団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★ロシア新興財閥の豪華ヨット、欧州で初の競売

2022年08月29日 | マネーゲーム

 

西欧の金持ちは何故ヨットを持ちたがるのでしょうか。きっと金の亡者の付き合い上必要なのでしょう。本当に嫌な奴らです。

  そんなロシアの金持ちのヨットが競売にかけられたそうです。宮崎さんが取り上げてくれています。
  それにしても、ヨットと言うのに帆が無いのが不思議ですが、ヨットの定義が違うのでしょう。 

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)8月24日(水曜日) 通巻第7438号  

 ロシア新興財閥の豪華ヨット、欧州で初の競売
   世界からビリオネア30人が応札。ジブラルタルで

 ジブラルタル海峡を扼するのは英国。スペインの南に位置し、このチョークポイントを通過しないと地中海に出入りが出来ない。南北に五キロ、東西は1・2 キロの岩盤地区(町内会ていど)が英国領なのである。ジブラルタルの南に浮かぶのが、スペイン領のセウタ島(免税特区)。

 このジブラルタルで行われたオークションにロシア財閥が所有した豪華ヨットが競売となり、世界のビリオネア30人が応札した。米・英、イタリア、カナダなどから電話でなされるオークションは、買い主が誰かは明かされない場合が多い。

 さて、この豪華ヨットは72・5メートル、五つのデッキ、プール。サウナ、ジャグジー風呂にジムナジウム、船内には3dの映画劇場もあって、これまでの持ち主はパンプヤンスキーである。
彼はロシアのオルガルヒで資産は20億ドル。妻と息子とともにジュネーブに住んでいる。米国が制裁した96人のロシア人リストに入っている。そのうえEUが三月に追加した146人のロシア国会議員と14人の財閥の制裁リストにも乗っている。
 制裁の結果、欧州において資金繰りが出来なくなっており、ヨット購入などのローンとして、パンプヤンスキーが借りていた2000万ドル余が焦げ付いた。そこでJPモルガン銀行は競売に踏み切ったというわけだ。

 パンプヤンスキー。はロシアOAO TMKの前会長。同社は4・5万人の従業員がいてスティールパイプの製造で知られ、ロシア国内に28工場、海外にも支店、工場がある。メインは石油、ガスのパイプラインでつかうパイプ。世界最大級のロシア企業だ。

 ロシア制裁で最大の「被害者」はプーチンだろうが、ついで有名チーム「チェルシー」のオーナーでもあったロマン・アブラモウィッツだろう。西側の制裁を受けたため620億ドルを失ったとされる。ま、自業自得かも。

  ヨットというより豪華ボートと言いたくなります。そんなものに金を使って何が楽しいのでしょうか。
  きっと、金の亡者共の競争なのでしょう。本当に下らないことに金を使うものです。そんな金があるのなら従業員にもっと払ってやれと言いたくなります。
  と言うか、これがウシハクの正体なのでしょう。


★核魚雷による軍港攻撃

2022年08月29日 | 国際

 プーチンの核使用の恐れの中に、核魚雷なるものがあるようです。青山さんが「ぼくらの国会」で報告してくれています。
  そう言えば核魚雷なんてのは初めて危機ましたが、核ミサイルで充分なのじゃないでしょうか。魚雷を撃つとなると港に侵入する危険もあります。それでも効果があるのでしょうか。


  さて、核魚雷攻撃があるのでしょうか。魚雷となると水中だけに防御も難しいのかも。嫌なものを考えるものです。
  いよいよ核戦争の始まりでしょうか。


★米国のCIPS法、じわり日本に影響

2022年08月29日 | 日本的経営の崩壊

 

アメリカのCIPS法(半導体強化法)なるものが日本にも影響し始めたようです。と言うか、当然でしょう。
  何か手を売っていたのでしょうか。

  宮崎さんが取り上げてくれています。アメリカと組んでもう一度半導体製造で世界を牽引することを期待していましたが甘かったのかも。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)8月23日(火曜日) 弐 通巻第7437号  

 米国のCIPS法、じわり日本に影響
   半導体製造装置の対中供与に歯止めを

 7月28日に米連邦議会で可決されたCIPS法(半導体強化法)とは、今後十年間で7兆円を支出し、アメリカの半導体産業を世界一の座と押し上げ、中国を蹴落とし、もって国家安全保障に資する狙いがある。

