ダンポポの種

備忘録です

まんどろやま展望台へ行ってきた

2021年02月10日 22時28分40秒 | 散歩・ウォーキング


 きょうは、万灯呂山展望台

きょうは、井手町の大峰(万灯呂山展望台)へ、歩いて往復してきました。(新田辺発着)
万灯呂山展望台へ行ったのは、昨年11月30日以来、2か月10日ぶりです。



↑新田辺から散歩開始しました。井手を目指すには、木津川を渡ります。
 きのう歩いた山城大橋(307号線)です。きょうもまた渡った



↑JR奈良線の山城多賀駅と、背後に連なる山々。
 矢印の山が、大峰(万灯呂山展望台)です。



↑過去、万灯呂山ウォークは、いつも舗装道路ばかり歩いて展望台(頂上)を目指していましたが、
 きょうは、中腹付近で舗装路から離脱し、土の道(山道)の散策路に足を踏み入れました。
 この散策路を歩いたのは、きょうが初めて。(黄色矢印のほうへ進んだ)
 ※この散策路は、展望台(頂上)へ通じています。



↑私は初めて歩く山道なので、「枯草ぼうぼうの荒れた藪道かも…」という一抹の不安は感じていました。
 いざ歩いてみれば、ちゃんとコース空間は確保されていて、きちんと整備された山道でした。



↑冬なので草は伸びていませんが、それなりに人が通行している気配が感じられました。



↑道の分岐点には、ちゃんと道しるべもあります。
 わりと、イッキ登りする感じの山道です。ぐいぐい登っていきます。





↑てっぺん(展望台)に着いたー
 さっき中腹で、舗装路から山道へ踏み入った地点から、ここまで10分でした。疲れた
 舗装路ばかり歩いて登頂するよりも10分弱短縮して到達できたみたい。
 等高線に沿うように迂回する舗装路に対し、山道でイッキに登ってきたからな。





↑いつもながら、ここからの眺めは、いい景色です。
 この風景を〝あて〟にして頑張って歩いてくるだけの値打ちがあると思います。



↑甘南備山が見えます。

大峰(万灯呂山)からは、甘南備山を見下ろす格好になり、甘南備山の〝向こう側〟の街並み風景を窺うことができます。霞んでない日だったら、もっとはっきり見えるのだろうけれど。
※大峰(万灯呂山)は標高303m。甘南備山は221m。



↑限界ズーム! 近鉄京都線、木津川橋梁を撮る。



↑地下鉄10系。



↑画面下段、S字を描く細い道路は、木津川沿いのサイクリングロード。私もよく歩く道

展望台からの風景を楽しみ、ひと休みした後、さっきの山道を下って、帰りました。
帰りは〝下る〟ばかりなので、しんどくありません。サクサク歩いて新田辺へ戻りました。



ふで稽古、継続

2021年02月09日 22時21分10秒 | 日記・雑記


きょうは、ふで稽古日につき、東福寺行きでした。
緊急事態宣言中ですが、臨時休講は無しで、予定通りに稽古継続です。
きょうは二十四節気の「雨水」を書きました。
簡単そうな字に思えるけれど、書いてみたら、難しかったー。
何枚も書きまくって、いい練習(鍛錬)になっていると思います。



