第2018回、第2145回、第2931回でブータンのGNH(国民総幸福量)を取り上げましたが、そのGNHの考えの元となった話題が紹介されていました。
興味溢れるGNHというアイデア アジアの小国・ブータンの提案
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しかしこの谷間の村は、今では世界的に有名である。それは、ヒマラヤ越えをするオグロヅルの越冬地、生息地として。ツルたちは中国の一部とシベリアの一部からブータンヒマラヤを越えて10月ころ来る。このオグロヅルのヒマラヤ越えについては、最近のNHKの番組などでも特集していたが、地球の不思議な営みとして世界的な関心を集めているのである。
そうした中で、ポブジカというこの谷間の村には非常に大きな特徴がある。それは日本の山間の村には必ずあって目立っているものがないことだ。それは電柱(鉄塔)と電線である。どこからも電気が引かれていない。日本の谷間の村には山に必ず電柱が目立つ形であって電線が引かれており、それが村に電気を供給している。しかしポブジカにはないのである。どうしてか。
それは住民と政府の間で、「電線は引かない」という合意が成り立っているからである。電気を拒否しているのではない。ホテルには太陽光発電の装置があり、それが一定時間電気をホテル施設に供給しているし、各農家には政府から同じく太陽光発電装置が無償で供与されているという。しかし、基本的には一日数時間の限られた電気供給であって、村全体として夜は基本的にはロウソクの火が最も頼りになる明かりという生活をしている。
なぜか。ここが重要なのだが、それは「ツルが毎年来る」という自然環境をいつまでも保全しようとしているからだ。ではなぜブータン政府と住民が「電線を引かない」「電気がごくわずかしかない生活でも我慢できる」という結論に達したか。それは「電線を張ってツルの生態の邪魔をしたくない」という考え方で意見が一致したからだ。政府も住民もだ。住民たちは、「自分たちは農民で、夜遅くまですることなどなく、よって電気は最小限あればよい」という意見だった。村長を初めとする全員で合意したという。だから本当にこの村には電柱も電線もない。日本であったらありえない選択だ。誰もがテレビを欲しがり、洗濯機を欲しがったはずだ。しかしポブジカはそれを拒否して、「ツルが舞い降りるこれまでの生活の継続」を選択した。
考えてみればこれは、先進国の多くの人が忘れていた発想である。日本を含む先進国では、「次々」と製品を進歩させ、環境を変えることにちゅうちょせず、皆が経済の成長率を話題にする。口を開けば「景気が悪い」と嘆く。しかしポブジカの人々は、ツルと自分の住む環境を保持するために電線を拒否した。「今のままでいい」と。この「今のままでいい」という考え方が、ブータンにおけるGNHの考え方のベースになったという。・・・以下略
これは考えさせられますね。考えてみれば私の子供の頃はまだこれに近い生活があったような気がします。
田んぼは機械化されてなく脱穀意外は殆ど手仕事でした。田んぼの横の小川にはフナやドジョウやメダカが沢山いました。カエルや蝶やトンボと今は殆ど見ることがなくなった小さな動物が当たり前のように周りにいました。考えてみればこれぞエコという生活をついこの間までやっていたのですね。
それが、水道が引かれ、テレビや冷蔵庫などの家電が揃い、自家用車なんてものに乗れるようになった頃、気が付けばそんなものは殆ど目にすることがなくなっていました。 確かに生活は比較にならないほど便利になったでしょうが、物事のはかりがお金になってしまい、金を稼がないものは甲斐性なしとされ金を稼ぐものの天下になってしまっていました。何時も競争にさらされ何かに追いかけられるような毎日。
そして常に金が無いことが将来への不安につながりどこか満ち足りない毎日を過ごすようになってしまっていた。これが果たして日本の国民が本当に望んでいたことだったのでしょうか。
昔ながらの生活を今更どこまで受け入れられるかは分かりませんがもう一度考え直すべきかも知れません。
GNH恐るべし!