ダンポポの種

備忘録です

いつもと違う川に沿って…

2019年05月27日 23時53分30秒 | 散歩・ウォーキング



5月27日、月曜日。
きょうは兵庫県へ出かけて、西宮市と宝塚市の境界「武庫川渓谷」に残る、廃止線路の跡地を歩いてきました。
旧国鉄福知山線の廃線跡(武庫川沿いに通じていた旧線。新線の完成により1986年に廃止)をそのまま活用した、テツ分も豊富な散歩道です。
ハイキング・コースとして一般(歩行者のみ)に開放されていて、テレビ番組でも紹介されたりしています。
私も、ここを一度歩いてみたいと思っていました。



↑「廃線敷マップ」なるガイド地図が、インターネットで紹介されています。(私も自宅でプリントして持って行った)
 生瀬(なまぜ)から武田尾(たけだお)までの旧線区間です。

   ◆          ◆          ◆



↑11時05分。
 きょうは、福知山線(JR宝塚線)中山寺駅前からウォーク開始しました。
 準備運動を兼ねて手前の駅から歩いてみた… というか、電車で生瀬駅まで行って歩き始めるのは、面白みが乏しいなぁ~ と思ったので。
 「生瀬のひとつ手前の 宝塚駅から歩き始めるか?」
 「いや、それなら、いっそのこと、中山寺駅から歩こう!」って、思いました。大した理由はないけれど。
 きょうは持参する〝荷物〟もあったので、ウチから中山寺駅までマイカーでいきました。
 中山寺駅そばのコインパーキングに駐車して、そこから武庫川渓谷の廃線敷をめざして歩き始めました。



↑11時25分。
 生瀬方面を目指して、国道176号線(旧道?)をてくてく歩きました。





↑12時05分。
 生瀬橋(県道)から、武庫川の下流方向を眺める。
 中山寺駅から歩いてきた私ですが、この生瀬橋を渡る手前あたりで、宝塚市から西宮市に入っています。
 生瀬は西宮市です。





↑12時15分。
 福知山線(JR宝塚線)、生瀬駅(なまぜ駅)です。



↑生瀬駅にて。丹波路快速が通過していきました。



↑生瀬の駅前に、廃線敷入り口(スタート地点)までの道案内があります。
 『(廃線敷の)トンネル内は照明がありません。懐中電灯など照明を用意してください』と、注意書きがしてあります。
 懐中電灯、必携です。
 「JR福知山線廃線敷」とありますが、旧国鉄福知山線廃線敷…ではないか?と思ってみたり。まあ、細かいことです。私は構わないです。
 「Old Fukuchiyama Railway Trail」というのですね
 実際、きょうも、外国人(旅行客だと思われる)の方も廃線敷を歩いておられましたぞ。



↑生瀬駅前からさらに20分ほど歩いて、廃線敷入り口(スタート地点)に着きました。
 生瀬駅からここまでの道順は予め調べてきたので、迷うことはありませんでした。(道順は事前に確認しておくのが良いです)



↑中山寺駅から生瀬側スタート地点までは、約7kmでした。
 ここまで、およそ9000歩。約1時間30分でした。



↑武庫川渓谷の案内板を眺めて、生瀬から武田尾へ向かって廃線敷を歩いていきます。武庫川をさかのぼっていく方向です。



↑12時40分、それでは、生瀬側スタート点から、廃線敷ウォーキングの始まり~。
 いきなり、足元には「枕木」が埋まっているのが見えるじゃ ありませんか。







↑これより先、武庫川が西宮市と宝塚市の〝市境〟になっています。生瀬は西宮市です(2回目)。
 今私がいるこっち岸が西宮市で、武庫川の対岸が宝塚市です。



↑旧線の廃止後、線路敷への立ち入りは一切禁止されていたそうですが、勝手に侵入する人や、「歩きたい」という声もあったらしい。
 現在は、歩行者の自己責任を条件に、通行が許されています。



