五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

沙羅双樹咲いた

2015年06月08日 | 第2章 五感と体感
沙羅双樹咲いた

我が家の沙羅双樹こと夏椿が早くも開花しました。咲いていることに気付いたのは6月6日の朝の事です。
うつくしや憂いもありや夏椿
下手な一句も思いつき、例年よりも二週間は早いであろう開花に、少々戸惑いながらもこのところ平家物語を捲る時間が多いので夏椿との以心伝心が叶ったのかもしれません。
蝋のような白い花は儚くも一日も持たず、椿らしく花ごと地面に落下します。
高いところに咲いていたのか、玄関先の龍の髭の上に落下した姿を見つけて咲いた事を知りました。

春は馬酔木(あせび)
夏は夏椿
秋は萩
冬はつわぶき

どの花も季節の始まりあたりに咲き出す花ですが、春夏秋冬の好きな花を思い浮かべるとこれらの花が私に浮かぶのです。

四季の変わり目に先頭を切る割には地味な花々ですが、馬酔木の花は奈良の春を想い、夏椿は諸行無常の響きを投影し、いにしへの雅(みやび)にも鄙びにも相応しい萩は私の秋の象徴でもあり、紅葉の季節が終わる頃、枯れた色々の中に映えたつわぶきの黄色を見出すと冬の訪れを感じます。
春夏秋冬の四季の折々から見出すうつくしさは、華美なものに目を合わせるよりも合わない目線の様な佇まいに気を感ずる方が私の感性に響くのです。

散るさくらの風情とさくらの蕾萌える彩りもうつくしく、
立ち枯れた紫陽花や百合も堪らなく愛おしさを感ずることもあり、表装の設えにしても少々盛りの時期にずれた風情に要を置くと美しさが映えるのです。四季を繰り返し生きてゆき重ねてくるとその微妙なズレ加減にぴたりとしたものを感ずるスケールが自分に育まれていることに気付いたりするのです。
歳を重ねるごとに季節の花々と向き合う自分は、直に向き合うものとは違うところに目線を向けているようにも思います。
これも生き抜く道の理(ことわり)かもしれません。


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