学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

トッドは「トンデモ」か?

2016-04-07 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 4月 7日(木)11時34分34秒

『シャルリとは誰か?』の書評を検索してみたら大村拓生氏のブログが出てきました。
大村氏は同書を「アジアの社会主義を家族形態から説明するというトンデモに呆れかえりながら(そもそも日本の家族形態を単一とするなど、分類自体が甘々)、何故か魔が差して購入してしまっていた」そうですね。

「大村雑記録」
http://blogs.yahoo.co.jp/wsfpq577/20807329.html

この「トンデモ」感、もう少し上品に言うと「決定論」への違和感は私も理解できて、私自身かなり前に筆綾丸さんにトッドの作品を紹介していただきながら、書店で実際にそれを手に取ったときの印象は全然良くなく、ずっとトッドを敬遠していました。
しかし、文春新書などの入手しやすい作品からもう一歩踏み込んで、トッドが若い頃に出した大部の著作を読んでトッドの基本的発想が膨大な基礎研究に裏付けられていることを知ると、トッドに対する認識が変わる人も多いのではないかと思います。
「決定論」との批判については、例えば『新ヨーロッパ大全』Ⅰの「日本語版への序文」あたりを読むと、トッドの反論は私には説得的に思われますし、最近は更に「場所の記憶」という概念を用いて議論を深化させていますね。
「場所の記憶」については『シャルリとは誰か?』でも簡単に触れていますが(p177以下)、このあたりも旧著と読み比べないとトッドの真意はなかなか理解しづらいかもしれません。

トッド「日本語版への序文」を読む(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e5ff21b31ee8eb6afb2589a1a886edfa

>筆綾丸さん
>井上章一氏の軽い文体が嫌いだ
井上氏の『日本に古代はあったのか』に関連して、あれこれ書いたことがありましたね。

『日本に古代はあったのか』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/436f00072ec0fe64899bd103931816c2
「偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/052e6d32d6fba7b9492617c46b25edd3
「東帝疫」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c340086668e717fc0c5890daeef39de0

>一般に廃仏毀釈という場合、寺地の没収(confiscation)は含まない、と考えるのでしょうか。

「神仏分離」、即ち当時の法令用語によれば「神仏判然」は明確な法令上の根拠に基づく明治新政府の政策ですが、「廃仏毀釈」はそもそも法令用語でも正式の政策でもなく、「神仏分離」に伴って生じた事実上の混乱を表す学術(?)用語ですから、特に明確な定義はないんでしょうね。
実際上、上地令は多くの寺院にとって重大な、時に決定的な影響を与えた訳ですが、寺院だけでなく神社も対象だったので「廃仏毀釈」の一要素とは言い難い感じはしますね。
もう少し調べてみます。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

confiscation 2016/04/05(火) 17:15:40
小太郎さん
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=17353
以前、たしか、井上章一氏の軽い文体が嫌いだ、と小太郎さんは言われたと記憶しているのですが、話題の『京都ぎらい』を読んでみました。この本の趣旨は、洛外者による洛中者(杉本秀太郎氏や梅棹忠夫氏など)への意趣返し(ルサンチマン)ということに尽きるものの、明治政府による京都の大寺の土地の没収の話が出てきます(142頁~)。
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ことは、南禅寺と建仁寺にかぎらない。京都を代表する寺々は、たいてい明治維新で寺地を没収されていた。清水寺などは、寺域を十分の一以下にせばめられている。
(中略)
私のそだった嵯峨では、とりわけ天龍寺が広大な土地を、新政府におさめさせられた。この寺も、明治維新で土地を十分の一ほどに、けずられた口である。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%9F%A5%E4%BB%A4
ウィキの「上地令」にも、
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江戸時代に認められていた寺院と神社の領地(寺社領)が1871年(明治4年)と1875年(明治8年)の2回の上知令により没収された。
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とあるのですが、一般に廃仏毀釈という場合、寺地の没収(confiscation)は含まない、と考えるのでしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88
ウィキの「廃仏毀釈」の項には、さりげなく、
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1871年(明治4年)正月5日付太政官布告で寺社領上知令が布告され、境内を除き寺や神社の領地を国が接収した。
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という一文があって微妙です。京都の大寺にしてみれば、confiscation が経済的にはいちばん堪えたでしょうね。

蛇足
洛中者(杉本秀太郎氏や梅棹忠夫氏など)と言えども、所詮はただの町衆にすぎず、こういう連中を洛中在住の公卿の末裔(例えば冷泉家の人々)はどのように見ているのか、知りたいところですが、『京都ぎらい』に言及はなく不満が残ったものの、地下人たちの目糞鼻糞にすぎないのかもしれません。
いままでは絢爛豪華な洛中洛外図屏風を呑気に眺めてきましたが、序列と差別を読み取れないようでは失格なんでしょうね。井上氏は何も言ってませんが。
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