↑大きな岩や岩盤がおりなす、渓谷の景色です。



↑12時45分。
 これは…、鉄橋やね。木製の柵の下側(下回り?)に、昔の鉄橋が残っているね。
 土台の橋脚はレンガ造り(?)ですかな。赤っぽいガーダー橋も見えますね。
 歩道として補強整備されているので、安全に通行することができます。







↑12時48分。
 途中、いくつかトンネルがあります。
 実際に、トンネルのなかを通り抜けて行きます。(トンネルを通過しないと先へ進めません)





↑トンネル内に照明設備はありません。真っ暗け! ほんまにトンネル内は真っ暗です。
 この廃線敷をハイキングするときは、各自、懐中電灯を持参することが必要です。
 私は、自宅にある 大きめの懐中電灯を持っていきました。かなり明るく点灯するやつ。

 実際現地を歩いてみて…、トンネル内で足元を照らすには、やっぱり、光量パワーが強力な懐中電灯を持参するのが良いと思いました。
 でっかい懐中電灯は荷物になるので、自宅から持参するのが大変ですけれども、カッ!と足元を照らすので安心感が違います。
 ペンライトみたいな小さな灯ではあまり役に立たないのでは…? と思います。





↑12時57分。
 線路際に設置されていた「待避所」の跡ですかね。保線作業の人が、列車通過の際に身を避ける場所。
 今となっては、展望台??


◎昔の「時刻表」を見てみよう


↑復刻版時刻表、昭和51年(1976年)4月号より。
 生瀬~武田尾を含む、宝塚-三田間が〝旧線〟だったころの時刻表です。福知山線自体が、まだ電化されていなかった時代やね。
 当時は、生瀬の次駅が武田尾で、西宮名塩はありません。

 現在の福知山線と比較すると…、当時は、とにかく運転本数が少ないですね。普通列車の多くは客車列車やな。旧型客車だったのでしょうね。
 特急「まつかぜ1号」。大阪8時00分発→福知山線・山陰本線経由→博多20時51分着という、今では考えられない列車
 食堂車も連結されていて、大阪~鳥取間は13両編成で走り、鳥取で6両切り離して、鳥取~博多間は7両編成で走ったそう。

【当時の途中停車駅(まつかぜ1号)】
 大阪→ 宝塚・福知山・豊岡・城崎・鳥取・倉吉・米子・松江・出雲市・大田市・江津・浜田・益田・東萩・長門市・下関・小倉・黒崎 →博多。

 

↑木漏れ日の線路跡。
 13両編成の特急「まつかぜ1号」も、旧型客車の普通列車も、ここを走り抜けていたんやねぇ。
 なんか、わし、涙が出てきそう





↑枕木が残っているのと、石ころ(バラスト)が多いので、足元は… 決して歩きやすくなかったです。







↑13時11分。
 このあたりは「急流」の見どころポイント。
 ゴォーっというか、ドドドォーっというか…、そういう響きです。急流がくだける迫力を眺めました。
 が…、こうしてカメラ画像で見ると、もひとつ、伝わってこないね 私の写し方がダメなのかも。
 急流の迫力は現地で感じるもの、だな。







↑13時16分。
 トンネルを抜けたところに、鉄橋が見えていますね。第2武庫川橋梁です。鉄橋の先(画面奥)には またトンネル。
 ここを実際に列車で通過したら、トンネルを出た瞬間にパッと宙に躍り出るように渓谷を鉄橋でひとまたぎして…、そしてまた、すぐトンネル。
 ディーゼルエンジンの音に鉄橋通過の音が重なって…、プォーン!という警笛が一瞬周囲にこだまして、列車はトンネルに突入したかな-。
 トンネルを出たらパッと広がる渓谷の風景。車窓を見つめる乗客にとっても 印象的な場所だったのだろうと思います。



↑第2武庫川橋梁。歩くところ(歩道部分)は補強整備されていて安全です。揺れたりしません。
 この鉄橋で向こう岸へ渡ります。この先は、西宮市内から宝塚市内へ移ります。







