。

大学院生の皆さんも、研究において自由です。誰からも強制されません。研究テーマに関して、指導教員と相談して合意して決定したならば、それは問題ありません。

M先生が専攻長を務める大学院の専攻の新入生歓迎コンパで、彼はこんな内容のスピーチをされたそうです。その途端、会場内は静まり返ったそうです。

そうです。そうなのです。これは、9年前、行政系の国立研究所から大学へ異動した時に私が強く感じたことです。『研究の自由』こそが、大学の大きな価値の一つです。

ただし、『研究の自由』を獲得した途端、遭遇することがあります。それは、『研究予算の不自由さ』です。これは紛れもない事実ですが、何とか凌ぐしかありません。

さてさて、あなたは自由ですか? 誰かに強制されていませんか? それは、あなたが本当にやりたいことですか?


感情労働者の燃え尽き

2007-06-14 07:08:09 | 日記・エッセイ・コラム

飛行機の非常口座席は苦手です。なぜかと言えば、客室乗務員の方と向かい合わせになり、極度に緊張してしまい、落ち着かないからです。

今週火曜日の午後、札幌から羽田に向かう飛行機では、運悪く非常口座席になってしまいました。さてさて、どうしましょう。こういう時は、新聞を広げて読み続けるのが一番の解決策。朝日新聞の朝刊を借りて読み始める。

さてと、今日のテレビ番組は?と、いつもの習慣でテレビ欄から眺め始める。待てよ、良い歳した中年オヤジがテレビ欄を嬉しそうに眺めている姿を客室乗務員に見られるのは、ちょっと恥ずかしいよなあ。理性的に新聞をひっくり返して、1面を眺める。そして、『天声人語』を読み始める。

その中で、『感情労働』と言う聞き慣れない言葉が目にとまりました。肉体労働と頭脳労働に並ぶ労働のことで、感情労働者の代表例の一つは客室乗務員。乗客の理不尽や不条理な要求に対しても、不快感を客に見せず常に笑顔で接する。自分の感情をぐっとこらえて労働することを『感情労働』と呼ぶのだそうです。

それでは、研究者の世界はどうかと言えば、野外調査や実験が肉体労働で論文書きなどが頭脳労働と言ったところでしょうか。大学の研究者であるところの教員も肉体労働と頭脳労働と合わせた労働が100パーセントであれば、とっても幸せであるに違いありません。ところが、そうもいかないのが現代社会。年々、『感情労働』の割合が増加していると痛切に感じております。それは、大学教員がまぎれもなくサービス業であるからです。お客様第一のサービス精神が必要とされます。

一方で、大学教員は組織の一員。組織運営と言う観点から言えば、構成員の中から自然発生的に『感情労働教員』が生まれます。不条理で身勝手なことを感情的に要求する相手方に対して、『感情労働教員』は「チョームカツク~」と思ったとしても笑顔で「コーヒーにお砂糖とミルクをお使いになりますか?」と対応しなくてはなりません。『感情労働教員』には強い精神力が必要なのですが、負荷がかかりすぎるとサンドバックが破れてしまいます。こうして『感情労働教員の燃え尽き症候群』に至った場合、組織や構成員はどのように解決したら良いのでしょう?これは、深刻な問題です。ストレスが加速的にかかるような状況では、その防止策が肝要だと思います。

0706113昨晩の羽田から札幌への機内で、そんなことを考えていたら、新千歳空港に着陸。機内を出る際、客室乗務員の方が笑顔で「またのご搭乗、心よりお待ちしております」と私の目を見ながら感情労働してくれました。その瞬間、眉間のしわが緩みました。


エゾシロチョウの舞いの季節

2007-06-12 06:39:58 | 低温研のことごと

07061201昨日ご紹介した、ライラックの花に止まっている蝶の写真ですが、低温研のある方から、『エゾシロチョウ』であることを教えていただきました。そのチョウを眺めていたときは、モンシロチョウに似ているなと漠然と思っていたのです。しかし、また誤ってブログに綴ってしまうと、『ライラック騒動』のようになるので控えていました。

