五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

愛 9

2009年11月25日 | 第9章 愛
「死」を考えると、浮上してくるのが「愛」という言葉です。

ターミナルケアーにおいても、子育てにおいても、あらゆる人間関係において、自分が必ず経験する「死」について考えることができていないと、他人との精神的関わりはできません。

自分がどのように「愛」を感じているのか?「愛」についての理想があるのか?

自己の持つ「愛」の概念は、その人の思考・感情・行動にそのまま表れてきます。
でも、そのことについて、他人が評価できるものではありません。

その人が感じる愛はその人にしかわからないからです。

他人が口にした「愛」という言葉は、自分の成育史上の概念というフィルターに通されます。
そのフィルターが、自分の感情に違和感を持たせたり、同調したりしてくのです。

自分が思っている愛と他人の愛に違和感があるのなら、自分の愛についての「理想」と「現実」に感じている感情を整理してみる必要があります。

自分自身の愛の問題。

親子の愛の問題。

夫婦の愛の問題。

恋人同士の愛の問題。

友人関係の愛の問題。

職業上における人間関係の愛の問題。

いろいろと関係性の種類はありますが、他人のことを考えるのではなく、自分自身の愛について、考えることが先決です。

「あなたのためよ」と言いながら、自己の愛の概念を押し付けている人が身近にいたら、その人から逃げる勇気も必要です。

さて、どのように自分の愛について自問自答すればよいのでしょう?

また振り出しに戻るようですが、10日ほど前から書き綴っているテーマを順に思索していくのが良い方法のようです。

「知覚と意識、自分がどう感じ、どう意識しているのか?」

メビウスの輪のようですが、人は生きている間、ずっと成長し続けているそうです。「自分がどのように死にたいのか?」というテーマは、「自分は何のために生きているのか?」と、中身は一緒です。

[生き甲斐の心理学参照」
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2009年09月01日 | 第9章 愛
私が心理学の学びを始めた頃は「愛」という言葉に戸惑う人が多かったように記憶しています。

10年単位の記憶をいくつかに区切ることのできるようになった年齢になると、カウンセリングの学びにおける自己事例の成育史のネタが増えるというわけです。

そんなことを自慢しても、しょうがない!ですが…

最近は大河ドラマで「愛」という兜をつけた主人公が活躍し、今回の選挙も「愛」を訴え続けていた人が人々の心を捉えることとなりました。

愛すること、愛されていることを意識し信じてみると何が見えるでしょうか?

「愛」を信じてみると、心が穏やかになります。
何故でしょうか?
それは、すでに無意識の中で「愛」を信じているからではないでしょうか?

だから「愛」という言葉に不信感や嫌悪感が湧き出たとしたら、これもまた「愛」という定義をその人自身が既に解釈し、持ち得ているからこそ、なのだと思います。

自分の将来を思い描き、言葉にして、実行していく背景には、ひとそれぞれの「愛の原型」が原動力になっているようです。

大切にされた記憶…
どのように育てられたか…
その時にどんな概念が育まれたか…
そして、その概念でどのように生きてきたか…生きているか…

「今、ここでの感情」そして「思考」「行動」には、自分の過去から現在が表現されているといっても過言ではありません。

「愛」について思索するのも混沌とした心の整理の方法の一つです。

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また来年!

2009年08月22日 | 第9章 愛
毎年恒例の山中湖から戻りました。

富士山の五合目手前に、奥庭という場所があります。天然の日本庭園です。盆栽のような松の森と溶岩。高山植物と他では見られない野鳥を観ることができます。

今回は久しぶりに奥庭に行く機会に恵まれ、大きな大きな富士山の姿を眺めることができました。

間近で眺める雄大な姿は心を浄化します。

それ以上に、そこで共に過ごす人たちと心おきなくお喋りし、「また来年!」と約束すると不思議なほど、安心感が湧き出します。

今回は、通信講座の会報綴じと発送の準備をしながら口を動かし、一石二鳥の休日となりました。
そんなわけで、そろそろ会報が講座生の皆様の元に届くはずです♡

いつもの場所で大切な人たちと集い、エネルギーが蓄えられました。。。今年後半、また頑張れそうです。

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悔いのない人生とは

2009年08月16日 | 第9章 愛
お盆休み、帰省やお墓参りの話題があちらこちらで聞かれます。

そして、こんな時期は久しく会っていない友人が気になったりもします。
皆、元気かなぁ~?