↑コースの終盤です。
 ここは、川がよく見渡せる場所だったので、腰をおろして休憩しました。
 リュックに入れて持参した「おにぎり弁当」(コンビニ弁当)を食べました。昼食です。
 13時25分に到着。15分休憩して、13時40分に出発。





↑弁当休憩を終えて、また歩きます。
 苔に覆われた、線路わきの石垣(?)擁壁?
 よく見ると、石垣には細かい造形がなされています。









↑13時50分。
 もうすぐ、武田尾側のゴール地点です。足元が歩きづらいぶん、結構疲れましたわ
 「武田尾へ着いたら、折り返して、また廃線敷を歩いて生瀬へ戻ってみるか…」とも考えていたのだけれど、それは取り消しマス!
 もう疲れたー。今日は廃線敷を十分に歩いたから、これでやめておきます。
 また機会を改めて、ここの廃線敷を訪れたいと思います。今度は、武田尾から生瀬へ向けて歩いてみようかな。



↑13時55分。
 武田尾側ゴール地点から先は、舗装道路になっています。きれいに整備されています。
 画像のこのあたりに、旧線時代の武田尾駅があったみたいです。旧駅の跡地は、こうしてきれいに舗装・整備されているのです。
 ここから道路を先へ進んでいくと(画面奥のほうへ)、現在の(新線切り替え後の)武田尾駅があります。700mぐらい先です。


廃線敷ハイキングコースの距離は、全長約4.7kmだそうです。
5kmぐらいか。距離的には知れているな…」と、事前には ちょっと軽く考えていた私です。
けれど実際、枕木や砂利(バラスト)を踏みしめて歩き続けるのは、思った以上に疲れました。しんどかった~。
生瀬側スタート点からJR武田尾駅までの区間、約7000歩・所要1時間30分ほどでした。



◎昔の「時刻表」を見てみよう、パートⅡ


↑復刻版時刻表、昭和33年(1958年)11月号より。
 武田尾に「電報取扱駅」マークが付いていますね。
 「かく言う私は、電報取扱駅っていうのが どういうポジションだったのか、よく分かっていないけれども…
 宝塚には電報マークが付いてないけれど、武田尾には付いてる! それだけのことですが、武田尾すごいやん!?
 急行「出雲」が走っていますね。東京~大社・浜田を結んだ夜行列車です。夜行区間の東京~大阪間では寝台車両も連結していたそう。
 現在の寝台特急「サンライズ出雲」の前身です。この時期は福知山線経由で走っていたのですね。
 ここに記載されているのは発車時刻ですが、急行出雲、宝塚から三田までに案外時間を要していたんやなぁ。途中駅通過だけど。
 高速で駆け抜ける区間ではないし、客車編成だし、これぐらい要するものだったのかな。(そもそも蒸気機関車の時代か?)





↑JR武田尾駅前のロータリー。阪急田園バスの停留所。
 画面左奥の「のぼり口」が、武田尾駅の入り口。

以上です。
歩数・距離等をまとめると、きょう私は「中山寺駅から武田尾駅まで歩いた」ことになります。
トータルで、約16000歩・約3時間。12kmちょっとです。
まずまずの数字やね。頑張って歩けたと思う。



↑14時05分。
 武田尾駅の改札口。
 無人駅です。自動券売機があります。改札機はイコカなどのICカード乗車券に対応。



↑武田尾駅はトンネル区間にある駅です。



↑武田尾にて。対向の新三田ゆき電車がやってきたところ。





↑武田尾からJR電車に乗って中山寺まで戻りました。駅前パーキングに止めていたek号。
 中山寺~武田尾、3時間かけて歩いた距離も、電車は12分で走ります

このあと、中山寺駅近くにある宝乃湯という銭湯に立ち寄って、のんびりして帰ってきました。
着替えとかタオルも持って行かないとだめだったし、さきほどの懐中電灯も合わせて、きょうは〝荷物〟が多かったのです。
そんなわけで、マイカー利用で現地まで行きました。