キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

才能というより性格なんだな

2024年07月17日 | Weblog
うだうだしてたら4時半ちかくになり、慌てて自転車でサイクリング兼買い物に出た。
娘が野菜を使った料理3種類を持ってくるので、刺身が無いかとマサに行ったのだが、これと云って食べたい魚が無く、キハダマグロを食べてもなあと思い、栄螺を5個買った。
壺焼きにして食べようと思ったのだが、小さかったので安かった。
でもこのくらいのサイズが壺焼きにはいいね、大きいのは刺身で喰いたい。

大相撲を観ながらカンパリソーダを買って来た落花生を肴に飲み、直ぐに終わったので次はジンソーダ、相撲が終わるころには出来上がってしまう。
相撲は今日も照ノ富士の強さが目立った。
未だ4日だから、膝が持つかどうかは、これからだよね。

台所に行くと、妻がキャベツとピーマンと豚肉の中華ソースの辛い炒め物を食べていた。
妻が作る炒め物は、どうもしんなりして味が濃く辛く、口に合わないので食べないが、僕の口に合うのモノは妻に合わないので、何かしら自分用に作るのだ。
にしても、その量たるや、本人三分の一を食べて居間に移動してしまった。
妻は別に大根、シメジ、がんもどき、竹輪麩で煮物を作っていた。
娘は、厚揚げ、隠元、オクラ、茗荷の煮物、南瓜、人参、隠元、玉葱のサラダ(これには生のスパイスが入っていた)、長葱、シメジ、エノキ茸の冷菜の3種類を持って来てくれた。
煮物は娘のほうが味が薄いので、僕の口に合う。
というより妻より娘のほうが料理の才能があるみたいで、娘はレシピなどほとんど見ないでいい加減に料理を作るが、何でもそこそこに美味い。
そのやり方は僕と同じだが、才能というより、人の云うことを聞くのが嫌なので、正確に根差した調理方法かもしれない。
だから、いわゆる器用ビンボーッてやつよ、料理に限らずね。



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鉄の女の残したもの

2024年07月17日 | Weblog
「The Iron Lady」を観た。
この映画二度目だが、実に良く出来た映画で、カットバックが繰り返され、幽霊まで出て来るのでイギリス的だ。
メリル・ストーブがあまり好きじゃないんだけど、主演女優の美しさのために作られた映画じゃないからいいのかな。

来日して、スコッチの税率を下げさせたことと、フォークランド諸島での戦争でアルゼンチンを完膚なきまでに叩きのめしたことが印象深い。

当時会社での酒類の取り扱いはワインが主流ではなく、ハードリカー特にブランデーを大量に売っていた時だったので、ウイスキー類の酒税関税が大幅に安くなり、スコッチの3年物、例えばホワイトホースやジュニア赤は1,000円以下に、12年物、例えばジョニ黒やシーバスリーガルは2,000円以下になったのを覚えている。

フォークランド紛争では、第二次世界大戦で弱体化した大英帝国の軍事力が、未だ健在であることが分かった。
腐っても鯛と云うのはこのことかと思った。
第二次大戦後のヒエラルキーのトップのアメリカは、日本とドイツの軍事力の台頭を最も恐れていて弱体化させたが、同じアングロサクソンでかつての母国英国の軍事力の復活は容認していたと思われる。

その結果、かつて高級品で憧れの的であったスコッチやブランデーの価値が下がり、ギフト市場での販売が無くなった。
しかも、業務店や家庭での消費も極端に落ちて、水割り大国であった日本でのウイスキー類の消費は低迷した。

一方、フォクランド諸島紛争では、両軍西側の兵器を装備していて、初めて実戦使用する兵器が多く、兵器の見本市の様相を呈したと云われていて、その後の兵器の開発に大いに役立ち、高性能化高額化に拍車が掛かり、軍産複合体の大儲けのパターンが出来上がったと思われる。

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冷凍カレーを食べる

2024年07月17日 | Weblog
散歩の途中で思いついて、昼はカレーにすることにした。
先日妻が作って大量に残ったのを冷凍にしたと云っていたので、それを解凍して、ミニトマトと胡瓜とレタスでサラダを作ることにした。
家探しをしたら、納戸の冷凍庫に7/10と書いてあるカレーが2袋あったので、それを出して扇風機の前に置いて、マスマティ・ライスを洗って浸水させた。

取り合えず風呂に入って汗を流し、冷やして置いた桃を食べた。
そろそろ時間になったので、米を笊に開けて水切して、ミニトマトと胡瓜とレタスを切った。
ドレッシングは、何時ものようにオリーブオイルとワインヴィネガーと塩胡椒でシンプルに味付けして、紅茶を淹れることにした。

お昼美味かったよ。
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相模湾は穏やか

2024年07月17日 | Weblog
朝のお務め、JA湘南へ行って来た。
今日は先に勝負前公園で運動をしてから行き、胡瓜、茄子、春菊、空心菜を買った。
毎日たくさん野菜を食べているが、ダイエットは何ら関係が無いみたい、もっとも大量なアルコールを流し込んでいるから、カロリー過多は矯正できていない。

