Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

The day for England

2005-11-19 | EURO Football
先の11月13日から世界各地でワールドカップ予選の Play offが始まった。そして既に本戦出場を決めた各大陸の代表も強化に余念が無く、Aマッチも各地で繰り広げられた。当日は日曜日と言うこともあり、他のスポーツイベントも多く行われたが、当日はまさに “England の日”と形容されても過言でない。Cricket では Pakistanを、Rugby では Australia War rabies をそしてスイスの Geneva で行われたサッカーの A マッチは終了間際の Owen の連続ゴールで宿敵 Argentina を降した。この試合の二日前、英雄 Diego Maradona が兼ねてからAFA ( アルゼンチンフットボール協会 ) 会長 Julio Grondona 氏のワールドカップに向けての代表チームへの協力要請を同日のラジオインタビューで“今、代表に関わるのは Best では無い”とコメントしやんわりと否定。今だ同国では我々の想像以上にカリスマ的な存在であるのだろう。だが欧州、特に England では少し違うようだ。地元のサッカー雑誌 4-4-2 では“疑惑判定ベスト30”という特集記事が掲載され、1位は想像通り 86年メキシコワールドカップ時のあの “ God Hand “ でその所だけ全ページ大きな写真付きで解説されていた。Maradona の“母国”との対戦デビューは 1980年の Wembly Stadium での親善試合で England が Kennedy, Keegan 等のゴールで 3-1 と勝利している。この両国の対戦も色々な話題を残している。その発端は 1966年のイングランドワールドカップ、準々決勝での対戦で大いに荒れた試合を最後は England が制したが、他の準々決勝では西ドイツと Uruguay が同様に荒れた試合となり、欧州のマスコミが南米勢を “ Animal “ と称するその発端となった。これに対して南米勢も Brazil の Pele への悪質なタックルをファウルに取らないで何が Animal だと猛反発。こういう時は結束する南米勢も??と思われたが、欧州対南米間での激論の引き金に。1982年、軍事政権下で不況にあえぐ アルゼンチン はフォークランド諸島に軍隊を派遣しその地を “マルビナス諸島” と主張。しかしすぐさま”鉄の女” サッチャー女史政権下の英国が軍隊を派遣して アルゼンチン軍隊を撃退。“人の土地は簡単に取れないのよ”と言ったかどうかは解らない。そしてアルゼンチン軍事政権の崩壊に繋がる。以降 Maradonaの神の手、98年ワールドカップでの Beckham の退場、そして4年後札幌でのリベンジと話題は尽きない。
13日の試合が中立国 Geneva で行われたのも両国間の関係を考慮してか? この勝利で England はArgentina とは14戦中6勝目を挙げた事になった。 Argentina は England にこれまで3勝を挙げている。1986年の“神の手”、それから 1998年ベッカムが退場にされたフランスワールドカップ(ただし普通PK負けは(勝も)引分と記録するんだけどなぁ?? となるともう一試合はいつだろう??  続く

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