Mr.コンティのRising JAPAN

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Wカップ予選・イラン戦に向けて 4

2005-03-23 | FIFA World Cup
ドーハの悲劇。その遠因となったのが第二戦のイラン戦での敗戦であった。韓国との初戦を0-3 で完敗を喫したイランは明らかに手負いの獅子であった。日本は前年のアジアカップからエースのピュスを始め出場停止処分になっている選手が3人もおり、しかも大会前に国内のクラブチーム、ピルージでも内紛が生じ何人かの主力選手が欠けており戦力はかなり落ちると見られていた。しかし、そこにはあのアリ=ダエイが居たのであった。そしてダエイのゴールを含む2失点を返せず前年のリベンジを果たされてしまった。だがイランの勝利は北朝鮮に2-1で収めただけで、イラク 1-2 サウジアラビア 3-4 と他の中近東勢からは勝ち点を挙げられなかった。だが、この大会以降、アリ=ダエイ、バケリ、アジジといった選手が出てきてワールド杯を狙える戦力が整いつつあった。特に1996年 UAEで開催されたアジアカップの準々決勝では韓国を何と 6-2 と粉砕しその破壊的な攻撃力は他のアジア諸国の脅威となっていったのである。

ワールド杯フランス大会予選では二次予選の初戦大連で行われた中国戦では2点を先行されるものの後半に強い雨の中4連続ゴールを上げてその破壊力の健在を示した。だが、クウェートとホーム、アウェイで引き分けたり、カタールにアウェィで敗れるなど不安定な戦いが続き、結局日本とのプレーオフに回る事になった。ジョホールバルでの日本とのプレーオフではご記憶の方も多いであろう、岡野のゴールデンゴールで再びオーストラリアとのプレーオフを余儀なくされた。
大方の予想では欧州でプレーする選手を多く含むオーストラリア有利であった。それを裏付けるかの様にホームにオーストラリアを迎えた第1戦。19分にオーストラリアの若きエース、キューウェルに先制点を許す。39分にアジジのゴールで追いつくが2点目が取れずにホームでの試合を引き分け、第二戦のメルボルンでのアウェィ戦に臨んだ。試合はホームのオーストラリアが主導権を握り、31分にキューエル、48分にはビドゥーカのゴールで 0-2 と下馬評通りの展開であった。しかし、ここからイランFWの破壊力が爆発する。75分にはアジジ、79分にはバケリが連続ゴールを上げあっという間に同点に追いつきそのままタイムアップ。アウェィゴール数が有利のルールでイランが32番目の代表国に滑り込んだ。この試合は日本でもNHK衛星放送で生中継され、試合後ジョホールバルでの勝利に改めて感謝した人も多かったであろう。
そしてイランは20年ぶりに本大会出場を決めたワールド杯フランス大会で、ユーゴスラビア、米国、ドイツと同じF組に振り分けられる。
初戦のストイコビッチ率いるユーゴ、(0-1) ドイツ (0-2 )には敗れたが米国にはマハダビキアのゴールで 1-0 と勝利を収めた。本大会にはアジアからサウジアラビア、韓国、日本が出場したが、勝利を挙げたのはイランだけであった。
以降のイランはアジア大会で連覇(98年バンコック、02年釜山)を収めるがアジアカップでは2000年のレバノン大会では準々決勝で韓国にVゴール負け、そして五輪、ワールド杯への出場
はまだ果たせていない。特にワールド杯アジア予選では最終戦で対戦した格下のバーレーンに 1-3 で敗れてしまい、UAEとのプレーオフを経てアイルランドとの決定戦を余儀なくされた。
タブリンで行われた第一戦は 0-2 で完敗。テヘランでの第二戦もロスタイムでのゴールで2-1と勝利を収めるも、得失点差で及ばずバーレーン戦の前にほぼ手中にしていた出場権を最後まで握ることは無かった。 試合後のアリ=ダエイの男泣きが印象的であったらしい。
だが昨夏、北京で開催されたアジア=カップでは3位に終わったが、準々決勝で韓国から3点を挙げたカリミの出現は90年代後半のあの破壊力を彷彿させるものであったのだ。<つづく>




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