キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

白鳳が来た

2024年07月12日 | Weblog
白鳳と云っても角力の白鳳ではなく、腿の白鳳だ。
そもそも角力のほうの白鳳は、横綱としてみっともない張り手やかちあげの立ち合いをして嫌いだった。
話しは古いが、柏戸が先代の琴桜の頭からのぶちかましを、まともに胸を出して受け、取り組みが終わった後に、真っ赤になっている胸を観るのが相撲の醍醐味だった。

話しは今夕着いた桃の白鳳だ。
名古屋の会社で上司だった人が定年後野菜や果物を作っていて、冬に僕が送るワインとの交換のように、毎年この時期一箱送ってくれるのだ。
小振りの白鳳が20個ぐらい入っていて、母がいた頃は桃好きだったので、かなり母が食べていたが、僕以外の家族は余り果物を喰わないから、ここ数年は、もっぱら僕がいただいている。

早速一個食べて、感想を云いながらお礼の電話を掛けた。
僕が平取だった頃、専務をやっていて気が合ったものだから目を掛けてくれた。
会社の前に「じゅんちゃん」という美味い魚を出す小料理屋があり、そこで良く奢ってもらった。
10歳上だが、毎日野菜と果物の手入れや収穫をやっていて元気とのことだ、きっと僕より足腰は達者だろう。
早寝早起きで、昔のように酒を飲まなくなったとのことだから、あと10年は農業を続けそうだ。

同級生の作った米を食べ、先輩の作った桃を食べられるのは幸せなことだ。
春先がんの手術をして心配したが、その弟が作る枝豆で飲む酒も実に美味いものだ。



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9条の護符

2024年07月12日 | Weblog
雨、降りますねえ。
ようやく梅雨の感じがして、梅雨寒で過ごしやすいけど、以前に一夏こんなんで米が穫れなくて、タイ米を食べたことがあったなあ。
あんな風にならなきゃ良いけどね。

昼はキツネうどんで、妻の力が入ったのか、キチンと出汁が取れてたのに、醤油を濃くしたもんだから、汁が飲めなくて残念だった。
その分、お揚げが薄味で、薄味の汁を濃い味のお揚げがアクセントになって食べるキツネうどんの妙味が無く、メリハリのないうどんだった。

食後、茹でた玉蜀黍を1本食べた。
1つずつ粒を外して食べるので30分近くかかったが、早食いの予防にはなるね。

プレステは「リオ・ブラボー」だったが、3度目でかなりの部分居眠っていた。
ション・ウェインは、兎に角デカくてタフがウリだから、晩年はかなり無理してたが、この頃は油が乗っていた頃だったのかな。
未だ若い頃、取引先の年配の方にジョン・ウェインのファンがいて、戦争に負けて強い米国に憧れたのかなと思っていたが、今の米国は見る影もないね。
80絡みの大統領戦、しかもバイデンは記憶も覚束無い。
世界中が観ているわで、覇権国家の衰えを感じ、やりたい事をやる国が増えるだろうから、世界情勢は不安定になるね。
元々、世界のルールなんて無いわけで、覇権国家がやった事にノーが言えなかっただけのことだった。

今まで計画的にいいタイミングで戦争をやって、戦争屋の軍産複合体の利益が最大化するように仕組んできたが、今後、覇権国の思惑と関係なく一度に十ケ国ぐらいが侵略を始める可能性があり、そうなったら戦争屋も慌てるだろうね。
極東では北朝鮮がタイミングを図って、南を直ぐに取りに来るだろうし、ロシアが北海道へ南下する可能性も否定できない。
まあ、日本は9条の護符を持って祈ればいいわけだから、安心していて良いけどね。



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日本のレベルの高さを感じるとき

2024年07月12日 | Weblog
雨がやや小やみになったので、10時に麦わら帽子をかぶって自転車でJA湘南へ出かけた。
Tシャツとショートパンツとサンダルなので濡れても構わないので気楽だ。
店に行ったら顔見知りのオバサンからTさんだよねと云われて、一昨日軽い事故を起こしたオバサンからお礼を預かっているからと、缶ビール2本と手紙を添えた袋を渡された。
仲のいい女友達も妹と車で来ていて声をかけて来たので、ひと騒ぎになったが、こうやって知人に会えるってのは楽しいことだ。
妹のMちゃんは美人で大人しく、久し振りに逢ったら何だかさっぱりした顔になっていた。
女友達は商売をやっているので顔が広く、少ない情報から、事故を起こした女性の名前を特定したのには驚いたね。

