投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月19日(土)15時04分11秒
>筆綾丸さん
>直系家族 (la famille souche)以外は学術的な硬い用語ですが、souche だけ異質な感じ
これは「直系家族」だけフレデリック・ル=プレの用語を踏襲しているのが原因のようです。
『世界の多様性』所収の『第三惑星─家族構造とイデオロギーシステム』を見ると、トッドは家族構造についてのル=プレの三類型にひとつ加えて四類型としています。
そもそもル=プレとは何者かというと、
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社会学者であったフレデリック・ル=プレ(一八〇六-一八八二)は、カトリックで反動的な思想をもち、経験主義的な研究に幸福を見出したと同時に、おぞましい政治ヴィジョンを抱いていた人物であったが、その彼とともに人類学は決定的な一歩を踏みだしたのであった。人類学は普遍主義的なアプローチを捨て、差異を認めるようになったのだ。ル=プレは三つの家族形態を含んだ類型学を構築し、それがタンジールからウラル山脈に至るヨーロッパ全域にどのように分布しているのかを研究した。このポリテクニシアンと彼のチームによって実現された個別研究の質の高さは今日でも驚嘆に値する。
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のだそうです。(p41)
そしてル=プレは、自由と平等を基準とする類型化を行ったものの、
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論理的には、自由と平等の二つの原理は、それぞれ二つの相対立する価値(自由/権威。平等/不平等)を動員することによって、四つのカテゴリーからなる類型パターンを創り出すことになる。家族システムは次のような四つのタイプであり得るのだ。
─自由主義で不平等主義(タイプ一)
─自由主義で平等主義(タイプ二)
─権威主義で不平等主義(タイプ三)
─権威主義で平等主義(タイプ四)
ところがル=プレの類型学ではタイプ二三四だけが採用されているのである。家族生活における自由と平等の原理の組み合わさったこのメカニズムを詳細に分析してみれば、ル=プレがなぜ躊躇し、類型学的な唯一の誤謬を犯したかを理解することができる。
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ということで(p42)、この後、若干分かりにくい分析が続くのですが、とりあえずル=プレの用いた用語だけを整理すると、
─自由主義で平等主義(タイプ二)・・・「不安定家族」
─権威主義で不平等主義(タイプ三)・・・「直系家族」
─権威主義で平等主義(タイプ四)・・・「家長制家族」
となります。
そしてタイプ一が追加されたトッドの四類型を整理すると、
─自由主義で不平等主義(タイプ一)・・・「絶対核家族」
─自由主義で平等主義(タイプ二)・・・「平等主義核家族」
─権威主義で不平等主義(タイプ三)・・・「権威主義家族」
─権威主義で平等主義(タイプ四)・・・「共同体家族」
となります。
トッドは1983年の『第三惑星』においては、
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三銃士であったル=プレの家族類型はいまや四銃士になったのである。混同の可能性を避け、家族モデルの基底として機能している根本的な価値を強調するために、直系家族と家長制家族であるタイプ三とタイプ四もやはり命名しなおすことにする。息子と父との密接な相互依存関係によって組織されている直系家族には、今後は権威主義家族の名をあてることにする。家長制家族という用語は、兄弟の連帯が無視されており、父─息子の関係しか想起されないため、今後は共同体家族と呼ぶことにする。
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として(p45)、ル=プレの「直系家族」と「家長制家族」をそれぞれ「権威主義家族」「共同体家族」と命名し直しますが、紛らわしいことに1990年の『新ヨーロッパ大全』では、
─自由主義で不平等主義(タイプ一)・・・「絶対核家族」
─自由主義で平等主義(タイプ二)・・・「平等主義核家族」
─権威主義で不平等主義(タイプ三)・・・「直系家族」
─権威主義で平等主義(タイプ四)・・・「共同体家族」
としており(Ⅰ、p40)、いったん「権威主義家族」としたものの、結局はル=プレの「直系家族」が復活してしまったようですね。
ま、「権威主義家族」だとタイプ三、タイプ四を含めた名称に聞こえてしまうので、まずいなと考え直したのでしょうね。
以上は日本語版だけを見ての整理ですが、このあたりは訳者も相当神経を使って書いているので、間違いないと思います。
