私は、私の人生の主人公です。
小学生でも中学生でも自分の人生を語ることができます。つまり、どのように生きてきたかを自分の言葉で語ることができます。
同時に、今までの経験を糧に、どのように生き抜いていくかも自分の中に答えを持っているはずです。
経験も足りないでしょうし、方法だってまだまだ見つけられない年齢であっても、答えは持っているのです。
私が小学生の頃は道徳という授業がありましたし、高校には倫理の授業もありました。
これらの授業は、案外私にとって大事な経験だったことを時々意識することがあります。
一貫した教育指針の柱を持った私立の学校は、上記相当の授業を持ち、人間教育をしているところも多いはずです。
どんなに居眠りしていても、それらの授業は、蒔かれた種のような存在で、数十年後にハタと自分のアイデンティティの核となっていることに気付いたりするのです。
そのことを知っているベテランの先生方は、あれこれ言わずに子供達を信じ、長い長い人生の先に焦点を合わせてくださっています。
即効性のある授業だけでなく、人生の道程に関わる授業の存在も大いに必要なのです。
私は「私」という持ち物を動かしていく唯一の存在です。
その唯一の私の持ち物をどう活かしていくのかは、大きな試練に立った時に改めて意識させられるのです。
私という存在は、「私」の主人公です。
そのことが「当たり前だ、、、」と、言い切れる人は強い人かもしれませんが、何かが起これば、簡単にその考え方が崩れ去ることも知っておくのも一つの生き方かもしれません。
弱く孤独な自分を受容すると、次に見えてくるのは感謝と満足の自分であるように常に思います。
「私という孤独な私」と共存していく人間の存在を、他者の個性として受容できるようになると、孤独な自分に喜びが注がれていくのです。
他者から与えられることを期待しながら「~してくれない。~られない。」と憂いでいても、きっとエンドレスな憂いに自分がグルグルと回っているだけでしょう。
私は私の主人公であることを認められた人が、本当に強い人なのかもしれません。
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小学生でも中学生でも自分の人生を語ることができます。つまり、どのように生きてきたかを自分の言葉で語ることができます。
同時に、今までの経験を糧に、どのように生き抜いていくかも自分の中に答えを持っているはずです。
経験も足りないでしょうし、方法だってまだまだ見つけられない年齢であっても、答えは持っているのです。
私が小学生の頃は道徳という授業がありましたし、高校には倫理の授業もありました。
これらの授業は、案外私にとって大事な経験だったことを時々意識することがあります。
一貫した教育指針の柱を持った私立の学校は、上記相当の授業を持ち、人間教育をしているところも多いはずです。
どんなに居眠りしていても、それらの授業は、蒔かれた種のような存在で、数十年後にハタと自分のアイデンティティの核となっていることに気付いたりするのです。
そのことを知っているベテランの先生方は、あれこれ言わずに子供達を信じ、長い長い人生の先に焦点を合わせてくださっています。
即効性のある授業だけでなく、人生の道程に関わる授業の存在も大いに必要なのです。
私は「私」という持ち物を動かしていく唯一の存在です。
その唯一の私の持ち物をどう活かしていくのかは、大きな試練に立った時に改めて意識させられるのです。
私という存在は、「私」の主人公です。
そのことが「当たり前だ、、、」と、言い切れる人は強い人かもしれませんが、何かが起これば、簡単にその考え方が崩れ去ることも知っておくのも一つの生き方かもしれません。
弱く孤独な自分を受容すると、次に見えてくるのは感謝と満足の自分であるように常に思います。
「私という孤独な私」と共存していく人間の存在を、他者の個性として受容できるようになると、孤独な自分に喜びが注がれていくのです。
他者から与えられることを期待しながら「~してくれない。~られない。」と憂いでいても、きっとエンドレスな憂いに自分がグルグルと回っているだけでしょう。
私は私の主人公であることを認められた人が、本当に強い人なのかもしれません。
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