そろそろ父の誕生日が近づいているのと、母が作品展に水彩画を出品しているので
実家に行ってきました。

胃癌を患い20周年の父は、御身を大切にしながら、あらゆるサプリメントに挑戦し、自分の時間をなにより第一優先にして生活しています。
痩せすぎ以外、見た目はとても若いです。
50年以上続けている短波放送の趣味の情熱も衰えず、しかも他人様から何かを習うことが大の苦手。「自己流」という流派で尺八を吹くこと○十年。。。
言っちゃ悪いが、音色にまったく進展がみられません。

母は、ここ三年ほどで水彩画を始め、才能を開花し始めています。筆を持つことが生きがいになっているようで真剣に取り組んでいます。
素直に習い、努力を惜しまないところが、尊敬できます。
デッサン力を身につけたいというので、どうせなら若い人が集まるアトリエに行った方が良いのでは、、、とアドバイスしています。

父の「御身を大切にした生き方」は、一緒に住む女房に大きな負荷を与えています。でも、最近目覚めた夢中になることのできる趣味で、愚痴の中にも光があるように思います。

「悔いなく生きようね」、と両親に声掛けられるのも、悔いなく生きようとしているのが見て取れるから云えるのかもしれません。

「絵の先生から自画像を書いておくとそれが遺影になりますよ」と言われ、俄然、やる気になっている母は、やっぱり逞しい、と安心したお盆訪問でした。

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揺れ動く感情

2009年07月09日 | 第9章 愛
好き、嫌い
安心、不安
行く、行かない
欲しい、欲しくない

よくよく考えてみると、毎日毎日、ほんとうにいろいろな選択肢に迫られながら生きています。

私の場合、朝起きて、冷蔵庫を開け、出すものは毎朝ほぼ同じです。
メニューをパターン化しておくのは、忙しい時間に迷う手間を省くためです。

でも、夕食は違います。朝から「夕食のおかずはこれにしよう!」と決めていれば楽なのですが、行きつけのお肉屋さんで「何にしよう。。。。」と迷いだすと、次に出てくる言葉は「あ~あ、、、食事作り放棄したい!」とぼやくこととなります。行きつけのお肉屋さんでぼやく分には突っ込みをいれてくれるので、結果的に互いをいたわりあう楽しい会話が成立しますが、スーパーでそれをやれば、ストレスの溜まったあやしいオバサン・・・・・・

さて、今朝も、揺れ動いています。
明日から勉強会があり、来週も一週間忙しく過ごします。
美容院に行くか、行かないか。。。行けば、すっきりするし、行かなきゃ気持ちを引きずったまま勉強会に出かけることになります。

すっきりするか、気持ちを引きずるか。。。

揺れ動く感情、こんなことから自己の感情を見つめてみると、自分の思考の傾向が見えてきます。

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自分の信じ方

2009年07月03日 | 第9章 愛
自分の大切な人が云う言葉を信じることができるか?

見えているものばかりに囚われて、ついつい追いうちをかけるような言葉をかけていませんか?

時々、胸に手を当てて、とある学校の校訓を意識しします。

「信・望・愛」

だいじょうぶ、だいじょうぶ、と。

自分以上に考えているのは、振り子のように揺れ動いている自分の大切な人なのだということを忘れないこと。信じること。



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西の魔女が・・・

2009年06月30日 | 第9章 愛
映画「西の魔女が死んだ」を観ました。

この小説の存在も知りませんでした。
たぶん、小学生、中学生の世代から大人までがしみじみと観耽ることのできる映画でしょう。
忙しい最中に、ばたばたと観る映画ではありません。ばたばたと観ると「ばたばた」しか返ってこないかもしれません。

日本人の理科の先生(おじいちゃん)と結婚し、夫に先立たれたイギリス人のおばあちゃんが不登校になった孫娘と一か月、信州の森の自宅で同居するという内容のものです。孫娘だけでなく、彼女のお母さんと母であるおばあちゃんの母と娘のスタンスから表出する雰囲気も見逃せません。

つまり、自分自身の心が直球で跳ね返ってくる、という感じです。

人は、「魂と心と体」で成り立っています。
その言語化をとても分かりやすく語るおばあちゃんの語り口が、森の中に沁み入るような静かで、しかも心の中をすべて言いつくすかのような空気を漂わせます。

