サゴシの刺身があり、夕方のサイクリングの帰りに取って来たミントでモヒートを作った。
刺身に合うわけじゃないけど爽やかだからね。
南瓜とズッキーニとモヤシのタジン鍋があり、ひじきとさつま揚げと人参煮、枝豆があったので、モヒートをもう一杯飲んで、その頃娘が猫と伊豆の土産を持ってやってきた。
猫はネズミ退治のためで、娘のところに二番目に来た子で、鷹揚な性格の雌だったが、もう妻が居間で抱えて離さなかった。
昨日娘は熱川に泊まっていたので、今朝ネズミの親子が捕獲されたの知らなかった。
台所で昼にキンショウメロンを喰っていたら、右側を黒い影が横切ったので多分鼠だと思うから、居間で抱きかかえてないで家じゅう徘徊させなきゃいけなかったんだけど、久し振りに猫を抱けたんで喜んだろう。
娘の土産は若芽、バジル、饅頭などだった。
熱川に泊まって下田まで遠出したようだが、最近の伊豆はどうなんだろうね、バブル期はもう大変な混雑で大変だったけど。
先日、熱川の廃墟をYouTubeで観たが、酷いもんだった。
卒業研究を千葉大学熱川暖地農場でやっていた1979年頃は、まだ長閑で、港のバーは土間で、小上りには炬燵があって、そこで島出身のオネエチャンと足を絡めてクサヤを肴に酒を呑んだ。
オネエチャンは美人じゃなかったけど素朴で人が好く、ママも学生からはたいしてカネを取らなかった。
農場へ遊びに来てくれて、100人は入れる温泉で一緒に風呂に入ったけど、美人じゃないが若くてオッパイがあって、息子が直立してそれを隠すのに大いに苦労した。
波浮港から来た踊り子が、湯ヶ島の共同浴場で、素っ裸で手を振っていたのが分かるんだよなあ。
あの頃の南伊豆と伊豆七島のほとんどの人は、今では考えられないくらい大らかで、与えられた運命に逆らわず一所懸命生きていた。