↑ふで稽古へ、きょうは電車に乗って行きました。まず近鉄京都線で丹波橋へ。



↑丹波橋で京阪電車に乗り換え。準急出町柳ゆき。



↑わし、京阪電車に乗ったのは、これが今年初。



↑これは帰り道。
 帰りは、東福寺駅からJR奈良線(普通奈良ゆき)に乗りました。
 この画像は、宇治駅にて。普通の車内から、先発する<みやこ路快速>を見る-。



↑宇治の次駅、JR小倉(じぇいあーるおぐら)で下車しました。
 ここの駅前からウォーキングして新田辺まで戻りました。



↑小倉から、府道69号(城陽宇治線)の歩道をテクテク…。
 城陽市役所前のバス停留所。



↑国道24号区間に変わって、アルプラザ城陽の前を通りすぎる。



↑山城大橋(国道307号)を渡って、K田辺へ。
 JR小倉から新田辺まで所要約2時間でした。地図で測ると約12km。
 足も痛くならず、快調に歩けました



業務ができることに感謝

2021年02月07日 20時37分00秒 | 日記・雑記




きょうは日曜日。

・午前中、休日系業務1件に出動しました。(休日系業務は休まず対応中)
お世話になりました。ありがとうございました。

・午後は、アフター業務(A家)に出かけてきました。
A家も「午前中」を希望されたんだけど、休日系業務の依頼は昨年暮れに承っていたものなので、早いもの勝ち(?)の順番ということで、A家には〝午後対応〟でご了承いただきました。
こちらもお世話になりました。ありがとうございました。

通常業務を臨時休みにしている現在、私にとっては貴重なお仕事の機会です


きょうのアフター業務(A家)出動は、電車に乗って行きました。
ウチからA家までは、ちょっと距離があるんです。
いつもは原付バイク<業務号>に乗っていくところなのですが(小回り重視)、きょうはJR学研都市線に乗って行きました。A家も向こうのJR駅からそんなに遠くないので。
「わし、JRの電車に乗ったのは、これが今年初めてデス

あゝ、電車に乗ってどこか遠くへ出かけたい



きれいな青空でした

2021年02月06日 22時20分00秒 | 散歩・ウォーキング


いい天気の一日でした。
K田辺観測、きょうの最高気温は16.0℃。4月上旬並みの暖かさでした。

きょう、京都府の新規感染者数は37人。
S華町では2月に入ってから新規感染者はゼロ推移です。(S華町累計は82人)

このところ、京都府でも、新規感染者の人数は減少傾向です。
緊急宣言の効果というか、お互いに気を付けて行動(抑制)したら、感染拡大は抑えられるんやね。
私個人の感想ですが、京都府の緊急宣言は早めに解除されそうな気配ですね。

「2月末までの通常業務は全てお休みしますと、訪問先のお家へ連絡済み なんだけど
「予想した以上に、早めに解除されるかもね。2月中旬とか…」

   ◇          ◇          ◇

散歩
2月も元気に歩いています。
きょうは、きのうに続いて甘南備山行き。今月2回目の登山です。
(※きのうの散歩は、ブログに書いていません)


↑甘南備山ゲートウェイ(!?)
 K奈道路の高架下から甘南備山を見る。
 この道が甘南備山への進入路であり、私はいつもここを通って、山まで往復しています。



↑ヒノキの小径。



↑三角点広場(雌山)。
 青空にフォーカスしました。広場が〝真っ暗け〟に写ったな



↑扇池。(京都府内で撮影)





↑雌山から雄山への移動。
 きょうは尾根道を直行せず、別ルートの山道をぐるぐる歩きました。
 甘南備山の山道ルート図を、私もだいぶん覚えました。



↑雄山てっぺんの神社。きょうも、おまいりしました。
 「あけましておめでとう-」の紙が、まだ貼ってあります。
 さすがに、もう、剥がしても良いのではないかな…。



↑鳥居前の広場から、新田辺の街を眺める。(肉眼では、もっとはっきり街並みが見えます)
 きれいな青空。気持ち良かったです。どこまでも広がる青い空でした。
 きょうは暖かかったので、途中で上着を脱いで、長袖シャツだけで歩きました。



昔、こんなの、ありました

2021年02月05日 22時15分10秒 | 鉄 道
むかし、むかし、
ふれあいの窓 おしらせ広場 『きんてつ』
という、近鉄電車の広報紙がありました。
B5サイズ。(B4の二つ折り。両面刷り4面構成)
発行:近畿日本鉄道広報室、でした。