野菜は結構売れていて、それでも残ったものから胡瓜、白茄子、茄子、春菊、ミニトマトを買った。
結局、雨は小振りのままで、麦わら帽子が重くなった程度で帰って来た。
ビールに添えられていた手紙を読んだが、丁寧な人で気分が良かったし、基本的な日本人のレベルの高さに大いに誇りを持った。
直ぐ風呂に入り、出てきて8畳で音楽を聴いているが、気温が26.5℃で過ごしやすく、さっぱりとして快適だね。
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雀が喜んだ

2024年07月12日 | Weblog
朝から軽く雨が降っていて、如何にも梅雨の感じなんだが、遅すぎた感がある。
今年は空梅雨だったのか。
6時半に飯の準備を始めた。
昨夜、妻に朝の飯を炊いといてくれと云われたが、冷蔵庫をざっと覗いたら十分な量の飯があり、炊飯器の中にも会ったから炊くのを止めた。
今朝、きちんと調べたら大小4つの器に古い飯が入っていた。
一つはどうも匂いがおかしく、洗って雀にやることにしたが、今日は大分な量で家の雀たちきっと喜ぶだろう。
毎朝、飯を庭に撒いているので、うちの雀は丸々太っていて可愛いい。

シメジと茄子と豆腐と茗荷の味噌汁、塩鯖、白茄子の味噌田楽、デカピーマン焼き、胡瓜の糠漬けを準備した。
白茄子は4等分して焼いて2個食べたが、元がでかかったので大分の量だった。
デカピーマンはフライパンでただ焼いただけだったが、何もつけづに素材の味を楽しんだが甘くてたっぷりして美味かった。
ピーマンというよりパプリカの風味に似ていた。
まあ、舐めは異なるが、基本的に同じものだからね。

8畳でデスクワークをやり始めたら、後ろで雀がちゅんちゅんやり出した。
何時もの群れが集まってきたようだが、雨のためか数が少ない。
まあ、丼一杯あるから、ゆっくりと楽しんでくれ。

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40年前、ホヤを初めて食べた

2024年07月12日 | Weblog
昨夜は思いがけずホヤを調理してベることになり、夕方からビール、酒、焼酎、ジン、カンパリと飲んだ後に、更に酒を重ねたものだからすっかり飲み過ぎてしまった。
飲み過ぎは珍しいことじゃないけど、今朝5時前に目が覚め、雨戸をあけて風を入れて起き出してみると、二日酔いもなく割と快調だ。
室内の温度計を観ると26℃+で、涼しかったせいなのかもしれない。

ホヤとの出会いは、40年位前のことだ。
東北地区の担当になり、盛岡、八戸、青森、山形、秋田と周り、最後に仙台から帰ろうとしたら、特急の時間まで数時間あり、仙台駅前の割烹料理屋に入り、酒を飲んで時間をつぶした時のことだった。
カウンターの隣の客が、柿に似たものを肴にしているので、板前にあれなんですかと聞いたら、ホヤと云われ、とりあえず頼んでみたのだ。
苦みがあってフルーティーで今までに食べたことが無い味だった。

未だ仙台駅が建て直す前のことで、駅前から一本裏道に入ったところは、今はソープランドと呼ばれるが、当時はトルコと呼ばれる風俗店などもあり暗かった。
今、そこらあたりは開発されて大きな商業ビルになっていて明るい。
だが、町の印影というのが無くなり、薄っぺらい感じになった。
どこもかしこも明るくなってしまうと、人間いつも明るいわけじゃないから、逃げ込む場所が無くなり、町の慰安の機能が失われ居たたまれなくなる。

ホヤを食べた割烹料理屋は、明と暗の境界にあり、ホヤもマージナルな食い物に感じている。

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