一見カウンセラー役であるおばあちゃんは、決して一方通行ではありません。
孫を通して、自分の弱さや辛さを静かに静かに顕わにします。

「ロジャーズの六条件」を映像で感じることのできる映画です。

ともかく、もし、観るのであれば、二時間静かに座って集中していただければ幸いです。

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他者分析は怖いよ

2009年06月28日 | 第9章 愛
人の傾向や性格を他人が捉えて解釈するほど怖いものはありません。

自分には必ずフィルターがかかっています。
だから「私は、物事を客観視できる人だ」と言い切る人ほど私は警戒します。

私は私の思考と感情と行動で生きています。

先日、子供専門の精神科医の先生の講義を聴く機会がありました。
私たちが学ぶ「生き甲斐の心理学」を別の言葉や事例を使ったような内容でした。

その講義の中で私の心に響いたのは、
「診断にも傾向があります。たとえば、ADHDという病名が世間に取り立たされた年は、その病名で診断される子供が多いということです。」

「薬は症状を抑えるもので、治すものではありません。それよりも自分の傾向に気づき、どうやったら社会の中で生活していけるか、そして生き甲斐を見つけられるかを関わる人が愛着を持ちながら関わることが一番なのです。」
「「生きにくさ」ではなく、「生き甲斐」を見つけることです。」

私も講義を聞きながら改めて、自分の中に安心感が湧き上がってきました。

診断され、病名をつけられることは、ある意味で社会に受け容れられる「安心」に繋がる場合もあります。でも、それから先にどうするか?が大切なのだと思います。「私」という一人の人間の「自立」のために、本気になって関わる人の存在は、何よりも替え難いお薬だと思うのです。

「愛」という言葉も一人一人解釈が違います。そうは言っても、愛し愛されることを五感と体感で感じる経験は、生き甲斐の道しるべとなるようです。

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やっぱり体感

2009年06月26日 | 第9章 愛
言葉の貧困さは、経験でいくらでも克服できます。
でも、それには、自問自答を「否定も肯定もせず」聴いてくれる人の存在が必要かもしれないな、と思います。

なんでもかんでも「かわいい~
嫌いなものは「うざい~!

そんな表現しかしない人でも、どんなものが「かわいい」のか、どんなものが「うざい」のか、明らかに「好き」と「嫌い」で判断しています。

かわいいに「超」がつけば「超可愛い」わけで、「かわいい」とは明らかに数段可愛いということが理解できます。
「うざい」のか「きもい」のか、うざいけれど親愛の情で言っているのか、嫌悪感で言っているのか。。。それも、前後の言葉や表情でなんとなく伝わってきます。

人との対話は、そんなところから始まります。

でも、やっぱり答えは本人の内に必ずあるわけで・・・
体感の「違和感」や「満足感」を自分自身が意識できるようになったら、言葉も流れてくるのが不思議です。

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笑顔の余韻

2009年04月08日 | 第9章 愛
月に一度、江ノ電に乗って腰越まで行きます。
昨日は、腰越勉強会の日でした。

始発の藤沢駅から、江ノ電に飛び乗ると、スペイン人の家族が6人、席に座りおしゃべりをしていました。荷物をたくさん持った私を見るなり、手招きをして、どうぞどうぞと促されるまま、横に座らさせていただきました。すると、こんどは、よたよたとおばあちゃんが乗ってきました。もちろん、そのおばあちゃんにも「どうぞどうぞ」と手招きして、おばあちゃんも嬉しそうに「あらまぁ、私のお尻、ここに入りますかね~」と言いながら皆でぎゅうぎゅうに座りました。

その時のみんなの笑顔、湘南に降り注ぐ太陽が、私たちに幸福をプレゼントしてくれたようです・・・心から奥から湧き出る笑顔は、どんな優しい言葉を掛けられることよりも、解放感が得られます。

