投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2006年 6月19日(月)20時29分11秒
複数の方より、「足利学校アカデミー」の紹介中、「碧眼録」とあるのは「碧巌録」の誤字ではないかとの指摘がありましたが、確かにそうですね。
ただ、「碧眼録」で検索するとけっこうな数がヒットし、変換ミスをしやすい言葉であることがわかります。
中でも、大本山妙心寺のサイト内に、
----------------
禅語に
語り尽くす山雲海月の情(碧眼録)
という言葉があります。
----------------
とあり、ちょっと笑ってしまいました。
http://myoshin.com/story/sensin_ippannhouwa_022.htm
>筆綾丸さん
物権・債権の峻別という発想はわかりにくくて当たり前だと思います。
峻別しない法体系だってありますからね。
リンク先は整理のために多少参考になるかと思います。
http://www.tokyo-jura-kongress2005.de/_documents/matsuoka_jp.pdf
>ヒロさん
こんにちは。
何故、この掲示板に来られたのかと思いましたが、少し前に書いた『東郷平八郎全集』の下記の一節が検索で引っかかったというわけですね。
次回はいきなり質問ではなく、「ここまで調べたけれどわからなかったので・・・」という説明付きで書いていただけるとありがたいですね。
「東郷元帥名は実良(さねよし)、初め仲五郎と称し元服して平八郎と改む。平姓(たひらうぢ)なり。昔者(むかし)鎌倉幕府の時、武州秩父の支族たる渋谷庄司重国(しげくに)の子に、太郎光重(みつしげ)と呼ばれし武夫(もののふ)あり。鎌倉に仕へ功を以て薩摩国祁塔院(けたふゐん)、入来院(いりきゐん)、東郷(とうがう)、高城(たかぎ)の五箇郷に封ぜらる。是に於て光重六人の男子を引連れ、宝治二年(紀元千九百八年)、遥々(はるばる)領地に下り、五人の子に五ヶ郷を分け与へ、次男早川二郎実重(さねしげ)をして東郷を領し斧淵城(をのぶちじやう)に居らしむ、この実重こそ実に東郷元帥の遠祖にして、後年其の領地の名を取りて姓と為しゝものなるべし。・・・」
複数の方より、「足利学校アカデミー」の紹介中、「碧眼録」とあるのは「碧巌録」の誤字ではないかとの指摘がありましたが、確かにそうですね。
ただ、「碧眼録」で検索するとけっこうな数がヒットし、変換ミスをしやすい言葉であることがわかります。
中でも、大本山妙心寺のサイト内に、
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禅語に
語り尽くす山雲海月の情(碧眼録)
という言葉があります。
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とあり、ちょっと笑ってしまいました。
http://myoshin.com/story/sensin_ippannhouwa_022.htm
>筆綾丸さん
物権・債権の峻別という発想はわかりにくくて当たり前だと思います。
峻別しない法体系だってありますからね。
リンク先は整理のために多少参考になるかと思います。
http://www.tokyo-jura-kongress2005.de/_documents/matsuoka_jp.pdf
>ヒロさん
こんにちは。
何故、この掲示板に来られたのかと思いましたが、少し前に書いた『東郷平八郎全集』の下記の一節が検索で引っかかったというわけですね。
次回はいきなり質問ではなく、「ここまで調べたけれどわからなかったので・・・」という説明付きで書いていただけるとありがたいですね。
「東郷元帥名は実良(さねよし)、初め仲五郎と称し元服して平八郎と改む。平姓(たひらうぢ)なり。昔者(むかし)鎌倉幕府の時、武州秩父の支族たる渋谷庄司重国(しげくに)の子に、太郎光重(みつしげ)と呼ばれし武夫(もののふ)あり。鎌倉に仕へ功を以て薩摩国祁塔院(けたふゐん)、入来院(いりきゐん)、東郷(とうがう)、高城(たかぎ)の五箇郷に封ぜらる。是に於て光重六人の男子を引連れ、宝治二年(紀元千九百八年)、遥々(はるばる)領地に下り、五人の子に五ヶ郷を分け与へ、次男早川二郎実重(さねしげ)をして東郷を領し斧淵城(をのぶちじやう)に居らしむ、この実重こそ実に東郷元帥の遠祖にして、後年其の領地の名を取りて姓と為しゝものなるべし。・・・」