 中国はただちに「差別的な産業支援であり、国際的な貿易秩序に混乱をもたらす」と反論した。WTOに加盟しながら、約束を守らない国が、自由貿易を楯に反論を繰り出すのはおこがましいと言える。
 8月9日、バイデン大統領は、このCIPS法に署名した。法律は施行され、具体的には日本、オランダに強烈な影響がでる。

 次世代の半導体開発ばかりか、米国は半導体製造装置の中国への輸出を警戒し、厳しい規制をかけており、中国の経済的野心に歯止めをかける思惑が顕著だ。
 米政府はすでに10ナノ以下の半導体製造装置を「中芯国際集成電路製造」(SMIC)に輸出するには許可が必要としており、この規制を14ナノに拡げる。

 米国のラム・リサーチ,KLA社などは当局からの通告を受けたことを明らかにしている。今後は台湾積体電路製造(TSMC)の中国工場向けも含まれる公算が大きい。そのうえバイデン政権はオランダや日本に対し同様な措置を執るよう求めた。

 日本の半導体製造装置メーカーを代表するのは東京エレクトロンだ。中国に売り上げの25%を依存する東京エレクトロンの株価が下落した。年初来高値が67000円台。8月22日の終値は45680円、米国CIPS法への動きが活発化してから、八ヶ月で32%も下落した。

  半導体製造装置まで潰されたら日本は半導体製造ではもう浮かび上がることもないのじゃないでしょうか。
  結局は、政府が何の手も打たずに放置してきたことで、日本の半導体は終わるのかも。何とも情けないですね。


★ホンダ、中国抜きのサプライチェーン構築へ

2022年08月29日 | 日本的経営の崩壊

 マツダも続いてホンダもChina抜きのサプライチェーンに乗り出すようです。遅蒔きながらも関係したいですね。

  こうなると、トヨタ・ニッサンにも動いて欲しいものです。もしかしたら密かに進めているのでしょうか。
  自動車業界のこの動きが本格的になって全社撤退にまで繋がって欲しいものです。

  自動車業界の撤退が実現すれば他の業界にも広まるのじゃないでしょうか。そうなることを期待したいものです。


★自民・古屋氏、台湾の蔡総統と会談

2022年08月29日 | 台湾

 日本の国会議員の訪台も増えているようです。早くChinaと国交断絶して台湾との同盟が実現して欲しいものです。
  とは言え、安倍さん亡き今、そんな動きがあるとは思えない。

  それにしても、日本政府・自民党は何時までChinaと国交断絶を考えないのでしょうか。と言うかそんな矜持も覚悟も無いのだけは確かなのじゃないでしょうか。
  何といっても、日本の為に働くなんて意欲を持っている議員が殆どいないのですから。


★小町園の悲劇(18歳未満および女性の方閲覧禁止)

2022年08月29日 | 日本再生

 ねずさんが毎年アップしてくれるこの小町園の悲劇も本当に腹立たしいものです。と言うか、これこそが人類の持つ本能だけに余りにも悲しい話です。
  売春婦が人類の最初の商売と言われるのも理解できますが、それを無理やり廃止したのこそがポリコレの最初じゃないでしょうか。まさに欺瞞でしょう。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/08/22
  
  小町園の悲劇(18歳未満および女性の方閲覧禁止)

  ・・・略

 この小町園の悲劇について書くのは、2011年3月以降、これが14回目になります。
忘れてはならないことだと思い、毎年この時期に再掲させていただいています。

 この物語は、安田武、福島鋳郎著『ドキュメント 昭和二十年八月十五日―占領下の日本人』に収蔵された実話です。
原文は文語体ですが、読みやすいように、ねず式で現代語訳しています。
原文には書いた人の記名がありますが、ここでは割愛しています。
あまりにかわいそうだからです。

 我が国では古来、民衆は天皇の「おほみたから」です。
そして政府は、天皇の下にあって、「おほみたから」である民衆が豊かに安心して安全に暮らせるようにすることを第一の責務とする存在です。
それが我が国古来の基本です。