低温研の強みは、いろいろな分野の方がおられて、ワカンナイ時などは訊けることです。

さて、このエゾシロチョウ(たぶん、そう)ですが、羽を開いた時、黒い筋(翅脈)が走っているのが特徴なんだそうです。モンシロチョウと同じシロチョウ科。日本では、北海道にしかいないのだそうです。今の季節に成虫になるらしく、ちょうど舞いの季節です。

070612020706120307061204でもって、白い瀟洒な建物(低温研の研究棟)に向かって右手の林(モデルバーン側)に立ち入ってみてください。嘘のようにどでかくウッソーしたオオハナウド(らしい)群落に、おびただしい数のエゾシロチョウの乱舞を観察することができます。

昼食後の休憩時にちょっと覗いてみてください。


ラブ・イズ・ブラインド

2007-06-11 07:01:04 | 低温研のことごと

高校1年(1976年)の英語の授業でのこと。先生が、黒板にいきなり、
  “Love is blind”
と書き始め、「恋はいかに盲目的になってしまうのか」と語り始めました。先生が何を言っているのかまったく理解できなかったのですが、今から思えば、とても熱い先生だったのかも知れません。当時流行っていた、ジャニス・イアンの歌『ラブ・イズ・ブラインド』が引き金になっていることは、生徒の誰もが理解していましたが。

先入観や固定観念が存在すると、盲目的になってしまうもの。これは時として大きな間違いを誘発します。そんな時は、理性的になることが肝要です。

0706110207061107061103いつも下ろしたままの研究室のブラインドを上げてみました。すると、そこには、ライラックが!「花の名は覚えられるが人名は覚えられない」さんのコメント通りでした。

0706110407061105今朝、外から、このライラックを観察してみました。すると、ひとひらの蝶が舞いながら、ライラックの淡い紫色の花に止まりました。今朝の一押しの写真です。

いつも窓を背に仕事をしているのですが、休憩のときは、ブラインドをあけ、さらに窓を開けて、秘めやかで、慎み深いライラックの花の香りを嗅ぐのも大切ですね。

ということで、この「ライラック騒動」はテイオンケンの伝説になりそうですね(笑)。


汗だくの日曜日

2007-06-10 22:59:38 | 南極

昨日の夜遅く、東京から札幌へ帰宅したにもかかわらず、今朝は清々しく目が覚めました。午後1時から、大学祭の公開講義があるため、しっかりと朝食をとることに。

こういう時は、クレッセントホテル内レストラン「花いち」の朝食が良い。実は、馴染みのお店。いつからか、「花いち」のおばさんが、私のために特製の朝食を作ってくれるようなりました。焼き魚、目玉焼き、大根サラダ、おひたし、煮物、納豆、海苔、漬け物、梅干し、オレンジ、ご飯とみそ汁で500円。バランスが実に良く、お腹いっぱいになります。ここの朝食をいただけば、昼食は抜かしても良いくらいです。しっかりと食べて、会計をすると、おばさんが、「日曜日なのに、お仕事ですか?」と。
「そうそう、大学祭で公開講義を頼まれたんですよ」と、私。
「じゃあ、花いちの朝食を食べたから、バッチリね!」
「それって、結構プレッシャーですよね。私、気が小さいんですよ」
「大丈夫、大丈夫!」と、おばさん。

「花いち」のおばさんに背中を押されて、高機能教育センターのN2教室へ。担当実行委員のKさん(2年生)とNさん(1年生)と打ち合わせをしながら、講義の準備を完了。さてさて、午後1時。「メタボ系中年オヤジ、南極大陸を行く」のスタートです。