「近鉄電車の駅で、無料で配られていたね」
「ご自由にお取りください、っていうやつ」
「改札口そばの広告ラックに、ほかの宣伝チラシと並んで、いつもセットされていました」
「昔は、近鉄に限らず、他私鉄でもこういう広報紙が作られていたなぁ」

『きんてつ』は、1976年(S51)3月から2001年(H13)3月までの25年間発行されました。最初から毎月発行(月刊)だったのか、よく知りませんが、私が近鉄電車を利用するようになった1985年ごろ以降は毎月発行されていました。
紙面は、近鉄電車の輸送現場(最前線)の今とこれからを伝える内容がメインでした。当時は、近鉄電車でも輸送力増強施策が推進されていた時期であり、駅舎ホームの改良工事・線路の高架化・新型車両の投入など、広報ネタになる新しい話題が毎月目白押しでした。活力に満ちていましたね。「古き良き時代」の範疇だと思います。

「わし、中学・高校時代に、この『きんてつ』を毎月集めていました
「でた… 鉄道ファンがやりそうなことやな」
「まあな。ご多分に漏れずというか、毎月せっせと集めていました。タダ(無料)だからね」

私は、中学・高校時代、毎日近鉄電車で通学しました。
乗り降りの駅で、『きんてつ』の在庫状況を横目に見て改札口を通るのが常でした。
「おっ、新しい号が出てる!」って、すぐに気付いたりしてね。

集めた『きんてつ』は、捨てておらず、今も残っています。(←そういうの、捨てない奴
昨年秋にウチの押し入れ物置を整理した時、『きんてつ』を収納したファイルが出てきました。
1986年11月号から、1991年春ごろまでの号です。
中学~高校時代の4年半ぐらい、これを集めるのが楽しみの一つでした。

↓以下、いくつか、ご紹介します。


↑1987年(S62)1月号。京都線興戸駅の橋上駅舎完成を伝える。
 同志社大学田辺キャンパスの開校にあわせて、最寄り興戸駅の駅舎改築が行われました。



↑1987年(S62)11月号。京都線大久保駅の高架化完成を伝える。
 「写っている電車は3000系! 懐かしい

高架化完成によって、大久保が「追い越し可能駅」になりました。
下り(大和西大寺方面ゆき)急行・各停の接続が大久保で行われるようになったのは、このときから。



↑1988年(S63)3月号。21000系「アーバンライナー」の登場を伝える。
 いつもの号は単色カラー印刷のところ、この号はフルカラー仕立て
 近鉄の意気込みが、バーン!と伝わってきます。



↑同上。ページ中身(2面・3面)。
 このまま〝鉄道趣味雑誌〟の記事に使えそう。(近鉄が自分で書いた紙面だから一番真実
 当時は、世の中景気が絶好調だった頃ですね。
 21000系は登場した時期が良かった。幸せな車両です。
 (新型コロナに水を差された80000系「ひのとり」、腐るんじゃないぞ!)



↑同上。最後のページ(4面)。
 近鉄特急のあゆみについて簡単にまとめてあります。
 こういう歴史を乗客に伝えるのも、大切なことですね。広報紙の役割ですよね。
 現在、こういう情報を乗客に対してPRできているだろうか…? 課題かもしれません。



↑1988年(S63)11月号。京都線新田辺駅の橋上駅舎完成を伝える。
 橋上駅舎にくっ付いて、西出口側には小さな駅ビル(?)も出来ました。



↑1987年(S62)2月に発行された臨時号。運賃改定への理解を求める。



↑同上。ページ中身。いっぱい書いてあります。

まず、運賃改定申請を届け出たことを述べ、近年の鉄道輸送状況(収支)と社会情勢の変化を挙げてから、
『現行運賃のまま推移すれば、懸命の企業努力にも関わらず鉄道部門の収入不足は大幅に拡大し、今後の輸送力増強などの計画推進に大きな支障をきたし、ひいては公共輸送機関としての使命を果たすこともおぼつかない事態に立ち至ることを危惧しています-。』
『こうした情勢から、このたび運賃および特急料金の改定を申請するに至った次第です。皆様には鉄道経営の厳しい情勢をご賢察いただき、運賃料金改定にご理解を賜りますようお願いいたします-。』
と、話が結んであります。
ここでは運賃改定(値上げ)という話ですが、お客さんにご理解・ご協力をお願いするときの文章の組み立て方というか、ひとつのまとめ方ですね。

