Mr.コンティのRising JAPAN

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英国紙が報じた FIFA Club World Cup  Vol. 4

2009-01-12 | EURO Football

12月20日 Wayne Rooney relishes chance of world crown

Wayney Rooney はManchester United のストライカーとして、2列目として幅広く活躍し続けてきたが今や Stretford End のサポーター達の為に新曲を作ろうとしている。
“今週横浜に我々をサポートしに来くれた人達は “ Champions of England, Champions of Europe “ と歌うだろうが日曜日 ( 12月21日)の試合後には3行目に “ Champions of the World “ と付け加える事が出来るだろう。それは素晴らしい事だ。” Rooney は語った。 OK それは Leonard Cohen でなく Wayne Rooney であると言う事がポイントだ。

世界王者と言う言葉は Manchester United をReal Madrid が選手の供給源と見た時にいかに Unitedが自信を Football の先駆者であると測ったり、自覚させたりするものである。 Club World Cup は真冬のさなかに開催されるなにかであると見られる – 少しリーグは突発的な第39節をほのめかすが – United の選手達がその感覚に気付けば気付くほどこのタイトルは勝ち取るものと言う事が明らかになる。
結局は “ 世界王者の 称号と書かれたメダルに価値を感じないスポーツマンはいるのかという事だ。

“私が United に入団した時、このような大会が私の心を横切る事はなかった。もちろんその時の明確な目的は Premier Leagueでのタイトルであり、Champions League でのタイトルであった。そしてそれから Club World Cup への挑戦権が得られるのでその時は考えられなかった。 勝利のメダルをそろえる野望はある。私は既に Champions League, 2つの Premier League タイトルそして Carling Cupと Community Shield のタイトルをそれぞれ勝ち取った。今シーズンの初めには European Super Cup のタイトルを逃し大変失望した。そして、これまで 2回 FA Cup のタイトルを逃している。だから Club World Cup のタイトルは是が非でも欲しいタイトルだ。何故なら次はいつ挑戦できるかわからないからだ。”

  

United の選手達が初日の時差ボケから惰性的な雰囲気が抜けてそして世界王者のステータスを見据える事に真に熱中するさまを見る様になった移り変わりを興味深く見て来た。 
その部分的な事は常に大陸間での試合を重要視すし、準備不足の Liverpol が1981年東京で Flamengo に敗れた様に United が国際舞台の大会で当惑る事を許さない Sir Alex Ferguson によって回避されている。しかし Football が世界的になるにつれて控室の外国人選手達の声やその選出達の大陸の知識が重要となり、そしてトーナメントが英国ではこの試合が行われる最も価値のある名誉が低く見積もられている。 Liverpool が2001年に Bayen Munchen との European Super Cup 戦に臨む前に Gerard Houllier は England の選手達に League Cup の決勝戦は大変重要だと選手達は監督に教えたのでこのタイトルを真剣に取りに行った。なのでフランスでは Super Cup のトロフィーは大変重要な事を教えこの試合に臨み Liverppol は 3-2 で勝利を収めた。
“オランダではオランダのチームが出まいがこの大会はテレビ中継される。 Ajax のメンバーとして1995年に TOYOTA CUP に勝った時は大変うれしかった。私は代表のメンバーとして世界王者になった事がなかった。しかし私は自分の任務を果たした。” GK の Edwin van der Sar は言った。

明日の対戦相手は初めて Copa Libertadores に優勝したエクアドルからやって来た Liga de Quito だ。監督に Edgardo Bauza はアルゼンチンでは有名だったDF選手で310試合で80ゴールを決めた選手だ。それはストライカーとしてでも胸を張れる。そしてドラマを演じようとしれいる。大会が終わればチームを去ると言う。 “我々は World Kings になる事が出来る。我々は既に世界のベスト2に入っている。それは大変満足のいくものではあるが更に上を求めている。” 準決勝での敗者同士で行われるガンバ大阪とメキシコの Pacchucaの  間で行われる3位決定戦、信じられない準々決勝での敗者間で行われたプレーオフに勝って5位となった Adelaide United らの順位を決めた Bauza の議論を別にすれば、彼らが Copa Libertadores の決勝戦でブラジルの Fluminense を破った事は詳細に値する。
“私はかつてフランス代表としてエクアドルと戦った事があるので Quita がどれだけいい選手達かがわかる。もし世界王者になりたければ周到な準備が必要だ。”United のDF選手である Patrice Evra は語った。
DF のGary Neville はいつもの様に最も現実的だ。 ”我々はこの大会を自国やクラブレベルでさえ重要とはみなしていない。しかし同じ様な考えではいけない。イタリア人やスペイン人がこの大会で勝った時の様子を見てみればどれだけ大きな大会であるかがわかる。“ Champions of England, Champions of Europe Champions of the World. それともどうやって The Club Wolrd Cup を案じる事を止めて愛する事を学ぶのだろう。

  