 ところが戦後は、西欧風の政治観が蔓延しています。
それは「国のトップは国家最高権力である」という認識です。
権力とは、「武力、財力、情報力」によって成り立ちます。
そしてこれら3つの力によって、国民を支配します。
そして支配者は、限られたごく少数の権力者の富と安全と安心のために、民衆を欺き、民衆を利用します。
この小町園にしても、まさに自分たちが米軍にゴマをするために、日本の一般女性たちを差し出したと言われても仕方がない振る舞いを、当時の政権が行っているわけです。

 当時の政権の誰がこの件に関与したのかは、現時点では不明とされています。
しかし、自己の利益と保身のために国民の犠牲を厭わないという、権力の歪みは、現下の日本において、より顕著になっているように思います。

 日本を取り戻すというのは、このような「権力による国民の支配」という構図ではなく、国民が「おほみたから」とされてきた日本を取り戻すことにあります。
そのために必要なことは、日本人が日本のもともとの形を、あらためて確たるものとして認識することにあります。
そしてそのためには、勉強と拡散が必要です。・・・中略

 思えば、黒船来航以来の日本を守ったのも志士たちの「誇り」でした。
日清、日露、大東亜戦争を戦ったのも、日本人の「誇り」でした。
そして戦後の奇跡的とさえいえる驚異の戦後復興を成し遂げたのも、私達日本人の「誇り」でした。

 いま不況に沈む日本が失っているもの。
それは、日本人としての「誇り」なのではないでしょうか。
逆にいえば、日本がこれから未来に向けて成長し、発展し、より豊かな生活を取り戻すのに必要なこと。
それこそまさに「日本人の誇り」です。

 そして「誇りを持つ」ということは、何も威張ったり、ふんぞり返ったり、他を蹂躙したりすることではない。
日本人は、ごくごく普通に振る舞っていれば、それだけで「凄い」民族です。
なぜなら、それだけの実績を、私たちの先人が築き上げてきてくれたからです。
私たちいまを生きる日本人は、そのことにもういちど「感謝」の心を取り戻すべきだと、私は思います。

 それともうひとつ。
たいせつなことは、コトの正邪ではありません。
こうした過去の歴史を、わたしたちがいかにそこから学び、現在に活かし、未来を築く礎にするかということです。
二度と悲劇はくり返してはならない。
日本は、強くあらねばならないと思います。
そのために必要なことは、国民の勉強です。



  売春婦が本当に史上から消えるのこそが理想なのかも知れませんが、戦争と同じで無くなることはないのじゃないでしょうか。
  この問題を人類が克服する時は来るのでしょうか。


★Koreaの環境美化委員とは

2022年08月29日 | 韓国

 文ちゃんの経済政策で良く分らなかったのが教室の電気を消すだけの雇用等を増やしたというものでした。一体、何だろうと思ってました。

  【ポリティカ金字塔】がそれを詳しく教えてくれています。何と、あの人たちは環境美化委員と言うのだそうです。
  道路のゴミの散乱もそれが原因んだそうです。やはり、日本人とは分り合えません。


  やはり、どう考えてもお付き合いすべき国じゃないです。一日も早い国交断絶しかあの国との問題解決はありえない。


★乙巳の変はクーデターだが、背後の首謀者は誰だったのか?

2022年08月29日 | 国体・皇室・シラス

 乙巳の変(いっしのへん)なんて全く知りませんでした。というか読むことも出来ませんでした。あの中大兄皇子と藤原鎌足が蘇我入鹿を退治して大化の改新が始まったと教わってきたので、突然の変化に驚いたものです。
  日本の文化の凄さがどんどん解明されていますが、これも本当に驚かされます。

  そんな説を謎を説く本が出たようです。何時もの宮崎さんが書評で取り上げてくれています。
  真実はどこにあるのか分りませんが日本が素晴らしい歴史を持つことは間違いないでしょう。
  この素晴らしいシラス国を嫌う人達には是非目を覚ましてもらいたいものです。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和四年(2022)8月17日(水曜日)弐 通巻第7433号

  書評  

 乙巳の変はクーデターだが、背後の首謀者は誰だったのか?
  乱の本当の狙いは違うところにあったのではないか?

