五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

どうせなら

2009年04月11日 | 悔いのない人生とは?
旅は好きです。

太平洋の孤島にインドの砂漠、ヒマラヤの山々やエーゲ海の紺碧の海・・・

学生の頃、早稲田小劇場を主宰されていた鈴木忠志氏の演劇に魅せられ、おっかけといってよいほど、のめり込みました。社会に出てからしばらくすると、私の演劇熱もすっかり冷めてしまい、今では、なんでもあり!の大らかな観劇をしています。
鈴木忠志氏は、今でも活躍されています。、と、わかったようなことを書きましたが、最近それを知りました。

もう30年近く前の話です。富山の利賀村、いまはどこかの市に統合されているようですが、そこで、前衛的な演劇祭が行われ、いまでは定着して毎年続いているようです。
岡山の直島にできた地中美術館も同じですが、その場所に向かう人は、それなりの雰囲気を持っているので、地元の人とは明らかに判別できます。
学生の私も、どう考えても、インド帰りのヒッピーみたいな装いで、人とは違うことを誇示していたようです。

今から考えると、ぞっとするくらいの若者で、しかし、十代の頃に芽生えた自己の思考や傾向は、私の身体にしっかりインプットされているので、着る服と年齢相応の身体はあのころとは違いますが、根本的な中身はあの頃のままなわけです。

先日、たまたま、利賀村の演劇祭に毎年通われている方に出会いました。
通ずるものにご縁を感じました。

場所を巡るの旅と年齢を経て経験した人生の旅は、結局、時を経て自己の内に統合されていくものだと、改めて考えさせられました。

だから、何が言いたいかっていうと、、、

どうせなら、好きなことをしちゃいましょ!ということです。

めぐり巡って、自分の都合の良いように、私自身、感情が湧き上がり、考えて、行動しちゃっているわけです。

理想と現実のはざまに立たされることは、生きている限り経験し続けることです。
でも、「どうせなら!」と選択していく人生は、自分にとって「悔いのない自己実現」への道しるべかもしれません。

今日はキリスト教の復活前夜祭の日です。
聖木曜日の主の晩餐、最後の晩餐から翌日十字架にかけられるイエス。そして三日後に復活するまでの行程は、ミサの中で正直な自己と向き合うよき機会です。

同時に4月8日のお釈迦様の誕生日と重なり、我の道を我が進むことを意識できるだけでも、私は幸せを感じます。

どうせなら、好きなことを選びながら生きていこう。

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