12月21日 Ecuador’s shock troops determined to spring another surprise

灰色のものを恐れるのは Manchester United のほうである。
12年前 Southampton に 1-3 で敗れた試合のハーフタイムでグレーのシャツを変えた時以来かれらはグレーのストライプのユニフォームを使うのをやめた。 Liga de Quito にはそのようなジンクスは無い。 彼らの新しいユニフォームはグレーのストライプがある。快進撃を続けた Copa Libertadores では他の鮮やかな黒のユニフォームを使っていた。 LDU ( Liga Deportiva Universiaria de Quito : 彼らはフルネームで称される事を望む )は番狂わせを狙う。 Liga de Quito が Fluminense を倒すまでエクアドルのクラブが Copa Libertadores に勝ったことはなかった。 United は恐らく Club World Cup の優勝候補であるだろう、しかし Sir Alex Ferguson は対戦相手が驚愕をもたらすチームである事を知るだろう。 
Copa Libertadores の決勝戦の初戦で Fluminense は高地のQuito で 2-4 で敗れた結果に満足していた。対戦相手の高地でのホームアドヴァンテージが奪われた Fluminense のホームでLDU はリードを守れないと思われたからだった。第二戦に臨むブラジル人達は37歳のGK Jose Cevallos を老いぼれた最終ラインと称したのだった。しかし Fluminense は 3-1 でしか勝てなかった。 Copa Libertadores の決勝戦ではアウェーゴールルールは無かった。従って最後の一戦は Cevallos に勝る PK 戦にまでもつれ込んだ。その決定的瞬間は Thiago Neves が時間をかけ過ぎてボールをセットしたショットに相対した彼がまもるそのゴールに訪れた。 Neves がボルをゴールにけり込んだが主審はやり直しを命じた。そしてふたたび Neves は集中をし GK Cevallos がどちらかに飛ぶことを予測し真正面に蹴り込んだが Cevallos は動かず屈辱的に難なくそのショットは止められて Liga de Quito は PK 戦を 3-1 でものにした。 

  

Liga de Quito のよりどころはすぐに監督の Edgardo Bauzo と要約出来る。 
”我々は Copa Libertadores では優勝候補ではなかった、しかし対戦相手が次に進むためには我々を倒さねばならないと選手達に言い続けた。 Bauza は選手時代にそうした様に対戦相手に対抗する。彼は現役時代 El Paton – Big Foot – と呼ばれておりセンターバックながら技術的な要素も兼ね備え108の生涯ゴールを決めている。そして1990年のワールドカップイタリア大会には代表メンバーにも選ばれた。
Bauza は試合後チームを去る事になる。もし彼が万が一勝者としてそうなるならがハンケチが必要とされるだろう。彼のハードなイメージと異なり彼は Copa Libertadores のトロフィーを勝ち得た後に泣き出してしまった。

     

Bauza だけが Quito を辞めるのではない。何人かの選手達は海外でプレーする野心をもっており、 Club Word Cup は欧州に行くチャンスを勝ち取るものと見ている。 Copa Libertadores の英雄 Jofee Guerron は既に Getafe に移っている。
スペインは Bauza のアルゼンチン人ストライカー Al ejandro Manso と Claudio Bieler にとって最も希望する目的地である。 

 

 

Luis Antonio Valcencia のWigan Athletic での成功は Liga de Quito のエクアドル人選手にとって Premier League でのプレーを考えさせているだろう。 23歳の幅広いプレーヤー Luis Bolanos は選ばれると思われる。 Balanos は 印象的な水曜日の準決勝戦、2-0 で降したメキシコのPacchuca 戦では2点目を決めている。そのゴールはLiga De Quito のチームワークと組織力が集約されていると言われている丁寧なフリーキックから生まれている。 Pacchuca の支配率は64%であった、しかし彼らがビルドアップする際にはプレスを感じそしてカウンターアタックを食らった。 

 

“ Liga de Quito の守備は強固で相手ゴール前では非常に危険だ。典型的な南米のチームだ。" Ferguson は語った。これは半分正しい。 Manchester United と世界王者の間に立ちはだかる彼らは他の南米のクラブよりもずっと難しい相手だ、しかし彼らも他のチーム同様 Manchester United を恐れている。

1995年の TOYOTA CUP の試合がオランダで報道されたとき、日本のサポーター達はハーフタイム中に弁当を広げ Rice Ball をほうばり始めた、と付け加えられており、地元サポーターのゲームに対する”興味の低さ”ぶりが紹介された。しかも数人の子供達がお弁当を食べている写真付きで。 
欧州ではハーフタイム中に”食事”をする習慣は少ない。しかし私が鮨を食べ始めた時は周りに人が集まってきた...... 観客は概ね男性か家族連れがほとんどだけどどんなに寒くてもハーフタイム中には売店に殺到しビールを求める。列を作る”習慣”もないのでそこは修羅場だ。殺到する場所はあとトイレだけど........

中学の時に海外放送を聴くことがはやり私もそれにはまった。今でも時間さえあれば...とは思うのだけど。南米大陸からはエクアドルの HCJB が日本語放送を行っておりよく聴いたものだった。その時はエクアドルがワールドカップに出場するなんてまず考えられなかったが、それは日本も同じだった。

LDU の Edgardo Bauza 監督は19歳の時にアルゼンチンの名門 Rosario Central のトップチームにあがり1982年のシーズンまで6シーズンで310試合に出場し80ゴールを挙げた。そして1990年メキシコのCD Veracruz に所属している時にワールドカップメンバーに選ばれた。背番号は5番だったが出場機会はなかった。 しかし指導者としてもここまで能力を発揮するとはさすがだ。
Pacchuca 戦ではボール支配率は低くても 2-0 できちんと結果を出すところは南米の強豪の証明。試合後の Pacchuca の監督、選手達の落胆ぶりをみるとよほど自信と相手の Name Value を量って試合に臨んだことだろう。

大ベテランのGK Jose Cevallos は1998年ワールドカップフランス大会予選からエクアドル代表歴があり、今でもワールドカップ予選ではエクアドルゴールを守る。残念ながら2002年大会は出場機会がなかったが、来年の南アフリカ大会への出場を目指す。
欧州行きがうわさされる Luis Bolanos もエクアドル代表として目下南米地区予選を戦っている。 

欧州勢に”クラブ世界一決定戦”の舞台に興味を持って引っ張り出させるためには欧州大陸以外のクラブがこのタイトルを取り続けることがこの好ましい。
その一番手として毎年南米勢には期待しているのだが。
今年はどうなるのだろう
........                                           
      次回に続く 



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