この臨時号は昭和62年2月発行だから、私が中学2年生のときです。
中学2年が読むには難しい内容ではあったけれど、私は熟読しました。純真だったピュア・マイ・ハートには「近鉄電車も実は経営が大変なんだな…」と、しっかり響きましたね
中学生のときにこれを読んで、私自身、文章の勉強になったと思います。
大人になった現在、業務上の文書を作るときに、この臨時号の文章構成を思い出すことがあります。




↑同上。最後のページ(4面)。
 最後に『当社路線の特徴と特急営業』について書いてあります。
 近鉄特急はなぜ特急料金をとるのか、その理由が書いてあります。
 それは近鉄電車の基本方針なのだから、現在も、もっと情報発信したら良さそう。

 ちなみに、この時の運賃改定で、
 京都~丹波橋は130円から150円になりました。(現在は210円)
 京都~新田辺は260円から300円になりました。(現在は410円)



健康維持に励もう

2021年02月04日 23時00分00秒 | 日記・雑記


きょうは、午後から、緊業のアフター業務(C家)に出動しました。

2月中の「通常業務」を全て臨時休みにすると決めた今、これから当分、私が出動する業務は、A家・B家・C家のアフター業務のみです。(そのほかに、数件の休日系業務を承っています)
見方を変えれば、普段以上に、アフター業務にじっくりと取り組める好機ですね。
ご当家の皆様に寄り添って、慌てずにアフター業務に励みたいと思います。

   ◇          ◇          ◇

2月の「通常業務」をすべてお休みにする旨、関係するご家庭への連絡を完了しました。
これで、2月28日まで通常業務の予定は無くなりました

その代わりに、3軒ぶんのアフター業務が〝フル日程〟で入ります。
また、ふで稽古の予定が2月中に2回あります。
外業(某委員会<M>)に関する打ち合わせ会議も2回程度、予定されています。
なので、2月のスケジュール表は〝真っ白け〟にはなりません。

あとは、スケジュールが空く時間帯があれば、どんどん、散歩出動したいと思います。

昨年春の緊急事態宣言のときは、『外出を自粛せねばならぬ…』という思いが強すぎ、私自身、1日の外出行動が「朝、郵便受けへ朝刊を取りに行くこと」と「夕方、郵便受けへ夕刊を取りに行くこと」だけ、だった日が何回かありました。(隣りの家の前までも行っていない、という…)
そういう閉ざされた生活は、感染予防には有効でも、体力面・精神面には悪影響だったと思います。

わし、今回の緊急事態宣言においては、他人との不要な交流・接触を避ける前提のもと、可能な限り「屋外の空気を吸いに出かけること」を心掛けています。私の場合には、それが<散歩ウォーク>です。
心して健康維持に取り組まねばならぬ、2月です。
今月も、ジャンジャン歩くぞー。




京都も延長へ

2021年02月02日 21時57分10秒 | 散歩・ウォーキング
節分
きょうは「節分」です。今年は2月2日が節分。
2月2日が節分に当たったのは124年ぶりのことだそう。明治30年(1897年)以来?
でも今後は、何年かに一度、2月2日が節分に当たる年が巡ってくる、とか。

