goo blog サービス終了のお知らせ 

学問空間

「『増鏡』を読む会」、今週は休みます。

0289 桃崎説を超えて。(その50)─坂口太郎氏の書評に即して源義朝の立場を再考する。(その4)

2025-04-22 | 鈴木小太郎 channel 2025
第289回配信です。


一、前回配信の補足

YouTubeの方で、「ねこのぶーちゃん」という方からコメントをいただいた。

https://www.youtube.com/watch?v=WojvOV5CpUA

桃崎有一郎氏が『玉葉』の建久元年(1190)十一月九日条の僅かな文章だけを取り上げて論じているのに対し、坂口太郎氏が同日条の関連部分全体を丁寧に紹介しているのは研究者として堅実な態度。
坂口氏は「逆罪」について辞書の用例を調べ、仏教的用法と非仏教的用法の二つがあることを確認した上で、

-------
『保元物語 金刀比羅宮本』は、この事実にもとづき、我が子に斬られる運命を嘆きつつも、「逆罪」を犯す義朝の救済を仏神に祈る、老父為義の悲哀を描くのである。
 これに鑑みれば、頼朝が語った「義朝の逆罪、是れ王命を恐るに依てなり」とは、父義朝が後白河天皇の勅命を受けて祖父為義を斬った、保元元年の一件を指すことは疑いない。つまり義朝の「逆罪」は、平治の乱における義朝の挙兵(三条殿襲撃)と何ら関係がないのであり、桃崎氏の失考は明らかである。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7441a29dafede740bcd85cf203e42465

とされる。
しかし、『保元物語』は、古本系であっても承久の乱後の成立と考えるのが現在の通説。

資料:『保元物語』の成立時期〔2025-04-20〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c83c902b79d1eb05c9d2cb7ee966062e

また、『保元物語』に創作的要素が多分に含まれていることも明らか。
坂口氏自身が、

-------
 そもそも、為義と義朝は、保元の乱以前から激しく対立しており、それには「トシゴロ、コノ父ノ中ヨカラズ。子細ドモコトナガシ」(『愚管抄』巻第4)と評されるような、複雑な事情があった。ゆえに、保元の乱における父子激突は必至の出来事であったが、【後略】

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/23749dbf601187c3fb80c0b057f7ea10

と認めているように、為義・義朝父子間の対立・憎悪は凄まじいもので、「我が子に斬られる運命を嘆きつつも、「逆罪」を犯す義朝の救済を仏神に祈る、老父為義の悲哀」は仏教的脚色に満ちた創作と考えるのが自然。
『玉葉』の建久元年十一月九日条の記載は、遥か後になって成立した歴史物語によってではなく、当時の客観的政治情勢に即して解釈されねばならない。


二、建久元年(1190)における源頼朝と九条兼実の関係

資料:川合康氏「在京中の頼朝」〔2025-04-21〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bf9fb531a885609efcff6655682fe5c0

資料:橋本義彦氏「頼朝の上洛」〔2025-04-21〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/de4c243622c287e34616670b2aa7031c
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 資料:橋本義彦氏「頼朝の上洛」 | トップ | 『増鏡』を読む会(第17回)... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (筆綾丸)
2025-04-23 19:42:36
「法皇御万歳之後、又可奉帰主上」
主上を根競に置き換えれば、教皇フランシスコの死後、ミケランジェロのフレスコ画で荘厳されたシスティーナ礼拝堂でのコンクラーベに臨む枢機卿たちの心理になりますね。
返信する

コメントを投稿

鈴木小太郎 channel 2025」カテゴリの最新記事