 遠山美都男『新版 大化改新──乙巳の変の謎を解く』(中公新書)

 大化の改新を歴史教科書は必ず扱い、横暴を極めた蘇我一族を葬りさり、律令制度のあたらしい政治に向かうバネとなった改革だったと乙巳の変を肯定的に捉えている。
 主役は中大兄皇子と中臣鎌足、学問的なバックボーンが南淵請安だったとする学説も多い。これは蘇我氏を悪役とした日本書紀と藤原家家伝により、イメージが固定してしまったからだ。
とくに乙巳の変の現場の挿絵は蘇我入鹿の首が飛び、簾のなかにいた皇極天皇は驚き、陪席していた古人大兄皇子はさっと自宅へ逃げて門を閉ざした。この絵画は江戸時代になってから、住吉如慶と具慶の合作で談山神社所蔵の「多武峰縁起絵巻」。後世の後智恵で描かれている。
実際の暗殺現場は、特定されていない。
これまでの通説に対して、ふつふつと疑問がわいてくる。

 第一に殺害現場は本当に大極殿だったのか? 第二に三国(高句麗、新羅、百済)からの外交使節がならんでいた儀式の最中だったというのも怪しい。いや、外交儀礼はあったのか。
第三に息子の入鹿が討たれたのに、すぐ近くの甘樫丘の要塞のような豪邸にいた蘇我蝦夷はなぜ迅速に反撃しなかったのか? 軍勢は中大兄皇子側より多かった筈だ。

 第四は中大兄皇子側の軍事作戦立案は中臣鎌足ひとりだけだったのか。すぐに甘樫の丘から飛鳥側を挟んで対岸に位置する飛鳥寺に本陣を構え、蝦夷側に使いして投降を呼びかけた。この意表を突く戦略は誰が立案したのか。なぜ中大兄皇子の本陣は飛鳥寺だったのか?

 第五に皇位を継承した軽皇子(孝徳天皇)はいかなる役目を果たしたのか? なぜ中大兄皇子は皇位をすぐに継承できなかったのか? のちに天武天皇となる大海大兄皇子は、このとき何処で何をしていたのか?

 著者の遠山氏はこうした疑問点を整理し、まず暗殺場は殿中ではなく、門を閉鎖した中庭あたり、外交使節は難波周辺に滞在していたが新羅使は来ていなかった事実を述べる。
遠山説によれば、黒幕は軽皇子である。
蘇我蝦夷は情報を誰よりも早く掌握できる立場にありながら迅速な対応が取れなかったのは、入鹿との連絡が円滑に取れていなかったからだと評者(宮崎)は推定するが、すぐに反撃できないのは自軍の豪族等の動揺が激しいこともあった。
真ん前の飛鳥寺に古人大兄皇子が赴き、仏門に帰依すると武器を捨てたことを見たからだ。つまり蝦夷は古人を次期皇位継承の最有力とみて、大いに工作してき たのだから総てが無になった失望が大きかったのだ。後智恵で皇位が継げたのは軽皇子だから、彼が首謀者という論理展開になる。