きょうは実家で母が巻き寿司をこしらえました。
それを頂戴してきて、夜、自宅で黙々と食べました




今夜、菅首相が会見--。
緊急事態宣言は、栃木県を除く10都府県で1か月間延長される旨、発表がありました。
(埼玉・千葉・東京・神奈川・愛知・岐阜・京都・大阪・兵庫・福岡、の10府県)

京都府も、緊急事態宣言が延長されることになりました。
1か月延長されて、新しい期限は3月7日までの予定です。
なお、感染状況がしっかり改善されれば、期限を待たずに早め解除もあり得るそう。

「京都府は、たぶん早められて、2月中に解除されるんじゃないか?」
「その根拠は?」
「ない。直感!」


◎私の業務について 
緊急宣言の延長を受けて、私の業務(本業)については、「通常業務」の臨時休みを継続します。
2月末までの「通常業務」はすべてお休みいたします。
京都府の宣言解除が早まって2月中に解除されたとしても、通常業務は2月末までお休みします。そのように決めておきたいと思います。

緊急業務、休日系業務、そのほか必要な業務については、休まずに出動します。

   ◇          ◇          ◇

 ながれ橋へ行ってきました

きょう午後は、いつものように、健康維持のための散歩ウォークに出動。
昨夜はたくさん雨が降ったので、山道はベチャベチャになっているだろうと思い、甘南備山はパスしました。きょうは、木津川沿いを歩いて、久しぶりに「ながれ橋」へ行ってきました。




↑木津川堤防からの風景。
 左側の大きな屋根は、八幡市民体育館。
 中ほど、建物の向こうに見えるのが男山。
 右側、鉄塔の奥に見えるのが天王山。



↑ながれ橋に着きました。新田辺から約1時間。
 きょうは、北風ぴいぷう吹き荒れる、厳しい、木津川堤防ウォークでした
 吹きっさらしの堤防上で、強風をまともに受けて、体ごと押し流されそうになりました。
 絶え間なく顔に吹きつける風で、涙目になって… 頑張って歩いた。
 


↑ながれ橋を渡った地点。(久御山町側)
 風が強くて、橋の上でもスリルがありました。
 「吹き飛ばされて川へ落ちたらシャレにならんな」と思いながら。

このあと、木津川対岸の堤防を歩いて城陽方面へ。
K奈道路100円橋の側道橋を渡って、K田辺へ戻ってきました。
強風に翻弄されながらも、元気に歩けました。
きょうは新しい運動靴を履いて出かけたんだけど、ちょっと靴擦れ 不覚



紙、貼り替えた

2021年02月01日 21時29分30秒 | 日記・雑記


2月スタート!
先日からウチの掲示板に貼っていた「大寒」(ふで稽古で書いたやつ)を、きょう撤収しました。
入れ替わりで「立春」を貼りました ※ことしの立春は2月3日です。
二十四節気なので、半月を目安にして貼り替えていこうと思います。
そのペースに間に合うように、後続の言葉をどんどん書いていかないとあかんね

立春の次は「雨水」ですね。(←まだ書いていません)
次回のふで稽古のときに書きます。

雨水の次が「啓蟄」。これは難しそうだぞ


   ◇          ◇          ◇

きょう午前中は、緊業のアフター業務(B家)に出動しました。
このたびの緊業3軒それぞれのご希望を踏まえて、スケジュールを組みました。
A家は日曜日、B家は月曜日、C家は木曜日、を基本にしてアフター業務を勤めます。
「3軒とも同じ曜日を希望されたらスケジュールが大変だな…」
と心配していたのですが、重なることはなく、うまい具合に分散しました。

「出動する、曜日とお名前を間違わないことだな」
「くれぐれも間違いのないように…」


きょう午後は、来客対応1件でした。
1時間弱、懇談と打ち合わせをしました。

それが済んだあと、夕方からちょこっと散歩出動しようかと考えたけれど、天気が…
うちの地域でもポツポツ降り始めました。
「雨か。だめこりゃ」
きょうの散歩は、お休み。