結局、筆綾丸さんが「souche だけ異質な感じ」がすると思われたのは、これだけル=プレの用語が残ったことが原因のようですね。
>所詮は夜郎自大にすぎず
網野善彦氏は若い頃は強靭な思弁力を誇る理論家だったものの、何らかの挫折を機に古文書の世界に沈潜してしまった人ですね。
結果として古文書学では多大の業績を残した訳ですが、再び理論の世界に戻ることはなく、一世を風靡した『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』や『異形の王権』も理論的な著作ではなく、核心的部分については後続の研究者が検証する可能性を予め排除した「ポエム」ですからね。
まあ、古文書への沈潜も悪くはありませんが、それが一段落ついた段階で速水融氏のように留学でもして欧米の歴史学の新しい潮流を知り、理論的な深化を図ればそれこそ世界的な歴史家になれたのかもしれませんが、そういう方向へは向いませんでしたね。
ちょっともったいない感じはします。
※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。
souche という言葉 2016/03/17(木) 16:58:54
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%89
トッドが示した家族類型がウィキにありますが、直系家族 (la famille souche)以外は学術的な硬い用語ですが、souche だけ異質な感じがします。souche というと、まず樹木の切株、ついで、培養液の中の細菌の株などを思い浮かべます。ligne directe(droite ligne)とすれば「直系」らしく、天皇家もこちらの方が相応しい気がしますが、トッドは採用しないようですね。天皇家の souche となると、北朝と南朝の対立や色々な宮家の創設など、枝分かれした方に関心が移行して、すこし変な感じになります。
現在はわかりませんが、博学のトッドも、日本仏教についてはナイーヴな感じは否めないですね。
小太郎さん
https://www.junku.fr/jp/index.php
http://fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1210
ソ連の崩壊を予言した統計学者ということで、トッドの名は以前から知ってはいたものの、Todd は Tod(独:死)を含む妙な名だな、くらいの関心しかありませんでしたが、2011年の秋の或る日、ふと立ち寄ったパリのジュンク堂で『アラブ革命はなぜ起きたか』(初版2011年9月30日)を読み始めたら、あまりに面白いのですぐ購入し、オペラ座近くの、いろんな言語が飛び交う喧しいスターバックスの中で読み耽ったものです。パリには不愉快な思い出も多々ありますが、これは佳い思い出のひとつです。
原題の「Allah n’y est pour rien !」は、アラーは関係ない、つまり、アラブ革命にイスラム教は関係ない、というほどの意味で、はじめは、え、嘘だろ、と思いましたが、識字率や出生率というパラメータで革命を読み解く方法論に驚き、それ以後、トッドのファンになりました。つまり、トッド体験は私も晩生なんです。
トッドが読む文献の95%は英語とのことですが、どんな学問分野であれ、主要な論文の大半は英語で書かれている、つまり、それ以外の言語(たとえば日本語)でどんなに論文を書いても、所詮は夜郎自大にすぎず、世界的にはほとんど無意味だ、というようなことになるのでしょうね。
追記
http://www.bbc.com/news/world-europe-35846954
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・・・ブリュッセル市内のモレンベーク地区のように、治安コントロールのまったく行き届かない界隈が生まれたのです。モレンベークはヨーロッパの真ん中に位置していて、この大陸におけるテロリズムのターンテーブルに、シリアまたはイラクで計画されるダーイシュ(「イスラム国」)の行動の中継地になっています。(『シャルリとは誰か?』300頁)
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BBC掲載の地図によれば、ベルギー警察が襲撃したアパルトマンは Quatre-Vents 通りに面しています。Vent(風)は数えられない名詞だから、これは「四つの風」ではなく、四つの方角(東西南北)の意かと思われますが、テロリストが蝟集するモレンベーク地区にあって、全方位を意味するような名の通りで、11.13事件の主犯が逮捕されたというのは、なんとも象徴的です。モレンベーク地区は、テロリストが四か月間も逃走を続けられるほどの迷宮なんですね。
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