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こんなスライドで、動機付けです。途中、参加していただいた皆さんからの発言をお聞きしながらの講義です。ハプニングで、ある男子学生に『夏の想い出』を歌っていただくことになりました。講義を盛り上げる美声でとても良かったですね。もちろん、予告通り、藤原幸一氏の『南極がこわれる』のメッセージもご紹介いたしました。また、愛媛大学の鈴木 聡先生からは、『ペンギンの腸内から抗生物質耐性菌』に関するパワーポイント図をお借りし、その内容もお伝えいたしました。

そして、最後に講義タイトルのタネ明かしです。

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実は、私の講義タイトルは、「毛利衛、南極大陸を行く」のパロディーだったのです。

07061002講義が終わって、実行委員のNさんから花束をいただきました。また、5名くらいの方が私のもとにやって来てくれ、質問やら、お礼のお言葉をいただきました。汗だくで講義を行ったのですが、講義をお引き受けしてよかったと思いました。今回の講義では、いろいろな方からいろいろな形で応援していただき、ありがとうございました。

講義に関するアンケートをとりましたので、今後の講義の改善に役立てていきます。よさこいソーラン祭りの最終日にも関わらず、私の講義に足を運んで下さった皆さんに感謝いたします。

07061001N2教室を立ち去る前に、担当委員のKさんと記念撮影。大学祭の後片付けも大変でしょうが、最後までやり抜いて下さい。応援しています。


07061003070610043時過ぎから雨が降り始めました。こういう時は、模擬店も雨対策で四苦八苦。お客さんが雨でぬれないように配慮するのも、大変でしたね。いつの間にか、雨が止み、まさに「札幌沸騰」でしたね。

気がつけば、午後5時過ぎ。お腹が空いてきました。それもそのはず、昼食を食べ07061005ていませんでした。無性にラーメンが食べたくなりました。札幌駅地下街アピアにある『青龍』で、札幌塩ラーメンを汗だくになりながらいただく。溶けたバターでいい感じにからんだ麺をすすりながら、ふと思う、ラーメンって、メタボ系中年オヤジには最悪だよな! あきたMさんに厳しく指摘されそうですね(大汗)。


羽田空港にて

2007-06-09 18:35:08 | 日記・エッセイ・コラム

今日は、東京田町のイノベーションセンターにて、学会の会議。私と笠原さんとで、日本微生物生態学会の雑誌の編集を担当しています。その編集会議と評議会です。

来年札幌で学会を開催することが評議会で決定。11月25日(火)から28日(金)までの予定。何かと慌ただしい年になりそうです。

それにしても、東京は暑いですね。さあ、早く札幌へ帰ろう。


植物分類学者の教え

2007-06-08 13:49:29 | 日記・エッセイ・コラム

以前紹介した、『看護婦のオヤジがんばる』の本ですが、この本を植物分類学者のM先生が読みたいと仰る。そこで、本を彼にお貸しすることに。もう、それは26年前のこと。学部の3年生だった私は、M先生の植物系統分類学の講義と野外実習を履修していたのですが、なかなか、植物の名前と形を覚えられません。人の名前は良く覚えられるのですが、植物がからっきし駄目でした。そんな私をおもしろがったM先生は、あれやこれやと、私が植物の名前を覚えることのできる策を講じてくれました。

草本の茎が四角形だったらシソ科であるとか、茎を切断して乳液が出たらキク科だとか。熱心にM先生はいろいろと教えてくれました。少しは、植物分類学の知識を身につけることができたのですが、ふじ(マメ科)をライラックと間違えるあたりが、凄いね!

南極から帰国して間もなく、M先生と久しぶりにお会いいたしました。昨年の5月のことですが、大学近くの喫茶店に招待してくれたM先生。コーヒーをすすりながら、「福井君は、微生物の分野に進んでよかったね。植物だったら、、、、」とM先生。はい、そうです、センセイ!

26年前、M先生から『看護婦のオヤジがんばる』を返した頂いた時、頁をめくるとセンセイのお礼の言葉が記されていました。
「本を貸してくれてありがとう。元看護婦のオヤジより」と。

今日の、「とある主婦」さんのご指摘で、そんなことを思い返した次第です。