席を譲っていただいたおばあちゃんは、日本語を勉強しているらしき高校生の女の子にビニール袋に入った飴玉を渡していました。
これもまた、楽しい異文化交流。

私も腰越駅で皆さんに挨拶して、電車を降りました。

楽しい家族の旅、ボンボヤージ

さて、腰越漁港は、久しぶりにしらすの豊漁で賑わっていました。
お山の勉強会も参加者が増え、おかげ様で盛況です。
もちろんです。ここでも笑顔の勉強会。

にこにこ笑顔の余韻は、24時間以上続いています。
そんなわけで、今日も、なんだかウキウキと楽しい一日でした。

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待つ待つ待つ

2009年03月12日 | 第9章 愛
人の発する言葉を待つ。

思い巡らし、考えて、口から出す言葉。

3分間、いやいや30分、一時間、待つことができるでしょうか。

「お母さんは、ダメというだけで話を聞いてくれない」

私も何度か子供に言われたことがあります。

次の言葉が出てくるまで待つ。

ある人から問われました。
「ダメ!と言った後、その次は、どう対応すればよいのですか?」

確かに「ダメ」だけでは、平行線です。そうなると互いの防衛機制も大きく働きます。

本音と建て前、理想と現実、最高のイメージと最悪のイメージ、自分の感情・・・
それらを検証し、折り合いをつけていくと、問題の解決の糸口となっていきます。

ダメダメダメ!と言う前に、待つ待つ待つ・・・
努力したいものです。

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想像と信じる道

2009年03月08日 | 第9章 愛
物事を一つ決めるのに時間がかかることもあれば、直感を信じて即決できるものもあります。

結局、時間がかかる決断も、最後は直感を信じ、決断していきます。

そして、信じる道の決断には想像力が必要です。

信じるからこそ想像力が湧いてくるのかもしれません。

信じていれば、信じることを実現したときのイメージが浮かびますし、そのために必要な行動も思い浮かびます。自分の頭の中にシナリオがどんどんできてきます。

妄想かもしれませんが、それでもいいと思います
信じた末のハッピーエンドを想像するのです。
それができたら、あとは行動に移すだけ。

難しいことを考えずに、余計なことを考えずに、楽しくやっていこうじゃありませんか

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映画ダウト

2009年03月07日 | 第9章 愛
メリルストリープが主演している「ダウト」を観てきました。
時代ははケネディ暗殺やカトリックの変革の時期の1964年頃。
舞台はニューヨーク郊外の厳粛なカトリック校。

メリルストリープが扮するのは厳格さを美徳とする修道女の校長。
その彼女が、一人の神父に疑惑(ダウト)を持ちます。二人は互いの良心をかけ、ストーリーが展開していきます。

もともと戯曲であるがゆえに魅力有りの密室劇のような映画です。

本日封切されたばかりなので、内容に関しては観てのお楽しみですが、確信と疑惑、信仰と信念、良心と感情、愛と真実、これらのキーワードが人の生きた言葉として、観客である私に迫ってきました。

一人の人間が生き抜くために必要な自分の身体と心と魂の問題を少ない出演者を通して、それぞれの立場で真実を語っていきます。

何が正しくて、何が正しくないか。
私に解って、あなたには解らないこととは、何のことなのか。

自分にとっての真実とは?
個性の美がもたらす正直さとは?

揺れ動く自分の心を中枢に向かって見据えようとしたときに見る映画かもしれません。


それにしても、マンマミーアとダウト、同じ女優が演技しているとは思えない迫力に脱帽です。

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ついに譲られた。。。

2009年02月24日 | 第9章 愛
午後の銀座線。銀座から神田に向かいました。
乗っている時間は10分くらいです。

それほど混んではいませんでしたが、空いている座席がなかったので、立っていました。

本を読んでいると、私の斜め前に座っている小学一年生の男の子が、「じぃーっ」と私を見ています。目が合うと、ニコニコした笑顔を返してくれました。
数秒後、その子が「どーぞ!」と言って、私に席を譲ったのです。

私「どこで降りるの?」

少年「すぐ降りるから。。。」

私「いいの?」

少年「うん」

私「ありがとう」


というわけで、私は少年に席を譲っていただき、読書して神田に到着。
結局、彼は、まだ先の駅までいくようです。私から離れ、ドア付近に立っていました。

少年の肩をポンとたたき、「どうもありがとう」と笑顔で挨拶して電車から降りたのです。

とっても嬉しそうな表情をしていました。

人から「ありがとう」と言われた時の達成感とか喜びは、成育史上の中で育まれていく信頼感や達成感に大きく影響していくように思います。

私はどんなときに「ありがとう」という言葉が欲しいのだろう・・・

自問自答のきっかけをありがとうございます。少年さまへ

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Merry X`mas

2008年12月25日 | 第9章 愛
✚主の御降誕おめでとうございます。

今日はミサに与り、「幸いなる」清々しさを体感してきました。
また一年、健やかに過ごすことが、私の目標です。

冬至から春分に向かい、陽の当たる時間は少しずつ延びていきます。

今日の朝刊に横浜のみなとみらいのクリスマスに灯すビルの明かりを三日間から一日に縮めたという記事が出ていました。
闇に浮かびあがるイルミネーションは、確かに美しいものです。
浮かび上がったイルミネーションを見て楽しむことも幸せの時です・
でも、
闇は人にとって必要な「経験」であり「時」であるように思います。
暗闇から光へと移行する流れは、人から与えられるものではなく、自分自身の内なるところから見出すものであるように私は思います。

闇のなかで光を生み出す力は、自分自身にもあるはず、ということをクリスマスという日に再確認しておきたいと感じた二日間でした。

一本のろうそくを手にし、暗闇の中で佇む自分を大切にしたいものです。

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