戦後の歴史教育はでたらめな史観の横溢、神話否定、こうなると資料のない古代史は「一人一党」の世界となって、奇想天外な騎馬民族説がでたかと思えば、太安万侶は不比等だったとかいう梅原猛のチンドン屋、左翼の本山は網野善彦、永原慶二あたりか。
 近年、錯綜した歴史解釈もしだいに落ち着きを取り戻し、さすがに戦前の皇国史観的な天皇絶対を唱える論客はまれとなって論理的推測の論考が増えてきた。
 本書は、そうした流れの一冊で、客観的に精密に大化の改新の実像にせまる。当時の豪族間の力関係などの問題を提議している点も、有益な観点が多い。
 たしかに乙巳の変はクーデターだが、背後の首謀者は中大兄皇子と中臣鎌足を操った人がいたかもしれない。
また本当の乱の狙いは政治の刷新ではなく、違うところにあったのだと著者は力説する。 
 横暴にふるまった蘇我入鹿を討ち、蘇我蝦夷を自殺に追い込んだ結果、何が鋭角的に変わったか? 
皇極天皇はその場で退位を決め(史上初めての譲位)、本命だった皇統後継は蘇我系の古人大兄皇子でなく、軽皇子(孝徳)へ遷った。つまり古人大兄の皇位継 承を阻止することが、乙巳の変の最大の眼目であり、皇極天皇を自然なかたちで退位していただき軽皇子が皇位を継ぐ(実際にその通りになった)。
 乙巳の変で蘇我宗家は全滅した。
ところが石川麻呂など蘇我別家は生き残り次期政権でも大幹部となった。蘇我分家はその後の壬申の乱で大友皇子側に付いたため滅亡への道を歩む。
時系列で整理すると、622年(推古天皇30年)に聖徳太子が死亡し、蘇我氏の権勢はますます横暴となった。六年後に推古天皇は後継指名せずに崩御され た。有力後継者は聖徳太子の息子=山背大兄皇子と田村皇子だった。蘇我氏は山背大兄皇子の最強の支援者だった境部魔理勢を滅ぼし、力づくで田村皇子(舒明 天皇)を即位させた。
641年(舒明天皇13年)舒明天皇が崩御され、皇后だった皇極が即位し、蘇我氏は古人大兄皇子を次期皇統後継にするため、いよいよ山背大兄皇子が邪魔になる。蘇我入鹿は斑鳩を攻め、ついに山背を自殺へ追い込んだ。
これで古人大兄皇子の次期後継は固まった。
こうした横暴きわまる蘇我一族を許しがたいと決意したのが中大兄皇子と中臣鎌足だった。
密議が進んだ。
「入鹿とかねてより不和の噂のある蘇我倉山田石川麻呂が謀議に引き込まれた。鎌足の建言により、まず中大兄が麻呂の娘を娶り、両者の間に姻戚関係が結ばれ た後、謀議の全容が麻呂に打ち明けられたのである。麻呂は一党への加担に同意した。さらに鎌足の推挙によって弐名の刺客、佐伯子麻呂と葛城推犬飼網田が選 抜された」を遠山氏は解説を続ける。
蘇我蝦夷の周辺にあった漢東直らは、さっと立場を変え、中大兄皇子側に投降するか、逃亡した。

戦略的見地からみた場合、もっと愚劣な行動をとったのが古人大兄皇子だろう。直ちに蝦夷の要塞に駆けつければ、クーデターを不首尾に終わらせることが可能 だった。とっさに、そうした判断ができないばかりか、古人大兄皇子は、飛鳥寺というクーデター側の本陣へ駆けつけ、自ら髪を下ろし、武器を捨て仏門に入っ た(後日、殺されるが)。学僧の南淵請安は乙巳の変とは無関係だった。
乙巳の変へと至る前段は聖徳太子の皇子、山背大兄皇子を蘇我が滅亡に追いやった悲劇で、これは乙巳の変の一年半前のことだった。
この惨劇を契機として中大兄皇子側の計画は入念に練られ、時間をかけて仲間を増やしていく。謀議の中心は中臣鎌足(後の藤原鎌足。このころは鎌子と名乗った)。
 鎌足は中大兄皇子と蹴鞠の場で偶会し、意気投合したことになっている。密議の場所は南淵塾のあった談山神社だとされたが、これも嘘くさい。というのも評 者は桜井駅から談山神社へ歩いてみたことがあるのだが、緩い山道で、かなりの時間がかかり、頻繁に密議を行った場所とは思えないからである。

また帰国後の南淵請安が拠点としていたのは、石舞台のかなり南の集落で、談山から更に南方向である。ということは密談、謀議の過程はかなりの部分がフィクションだろう。
 ならば討たれた蘇我氏とはいかなる存在だったのか?
 「あくまで世襲王権に依存・寄生する存在として誕生した。王権の身内的存在として、いわば王権の補完的な要素として、王権内部に組み込まれて存在することが蘇我氏の特質であり、その最大の存在意義であった(54p)
 王権の簒奪ではなく、内部に寄生して王権を事実上左右できる立場をえるのが蘇我の野心であり、後年、類似パターンを繰り返すのが藤原不比等以後の四兄弟と藤原仲麻呂ということになる。
まさに「歴史は繰り返す」

  所詮、人間なんて権力を手にしたいのでしょう。それだけにシラス国で、権威と権力を分離した日本の凄さを思わざるを得ません。
  こうした乙巳の変(いっしのへん)もその争いと言えるのでしょう。何だかんだ言ってもこうやってシラス国を作り上げた日本は本当に素晴らしい。

それを忘れた日本!