帰りには駅を渡って海の中道から公園に出て相模湾を眺めたが、穏やかでいい海だった。
サーフトローリングをやれば、小さな青物が掛かって来そうな海だった。
公園のベンチから娘に電話を掛けて、飯を作りに来るよう依頼したが、晩に大磯の蕎麦懐石店に呼ばれていて、出かけるそうで無理のようだった。
そこは閉店した鮨屋の後に出来る店で、先日知人とこの辺りの鮨屋事情について話したときに、彼はそこの店が閉店したことを知らなかった。
大磯も線路沿いの鮨屋を一軒残して、後無くなったんじゃないかな。
目の前に海がある大磯二宮に、鮨屋が一軒しかなくなったなんて、実に情けないが、時代の流れで、世は動いている鮨じゃなきゃ寿司と認めない時代なんだ。

中学校下を来たに降りて塩海橋から帰って来た。
途中で近所の女性に逢ったので、話ながら一緒に返って来たが、人に会うってのは生活の基本だね。


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飯を考えることは大変だ

2024年07月17日 | Weblog
昨日は零時前に寝たが夜中に二度目が覚めた。
三度目に起きたのが6時過ぎで、ストレッチなどをやってから台所へ向かい朝飯の準備をした。
先ずは、昨日塩を振って笊に並べて冷蔵庫に入れておいたウルメ鰯20尾を外へ出して、扇風機の風を当てた。
シメジと茄子と豆腐と茗荷の赤出汁味噌汁を作り、鰊と鮭をグリルに入れ、茄子のオイル焼を作り、生姜を摺り、糠床から胡瓜2本を出して切った。
何時も同じ料理なのでパターン化していて15分で用意できるが、もうこれ以上早くならないね。
味噌汁の茄子は皮をむいて水に浸してあく抜きをする、オイル焼の茄子は縦に三つに切って同じくあく抜きをする。
茗荷は細かく切って置いて、味噌汁を丼によそってから加える。
魚が焼けるのは8分から10分、ご飯の炊きあがりが6:40なので天地返しをして混ぜ、仏壇用に飯を盛る。
糠床から胡瓜を出すときに、塩を加えて新たな漬物を入れるが、胡瓜の場合は簡単だが、茄子を入れるときには塩摺りをするので時間がかかる。
空いた時間で茶殻を捨てて、ネットを洗い茶葉を入れてお湯を注ぐ。

妻が肩か背中が痛いとのことで、雨戸を開けられない、8畳と6畳前の6枚の雨戸をあけた。
これ結構大変で、大分前に腱鞘炎になり、もっぱり息子と妻に任せていたが、止むを得ずやってみたがもう手は痛くならなかった。

最近まで妻はやけに頑健で、寝込んだことが無く風邪を引いても1日で復活していたが、ここのところガタが来たらしく、1日で回復しない病気や痛みがあり、昼や晩飯を作る機会が多くなった。
朝飯のような決まった食事ならいいが、昼と夜の食事を何にするか考えることから、既に厳しいもんだなと思っている。
永い間、頑健だったことを密かに妻に感謝していたが、いよいよ世間並みの苦労を強いられることになるのかなあ。

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支那の山岳民族

2024年07月17日 | Weblog
昨日、プレシネで「山の郵便配達」を観たが、支那の田舎を舞台にして映画は実に魅力的だ。
要はそこに数百年の伝統を持った確固たる暮らしがあって、現代文明に隔絶された完結した世界を生きているから、皆さん幸せそうな顔をしている。
但し、最近は習近平の政策で田舎を中央のやり方に組み敷いているので、最近のドキュメンタリーを観ていると、昔のような幸せな空気が流れているとは思えない。
1999年の映画だが、舞台は1980年代初頭を想定っしているから、既に過去への郷愁であったのかも知れない。
共産主義は人民の幸せを目指したのか、共産党員の蓄財を目指したのかと問えば、現状を見る限り後者だね。
若い頃、前者を目指した団塊の世代は、現実は後者なのにそれを見ないで、今も前者を目指しているが、

徒歩で二泊三日くらいで、山間の村を幾つか訪ね、郵便を配り回収する。
泊まるところは、宿屋などないから村の親しい家で、宮本常一が民俗学の旅で日本中を回った感じに似ている。
今では道が整備され、少なくともバイクで集配をしていると思われるから、様相は随分と変わってしまったことだろう。

オヤジが足を悪くして、集配を息子がやることになって、その初めての旅で、ある村で積極的な綺麗な娘に会い胸ときめく。
若い頃、自分と遭遇するために、華やかで明るい美人が用意されていたんじゃないかと思うことが何度かあった。
会った瞬間にこの人だと思うから、一目惚れってやつなんだけど、そういった鮮烈な経験が今は少ないんじゃないかと思う。
あるいはジジイになってその機会が失せただけで、若い人たちは今も同じように胸キュンになっているのかも知れないから、余計なお世話か。
ジジイ黙れってことならいいんだけど。
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